退所勧告
施設の会議室には、冷たい空気が流れていた。
娘と父、そして施設長と担当職員がテーブルを挟んで向かい合う。
カチ、カチ……時計の音がやけに大きく響く。
施設長が深く頭を下げた。
「……ご家族には本当に心苦しいのですが……」
その一言で、娘の心臓が強く脈打つ。
「お母さまの行動が、このままでは他の入居者様にも危険を及ぼす可能性があります。職員も限界に近い状況でして……」
父の眉間に皺が寄る。
「つまり……追い出すってことか?」
職員は言葉を濁さず、はっきりと告げた。
「退所の方向でご相談させていただきたいと思っています」
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娘の喉が詰まり、声が出なかった。
あの母が、ここを出される――その現実が、鋭い刃となって胸を貫いた。
「母さん、何も悪いことしてないのに……」
そう呟いた娘の横で、父が拳を握りしめる。
「悪いのは病気じゃろうが……! どうしてわしらが、こんな思いせにゃいけんのじゃ!」
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職員は冷静だった。
「ご家族がどれほど頑張っておられるか、私たちも分かっています。ですが、施設には“ルール”と“安全”があります」
「このままでは、事故や怪我のリスクが高すぎます」
娘は顔を上げた。
「じゃあ……母を、どこに……」
施設長は静かに首を振る。
「次の受け入れ先も、すぐには見つからないと思われます」
その瞬間、父の怒りが爆発した。
「ふざけんなよ!!こっちは金も払っとるんじゃ!面倒見てもらって当然じゃろが!!」
職員の表情が一瞬だけ強張る。
その一言に、“信頼”なんてものが、この空間にはもう存在していないことを全員が悟った。
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会議のあと、娘は廊下に座り込み、目を閉じた。
母の笑顔、徘徊、怒号、職員の疲れた顔、父の怒鳴り声――
全部が渦巻いて、息が苦しい。
「……母さん……私、どうすればよかったの?」
誰も答えない。
ただ雨の音だけが静かに降っていた。
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数日後――
退所通知の封筒が届いた。
赤い判子が押された紙を見つめながら、娘は震える手で握りしめた。
「……もう、後戻りできんのじゃな……」
その手の中で、紙がくしゃくしゃと音を立てて潰れていった。




