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記憶のかけらと家族のかたち  作者: 櫻木サヱ
小さな日常の奇跡

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77/90

日常の中の変化

朝の光が窓から差し込み、施設の廊下を柔らかく照らす。母・フミはいつも通りに朝食をゆっくりと口に運び、箸の動きに少しだけ安定が出てきた。ナースの美咲は記録を片手に観察する。昨日の夜間徘徊も、忠彦の付き添いで大事には至らなかった。小さな変化ではあるが、確実な前進だ。


「おはようございます、フミさん」

美咲が優しく声をかける。母は顔を上げ、かすかに微笑む。


その後、忠彦は娘・美佐と一緒に食堂にやってきた。二人は母に少し距離を置きつつも、言葉をかけるタイミングを意識している。美咲はその様子を見ながら、記録と共に小さな助言を口にした。


「母さんが安心できる距離を保ちながら、短い言葉で声かけを続けるといいですよ。今のようにゆっくり食事を見守ることも大切です」


忠彦は頷き、照れくさそうに母の手元を見つめる。以前なら、焦りや苛立ちで声を荒げていたが、今は静かに見守ることを選んでいる。小さな変化だが、ナースにはそれが大きな進歩に見えた。


昼、ナースステーションでは職員とのミーティングが行われた。昨日の夜間徘徊や、外部支援の活用状況を共有し、改善策を話し合う。スタッフの一人が眉をひそめた。


「やっぱり、家族の協力があると、こちらも対応が落ち着きますね」

「そうですね。無理に叱るのではなく、家族が寄り添ってくれることで、母さんも安心してくれる」

美咲はそう答えながら、記録に細かくメモを取る。


午後、庭のベンチで忠彦と母が一緒に座っている。母は小さくつぶやいた。

「今日は、父ちゃんがいてくれるけぇ、安心じゃ」

忠彦はぎこちない笑みを浮かべ、肩に軽く手を置く。

「おう。父ちゃんも頑張るけぇ」


ナースの美咲は少し離れた場所で静かに見守る。彼女の胸には温かさと同時に、責任感もあった。家族が少しずつ距離を縮め、母に寄り添う瞬間を支えること — それがナースとしての仕事の一部であることを再確認する。


夕方、施設を出る忠彦は、娘と手をつなぎながらぽつりとつぶやく。

「家族って、こうやって助け合うもんなんじゃな」

美佐は微笑み、父の手をぎゅっと握る。

「うん、これからも一緒に頑張ろうね」


美咲はステーションに戻り、記録をまとめる。薬や処置のデータだけでなく、家族の関わりや母の反応も詳細に書き残す。

《日常の中の小さな変化 — これが母にとって最大の安心につながる。家族が寄り添うことで、職員も支えられる》


夜、施設の廊下に柔らかい灯りがともる。母はベッドに横たわり、穏やかに目を閉じる。忠彦はそっと手を握り、今日の小さな達成を胸に刻む。

外からは虫の声が聞こえ、日常の営みが静かに続く — 家族とナース、そして職員の小さな努力が積み重なり、揺れながらも確かに日常が動き出していることを、誰もが感じていた。


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