柿の木の下で
夜更け。
母は小さな寝息を立てていた。
その額には、ほんのり汗がにじんでいる。
夢を見ているのだろう。
時折、口の端が動き、
「おかあさん」とつぶやく声が漏れる。
⸻
──夢の中。
夏の終わり、山のふもとの古い家。
縁側の前には、大きな柿の木があった。
まだ青い実がいくつも実って、風に揺れている。
母は、幼い少女の姿になっていた。
裸足で土を踏みしめながら、家の中をのぞく。
中では、若い母親が針仕事をしている。
けれど少女の声は届かない。
何度呼んでも、母親は振り返らなかった。
少女はぽつりと呟いた。
「どうしてうちは、ひとりなん?」
風が柿の葉を鳴らし、
陽射しが傾く。
⸻
現実の部屋で、美咲が母の手を握っていた。
母の指が、まるで何かを探すように動いた。
「母さん……?」
母は目を開けた。
焦点の合わない瞳で、美咲の顔を見つめる。
「おかあさん、どこ行ったんじゃろ……」
その言葉に、美咲の胸が締めつけられた。
父が静かに近づき、布団を直した。
「昔の夢を見よるんじゃろな」
直樹が言った。
「寂しかったんだと思うよ。子どものころから」
部屋の中がしんとする。
蛍光灯の音がやけに大きく響いた。
⸻
その夜、美咲は眠れなかった。
母の寝顔を見つめながら、心の中で呟いた。
「母さん……あんたも、ずっと頑張ってたんじゃね」
柿の木の夢は、
母が抱えてきた寂しさの記憶だった。
そしてそれを知った今、家族の誰もが少しだけ優しくなれた。




