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記憶のかけらと家族のかたち  作者: 櫻木サヱ
施設での長期生活と家族の絆

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静かな朝と積み重ねの日々

朝七時。

施設の廊下には、消毒液の匂いとコーヒーの香りが混じっていた。

夜勤明けの介護士たちが、静かに申し送りを終え、交代のナースたちがゆっくりステーションに集まってくる。


ナースの三浦は、カーテン越しに朝日を見つめながら、ひとりの入居者の名前を確認した。

「田中フミさん、夜間の睡眠は三時間半。午前四時に離床、トイレ誘導後、居室で軽い混乱。」

ファイルを閉じる手に、少しだけ力がこもる。


――また、夜が怖かったんだね。


モニターに映るフミの居室では、今は穏やかな寝息が聞こえていた。

枕元には、娘・美佐が置いていった手紙と、折り紙で作った花がある。

読み書きが難しくなった母の代わりに、美佐はよく絵や言葉をそっと置いていった。


午前十時、美佐が施設にやってくる。

「おはようございます」

声に張りはない。少し疲れたような、でも必死に笑顔を作る声。


ナース三浦が微笑む。

「おはようございます。今日も来てくださってありがとうございます」


居室に入ると、母はちょうど着替えを手伝ってもらっているところだった。

母は娘の姿を見て一瞬、眉をひそめた。

「……あんた、だれ?」

その言葉に、美佐は小さく息を呑む。


ナースがやわらかく介入した。

「田中さん、今日はお嬢さんが来てくださったんですよ。いつもお花をくださる方」


母は少し目を細め、美佐の顔を見つめる。

「……そうかねぇ」

しばらく沈黙ののち、母は小さく笑った。


その笑顔に、美佐の目に涙が滲む。

わかっていないのかもしれない。

でも、心のどこかで確かに通じている。

それが救いのようで、切なかった。


帰り際、美佐はナースに言った。

「お母さん、少し穏やかになりましたね。

でも…夜が心配で。家で暮らしてた頃みたいに、また外に出ちゃうんじゃないかって…」


ナースは記録用紙を閉じて、真っ直ぐに娘を見た。

「不安になる気持ちは当然です。

ただ、安心できる場所を“家”と感じてもらえるまで、少しずつ積み重ねることが大切なんです」


美佐はうなずきながらも、手をぎゅっと握りしめた。

その指先は、母の老いた手とよく似ていた。

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