家族との亀裂と施設でのトラブル
夜の施設。雨上がりの冷たい風が、窓の隙間から忍び込む。
母は居室から出て、廊下を力強く歩き回っていた。
「帰るんよ!お父さんがおるんよ!」
叫び声は、昨夜よりもさらに大きく、荒れ狂っていた。
職員が駆けつける。
「○○さん、落ち着いて!」
しかし母は振り払う。テーブルの上の水をひっくり返し、椅子を蹴り飛ばす。
手を出した職員も、軽く叩かれてしまう。
「痛っ……!」
廊下に響く悲鳴と怒号。
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同時刻、家では娘と父の電話が鳴った。
「……またですか?!」
施設からの連絡だった。
母が暴力を振るい、他の入居者に危害を及ぼすおそれがある、という。
娘は顔を覆い、涙が止まらなかった。
「……どうして……どうしてこうなるんだろう……」
父は机に手を叩きつけ、苛立ちを隠せなかった。
「俺らは、預けただけや! なんでこんなことになるんじゃ!」
電話越しに職員の声が聞こえる。
「ご家族も大変でしょうが、現場も限界です……」
娘と父、施設側、誰もが責任を背負い、疲弊していた。
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その夜、娘は家族会議を開く決意をした。
父と向かい合い、声を荒げる。
「お父さん!もう、無理なんよ!母さんは、誰かの助けなしには……!」
「無理じゃない! 俺は家に連れ戻すことだってできる!」
二人の声はぶつかり、空気は鋭利な刃物のように張り詰める。
母の安全、家族の責任、職員の限界。
理想の家族像と現実の隔たり。
その溝は深く、夜の闇のように広がっていった。
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翌日、施設での母の行動はさらにエスカレートした。
食堂の椅子を倒し、手を出す。
職員は抑えるのに必死だったが、母の意思は強く、誰も完全には止められなかった。
娘は施設に駆けつけ、母の手を握る。
「母さん……お願い……落ち着いて……」
母は一瞬だけ笑顔を見せるが、すぐに「帰るんよ!」と叫び、再び手を振り払った。
職員たちは深くため息をつき、目を伏せる。
信頼も、穏やかさも、もはやこの空間には存在しない。
ただ、事故のリスクと家族の苛立ちと、母の帰宅願望が渦巻くだけだった。
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夜、娘は一人で窓の外を見つめる。
雨に濡れた街灯が揺れ、街は静かでも、胸の中は嵐だった。
「母さんを守りたい。でも、誰も守れない……」
その言葉が、静かに、でも確実に、家族全員の胸に落ちていた。




