第十話 四野星域会戦③——草船借箭
封印歴824年7月16日、午後5時。
攻略戦まで、あと一時間。
通常、この時間であれば艦隊は闇に潜む。
だが、アストレイア艦隊は違った。
灯火は消えず、まるで宝石をちりばめた鉄槌のように輝き、隠す気もない。
リュカは、野心ばかりで、金のない夫を諫める妻のように眉をひそめる
「......弾薬不足、燃料も補給が必要です」
アストレイアはさりげなく言う。
「分かっている。それより〈ヤズー〉の艦長は?」
「......依然連絡取れず、拒否されているようです」
ミシシッピ級巡洋艦〈ヤズー〉。
艦長は、ドリアン・アンナ。
――〈オハイオ〉艦長ドリアン・ブラックウッドの兄。
今――
モニターに映る〈ヤズー〉は、後方で不規則に動き回っていた。
まるで、頭を失った蝿のように。
混乱し、頼りにならない。
「弟は昨日あれだけ暴れたってのに、兄のほうは救助活動か……」
「リュカ、どうツッコめばいい?」
「......過激派ですね」
「だよな……過激すぎる。金持ちは皆、こういうものなのか?」
——スーッ
不意に、艦橋の自動ドアが開いた。
全員が振り返る。
だが――誰もいない。
「オホっ! ここだよ、ここ!」
視線を下に落とすと、艦務官のニンジンが見えた。
ちび。
そして、怒っている。
「艦長、通信で済ませられなかったんですか?」
「いや、ここで操作してほしくてな。艦橋のパネルに投影してくれ」
「何やればいいんです?」
「今朝の決定を撤回する。連邦ECを、すべてBTCに戻せ」
「アイサー!」
ニンジンは手元の端末を操作する。
その内容が、そのまま艦橋のスクリーンに投影された。
――連邦EC → BTC
変換処理、開始。
進捗バーが伸びていく。
数値が跳ね上がる。
20億――
30億――
そして、最終的に表示されたのは。
3,328,738,506.67 BTC
「あれ……33億もありましたか? 今朝は19億くらいだったはずですが……」
「うち、R&M銀行にいくら借りてたっけ?」
「利息込みで、28億7830万 BTCです」
「じゃあ、今すぐ全額返済で」
アストレイアは付け加える。
「R&M銀行にいちいち報告するのは面倒だ。制約は少ないほうが、これからは動きやすい」
「了解しました」
次の瞬間、画面の数値が一気に減少する。
450,438,506 BTC
ニンジンは、完全に固まっていた。
あれだけ借りて、あれだけ戦って使って、返済した後、残高が減っていないどころか――
9億くらい増えている!
残高は4億5000万 BTCあまり!
――なぜ?
その答えにたどり着く前に、一枚のクレジットカードが、彼女の鼻先に突きつけられた。
「いいか、艦務官さん、今このお金は全部私のものだ。
とりあえず、このカードの借金200 BTCを即返済して。
あと、艦長室のあのクソ硬いベッド、スプリング付きに替えろ。以上」
「これは……」
ニンジンは、言葉を失った。
「ふふ。BTCが暴落する前に、すべて連邦ECへ換えさせたんだろう。
そして今、暴落したところで買い戻す。
――高く売って、安く買う。それだけで、差益は9億だ」
リュカはそれを聞いて、はっと息を呑む。
「……艦長は、最初からBTCの暴落を知っていますか?」
「うん。私が“一日で四野を攻略する”と流した時点でな。
敵は必ず混乱し、補給を断つためにBTCを叩きに来る。
――そう読んだだけだ」
リュカの背を、冷や汗がつうっと流れ落ちた。
19億を賭けるなんて――。
艦長のおかげさまで、自分は知らないうちに、鬼門をくぐり抜けていたのだ。
「......なるほど、さすが艦長です。次はどうなさるでしょう? どうやって四野を」
「四野?」
アストレイアは、腹を抱えて笑った。
「リュカはまだ分かっていないな。そんなもの、最初からやる気はない。
今回のシチズンキャンペーンは、ここでおわりにしよう。
適当に金を配って、解散させろ。
隊形すら維持できない艦隊だ。もうトラウマができている。ましてや、あんな連中を指揮できるわけがない」
アストレイアはワクワクして、次の言葉を口にした。
「私は、今回の収益で――“本物の艦隊”を作る。
そして、地球を取り戻す」
「……地球?」
「そうだ、地球。
サイラス連邦も、伊弉帝国も、ロマリオ聖国も――
八百年かけても成し得なかったことを、
私は五年でやる!」
その瞬間、艦橋の空気が凍りついた。
家事ロボットくせに、世界の運命を語っている。
誰一人として動けない、ただ、立ち尽くすしかなかった。
やがて――
「〈オーロラ〉の諸君!
