居場所のない場所
面談の翌朝、美咲は冷えたコーヒーを手に、ため息をついていた。
スマホの画面には、いくつもの施設の名前と電話番号。
転所先を探そうと夜中までリストアップしたが、どこも「満床です」「対応が難しいです」の一点張りだった。
「……どこも、だめか」
呟いた声は、自分の胸の奥に沈んでいった。
そのとき、リビングに父が降りてきた。
「どうなった」
「……どこも、受けてくれない」
「そんなはずないだろ。金さえ払えばどうにかなるもんじゃないのか」
その言葉に、美咲は思わず顔を上げた。
「……お父さん、現実見てよ。お金の問題じゃないの。今の状態じゃ、受け入れられる施設、限られてるんだよ」
「そんなこと言われてもな。家では見れん。わしら年寄りには無理じゃ」
「わかってる!でも……どこも無理なの!」
言葉が重なり、声が荒くなっていく。
その奥で、母が小さくうずくまっていた。
聞いているのか、わからない。けれど、その背中は妙に小さく見えた。
⸻
昼、美咲は再び施設へ。
職員たちの表情は疲れていたが、怒りではなかった。
それぞれが夜間の混乱の中、身も心も削って対応しているのが伝わる。
担当の介護士が言った。
「昨夜も夜中の2時に玄関に出られて……。他の利用者さんの部屋にも入ってしまって。みなさん眠れなかったんです」
「すみません……」
美咲は自然と頭を下げていた。
だが、職員の目には“謝ってほしい”という感情はなかった。
ただ“もう限界です”という現実が静かに宿っていた。
⸻
面談室。
今度はケアマネが、冷静な声で告げた。
「○○さん、今の状態では、特養では難しいです。重度対応のグループホーム、もしくは認知症専門の医療型施設の検討が必要です」
「……でも、そんなところすぐ入れないって聞きました」
「ええ。数か月、長ければ年単位の待ちです」
言葉が喉の奥でつかえ、美咲は視界が滲んだ。
「……じゃあ、母はどうすればいいんですか」
ケアマネは目を伏せた。
「ご家族で、いったん自宅での介護を……」
「無理だ!」
父の怒声が、ドアの外まで響いた。
「わしらはもう限界なんじゃ!だから施設に入れたんじゃろ!職員だってプロじゃろうが!もっとちゃんと見てくれればええだけの話じゃ!」
その言葉に、職員の顔が一瞬強張った。
だが、誰も反論しなかった。
責めたいわけじゃない。ただ、現実がそこにあるだけだった。
⸻
母はちょうどリビングで昼食をとっていた。
ご飯粒をこぼしながら、「帰るんよ」と小さく呟き続ける。
職員が何度声をかけても、その言葉は止まらなかった。
美咲はその光景を見つめながら、自分の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。
――母にはもう、「ここ」は居場所じゃないのかもしれない。
でも「家」にも戻れない。
どこにも居場所がない人になってしまった。
⸻
夜、自宅のリビング。
父は酒を飲みながらぼそぼそと呟いた。
「わしは……悪くない。悪くないじゃろ……」
その声には怒りではなく、情けなさと恐怖が混ざっていた。
美咲は何も言えなかった。
母を責める気持ちは誰も持っていない。
でも、それぞれが「誰のせいでもない現実」に、少しずつ押し潰されていた。




