慣れゆく日々と、揺れるココロ
施設の廊下に、母の足音が小さく響く。
昨日までのような激しい徘徊はなく、ゆっくりと、しかし確実に歩いている。
ナースはステーションからその様子を見守る。第三者の視線で、母の動き一つ一つを記録する。
「少し落ち着いてきたか…」
けれど、まだ完全に安心できる状態ではない。
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母は食堂で朝食を取りながら、周囲の入居者と目を合わせることもある。
時折笑顔を見せ、声を出すが、すぐに「帰る」とつぶやく瞬間もある。
職員は優しく声をかけ、手を添える。
母は戸惑いながらも、少しずつ施設のルールや生活リズムに馴染んでいく。
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一方、自宅では娘が家事を終え、ふと空席の椅子を見つめる。
「お母さん、いないんだな…」
胸にぽっかり穴が開いたような感覚。
父はソファに座り、黙って天井を見上げる。
「ここで暮らすのが母のため…分かっている」
それでも、心の奥では罪悪感がくすぶる。
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ナースは記録をまとめながら、家族の心理にも目を向ける。
「母は安全を確保されたが、家族はまだ慣れない」
食事の様子、歩行の安定、声かけへの反応。
母の状態は少しずつ安定していくが、家族の心には揺れが残る。
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夕方、娘は母宛に小さな手紙を書き、施設に持たせる。
「今日は笑顔を見せてくれるかな…」
父も手紙に目を通し、娘にそっと頷く。
二人の心は同じ方向を向きつつも、まだ完全には落ち着いていない。
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ナースはその光景を静かに見守る。
第三者としての視線は冷静だが、家族と母の距離感の微妙な変化を逃さない。
「安全は確保され、少しずつ日常が戻る」
しかし、心の葛藤と寂しさはまだ、家族の胸の奥に深く残っていた。




