夜の不安、朝の決意
夜が深くなり、家の中は静まり返る。だが直樹の胸には、昨夜の夜間徘徊の記憶が鮮明に残っていた。母・陽子が一人で外に出たこと、街灯に照らされた小さな影、そして抱きしめた瞬間の震える手…。その光景が、まるで胸の奥で何度も反芻されるかのように心を締めつける。
美咲もリビングでソファに座り、布団に包まった毛布の端をぎゅっと握っていた。目は赤く、眠れなかった様子が見て取れる。
「直樹…昨夜、本当に怖かったね」小さな声で美咲がつぶやく。
直樹は深く息をつき、目を閉じる。
「うん…でも、母さんは無事だった。大丈夫だと思っても、もう二度と同じことをさせちゃいけない」
浩一は寝室のドアの隙間から顔を出し、眠そうに声を出す。
「子どもたち、そんなに大騒ぎするな。母さんは元気だから…」
直樹の目が鋭くなる。
「元気じゃないから問題なんだ!昨夜だって自分で帰れなかったじゃないか」
浩一は言葉を返す前にため息をつく。口を開く代わりに、頭をかきながらうつむく。否認していた気持ちが、少しずつ現実に押されていることを自覚したのだろう。
美咲は母の寝室をそっと覗き、毛布を整えながら母に小声で話しかける。
「母さん、安心して眠ってね。私たちが見守るから」
母・陽子はまだ目を閉じており、眠っているのか夢うつつなのか定かではない。だが、手を伸ばすと、微かに子どもの手に触れた感触があった。
翌朝、朝日が差し込むリビングで、家族は再び顔を合わせる。昨夜の出来事を無視するわけにはいかない。
直樹は決意を込めて話す。
「今日から夜間の安全策を本格的に考えたい。ケアマネージャーとも連絡を取って、センサーや見守りの方法を具体的に決める」
美咲も強く頷く。
「母さんが安全に過ごせるように、私たちも協力する。父さんも一緒に考えてほしい」
浩一は黙ったままだが、子どもたちの真剣な目を見て、小さく頷いた。
その後、直樹はケアマネージャーに電話をかけ、昨夜の夜間徘徊の詳細を伝える。ケアマネは深刻な調子で話を聞き、訪問見守りや夜間センサー、デイサービスでの観察強化を提案してくれた。
母が目を覚ます前に、美咲はそっと枕元に座り、手を握る。
「母さん、昨夜は心配したよ。もう危ない目に遭わせないからね」
母はまだ半分眠っており、目をゆっくり開ける。
「ごめんね…でも外の空気を吸ったら落ち着いたの」
美咲は微笑みながら頷く。
「そうか、でもこれからは安全な方法で外の空気を感じようね」
直樹も心の中で決意を新たにする。
「母さんを守るために、家族みんなで支える。否認や葛藤もあるけど、これが僕たちの責任だ」
家族の心には少しずつ、現実を受け入れ、母を支える決意と温かさが芽生えた。
夜の不安が朝の行動へと変わる――その一歩が、母と家族の安全な日常への確かな橋渡しになるのだった。




