夜の徘徊
深夜二時。
ナースステーションに静かなアラームが鳴った。
フミのベッドセンサーが反応した。
三浦はすぐにライトを手に取り、廊下を駆ける。
スリッパの音が乾いたフロアに響いた。
居室の扉を開けると、フミはすでにいなかった。
ベランダの窓が少し開いている。
外は真っ暗。冬の夜気が刺すように冷たい。
「田中さん!」
声をかけながら、非常扉へ向かう。
すると、エレベーターホールの前で、白いナイトガウンの裾が見えた。
「田中さん、どうされました?」
ナースが声をかけると、フミはゆっくり振り返った。
その目は、遠い過去を見ているようだった。
「家に帰らなきゃ。あの子が待っとるから…晩ごはん、作らなきゃ…」
三浦は深く息を吸い、そっと手を伸ばす。
「お嬢さんは、もう大きくなられましたよ。今日は、ここで休みましょう」
フミは戸惑いながらも、少しずつ手を離さずに歩いた。
その歩幅は小刻みで、何かを思い出そうとするように揺れていた。
部屋に戻り、布団を整え、そっと声をかける。
「おうちのことは大丈夫です。ここでも、ちゃんとごはん食べられますよ」
フミは目を閉じ、静かに眠りについた。
ナース三浦は記録を取りながら、自分の胸にも小さな痛みを感じていた。
――帰る場所。
それは、記憶の中にしか残っていないのかもしれない。
でも、その想いこそが、今を生きる力でもある。




