小さな笑顔、大きな絆
夕方、家族はリビングに集まっていた。デイサービスから帰った母・陽子は、手作りの小さな飾りを見せて微笑んでいる。
「見て、こんなに上手にできたのよ」母は誇らしげに作品をテーブルに置く。
直樹と美咲は、その笑顔を見てほっと胸をなでおろす。昨夜の夜間徘徊、そして朝の決意――あれから家族全員の心が少しずつ動いてきたのだ。
浩一は、無言でその様子を眺めていた。最初は「大げさだ」と思い、否認の態度を取っていた自分。しかし、昨夜の徘徊の光景が目に焼き付いて離れない。外に出た母の姿、暗闇の中で抱きしめた直樹の必死さ。
「…確かに、無視できる問題じゃないな」浩一は小さく呟く。自分の心の中で否認していた思いが、少しずつ現実と折り合いをつけ始めている瞬間だった。
母は浩一の視線に気づき、少し照れくさそうに笑う。
「あなたも、作品を褒めてくれるの?」
浩一はぎこちなく肩をすくめるが、やがて小さく笑った。
「まあ…なかなか上手にできたな」
直樹はその表情にほっとする。浩一もまた、母を支える気持ちに少しずつ心を開いているのだと感じたからだ。
美咲もそっと母の手を握る。
「母さん、今日も楽しめたね。私たちも嬉しい」
母は微笑み、子どもたちの手を握り返す。その瞬間、リビングに流れる空気が柔らかくなった。葛藤や否認があった日々も、こうした小さな笑顔の積み重ねで少しずつ和らいでいく――それを家族全員が感じた。
浩一はふと、自分の胸の奥にあった迷いと苛立ちを思い出す。
「正直、面倒だと思うこともあった。だが、こうして母が笑っていると…やっぱり守らなきゃと思うな」
直樹は父のつぶやきに耳を傾け、心の中で小さく頷く。父も葛藤しながらも、母を思う気持ちがあるのだと確信したからだ。
夕食後、母が眠ったあと、浩一は直樹と美咲に言った。
「昨夜のことも含めて、もう少し母さんのことを真剣に考えようと思う。俺も協力する」
直樹は少し驚きながらも、嬉しそうに頷く。
美咲も微笑み、家族の絆を再確認した。
窓の外には静かな夜風が吹き、家の中に柔らかな光が差し込む。小さな笑顔、家族の小さな努力、そして理解――それが少しずつ大きな絆となって家族をつなぎ、認知症という現実の中でも、温かさと希望を生んでいた。




