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記憶のかけらと家族のかたち  作者: 櫻木サヱ
退所勧告と揺れる家族

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退所勧告と、家族の反発

施設の会議室には、重たい空気が流れていた。

テーブルの上には利用記録と事故報告書が積み重なり、時計の秒針がやけに大きく響く。


「……お母さまの夜間徘徊は、今月に入って7回目です」

担当の介護職員が静かに言葉を選びながら口を開いた。

「居室から出て、非常扉を開けようとされたこともあります。ご本人の安全を守るのが難しくなっています」


その言葉に、娘の胸がぎゅっと締めつけられた。

――わかってる。母がもう“昔の母”ではないことも。

でも、施設を追い出されるなんて、考えてもいなかった。


「……だからって、退所ってどういうことですか?」

旦那が声を荒らげた。

「こっちは高いお金払ってるんですよ。面倒見てくれるから預けてるんじゃないんですか!」


職員たちの顔が一瞬、硬くなる。

この言葉、聞き慣れている。

「金を払っている=何をしてもらっても当然」という家族。

現場の人間が、何度心をすり減らしてきたかわからない。


「もちろん、できる限りの対応はしてきました」

施設長が冷静に続ける。

「ただ……今の状態では、夜間対応の人員では安全を守れません。暴力行為も増えてきていますし、他の利用者さんへの影響も出ているんです」


娘の頭の中がぐらぐらと揺れた。

――暴力?

――お母さんが?


でも思い返せば、最近の母は以前のように穏やかではなかった。

夜中に「家に帰る」と怒鳴り、職員の腕を振り払って廊下を走ったと聞いた。

あの母が。あの優しかった母が……。


「そんなこと言われても、じゃあ、どうしろっていうんですか!」

娘の声も震え始めた。

「家ではもう見れないって言うから、ここにお願いしたんですよ……!」


「家で見てくださいとは言っていません」

施設長は淡々と告げた。

「ですが、医療的なケアや夜間の対応を強化できる施設を検討される必要があります」


その言葉が“追い出し”の宣告だと、全員がわかっていた。


旦那は拳を握りしめ、娘はうつむいたまま動けなかった。

職員の中にも、目を伏せる者がいた。

「退所」という言葉を口にするたび、胸の奥に鈍い痛みが残る。

それでも言わなければ、現場が壊れてしまう――それも、現実だ。


――廊下の奥から、聞き覚えのある声がした。

「お父さん……? 帰らなきゃ……家に帰らなきゃ……」


母だった。

職員が慌てて制止している。

靴をはこうとする母の姿は、どこか幼子のようで、でも、決して誰にも止められない強さがあった。


娘は思わず立ち上がり、ドアを開けた。

「お母さん……!」


母は娘を見ると、一瞬だけ笑顔を見せた。

そして――

「家に帰ろう?」

と、手を伸ばした。


娘は泣きそうになりながら、その手を取ることも、突き放すこともできなかった。

施設の職員たちは、誰も何も言えなかった。

家族の理想も、現場の現実も、この瞬間だけは残酷に並んで見えていた。

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