幼き日の記憶と揺れる心
夜の静けさが家を包む中、母・陽子はリビングのソファでゆっくりと目を閉じていた。しかし、心の中は眠りにつくにはあまりにもざわめいていた。
突然、陽子の脳裏に幼い頃の光景が浮かぶ。母の記憶は、ぼんやりとした夢のように、だが鮮明な感情を伴って蘇る。
小学校の頃、母は一人で留守番をしていた。父は仕事で遅く、母親も家事に追われ、幼い陽子は孤独を感じていた。夜になると、家の中の物音が怖くて、ひとりで押入れの奥に隠れながら過ごすこともあった。外に出たい、誰かに抱きしめてもらいたいという気持ちを、誰にも言えずに押し込めていたのだ。
その記憶が、現在の夜間徘徊や突然の暴れにつながることを、陽子自身は自覚していない。ただ、胸の奥で不安や孤独がざわつき、家族に対する感情と入り混じる。幼い頃の「守られたい気持ち」と、現在の「自分を見失う瞬間」が重なり、手が震え、声が荒くなるのだ。
直樹はその日の昼、デイサービスで母が突然不安定になったことを思い出していた。母の瞳に浮かぶ恐怖は、単なる記憶の混乱ではなく、深い孤独の残像だと理解する。
「母さん、幼い頃に抱えていた寂しさが今も心の奥で揺れてるんだ…」直樹はそう思いながら、母に寄り添う方法を考える。
浩一もまた、母の暴れた夜を思い返していた。単に手を出すのではなく、心を落ち着けることが大切だと痛感する。
「昔の孤独を、今の俺たちで少しでも埋められたら…」胸の奥に初めて具体的な責任感が芽生える。
その夜、母は夢と現実の狭間で小さな声を漏らす。
「怖い…ひとり…でも、家にいる…」
その声に、直樹と美咲、浩一は即座に気づき、手を差し伸べる。幼き日の孤独を抱えた母の心を、家族が温かさで包み込む瞬間だった。
美咲はそっと母の手を握り、低く語りかける。
「大丈夫だよ、母さん。もう一人じゃないよ。私たちがずっとそばにいる」
直樹も膝をつき、母の目を見つめる。
「怖い記憶は残るかもしれない。でも、今は家族がいる。だから安心して」
浩一は少し距離を置きながらも、静かに頷く。
「俺もいる。母さんを守るために、何があってもここにいる」
母の目から涙が溢れる。幼い頃の孤独と、今の家族の愛情が混ざり合い、胸の奥で何かがゆっくり解けていく。声は小さいが、家族への信頼が芽生える瞬間だ。
夜が深まるにつれ、母は穏やかに眠りにつく。家族はその姿を見守りながら、静かに心の中で誓う。
「母さんの過去の孤独も、今の揺れる心も、全部受け止めて、家族として支えていこう」
窓の外に柔らかな月明かりが差し込み、家の中に静かな温かさが広がる。幼い頃の記憶が混ざった不安はまだ完全には消えないが、家族の愛と絆が、少しずつ安心を作り出していた。