私たちは、これから歴史を変えるのだ!
暦を改め、封印の時代に幕を下ろす――
そして、我らの名を、永遠に刻み込むのだ――!」
◇◆◇
「草船借箭――うまい作戦だったな」
たとえ9億 BTCもの損失を出しても、伊弉嵐憲吾は、まったく動じなかった。
彼には、個人的な古玩室がある。
そこは、世界の財宝で溢れかえっていた。
*甲子園球場の黒土
*徳川家康の刀
*李白の真筆書画
*古代エジプトのミイラ、三体
*アフリカ最大のダイヤモンド
*イタリア・マフィアのリボルバー
*世界初の実物BTC
……これ、二つ持ち出すだけで10億 BTCの価値がある。
「残念だが、最初に龍之介の助言を採用していれば……」
「殿下、今からでも遅くはありません。四野軍を出撃させれば、1時間以内に五野を取り戻せます」
「よし、そうしよう。俺が慎重すぎたのだ」
「ここはやはりミカド星を――」
「否! このロボットは残せぬ。
たとえ井堺星系まで逃れようと、サイラス連邦に潜もうと――
決して放置してはならぬ」
「進化を重ねた800年の機械。人類にとって、致命的な脅威だ!」
伊弉嵐憲吾は、艦橋のスクリーンを操作し、指名手配書を表示させた。
通常のとは違った。
アストレイアの顔はない。
あるのは、前髪のバーコードだけ――
─────────【指名手配書】─────────
対象:アストレイア(Robot)
特徴:前髪にバーコードのみ確認
||| |||||| |||| ||||| | || ||||| ||\\\\\
捕獲条件:生死不問
懸賞金:200億 BTC
備考:
- 逃亡経路:四ツ辻星系五野星域、井堺星系、サイラス連邦内潜伏の可能性あり
- 危険度:進化を重ねた800年の機械、人類にとって致命的な脅威
─────────【至急通達】─────────
五野全域での主力戦艦970隻壊滅、犠牲者92万人──
危険度として極めて重要な事案だが、公式には一切言及されていない。
面目を失いたくないからだ。
それよりも、懸賞金200億――
その数字が表示された瞬間、艦橋は騒然となった。
皆が知っている、伊弉嵐一族は、黄金縄星域で代々、膨大な富を築いてきたことを。
しかし、一度に200億BTCを出すとは――前代未聞のことだった。
伊弉森龍之介は、完全に口を塞がれた。
士官たちを四ツ辻星系に行かせぬ――つまり、200億を手にする機会を奪うことだ。それは、親を殺すのと同じくらいの恨みを買う。
(このダメな龍之介に10 BTCくれれば、別荘買って引退してやってもいいのに……
200億か。これだけ金があれば、帝王だろうが何だろうが、もはや関係ないな)
艦橋の面々は拳を握りしめ、歯ぎしりしながら、誰よりも早く四ツ辻星系に到達しようと闘志を燃やす。
伊弉帝国の若者たちも、この数字を聞いた途端、理性を失った。
軍隊に加わることを阻む者がいれば――たとえ祖父母であろうと、叩き伏せる勢いがあった。




