第八話 第一王女
「トルトスィエラ姉様、マルテベプー姉様」
第四王子である可愛い弟が、あたくしと、あたくしの双子の妹、マルタの名を呼ぶ。
他の家族は皆、トルテ、マルタ、と愛称で呼ぶけれど。そして、それは文字通り愛情からである事は知っているけれど。この子の律儀な呼び方に、いつも嬉しくなるの。
勿論──という言い方は悲しいけれど、そこに距離を見る者はそれなりの数、いるでしょうね。
でも。
とても丁寧に、取りこぼしのないよう、慎重に。この子が家族を大切にしている証だと、あたくしには分かるから。
ただ、神女様を母に持つ所為か、その結果の周囲の彼への扱いの所為か。この子の家族への接し方は、あたくしから見れば幼子のたどたどしい発語のように懸命でぎこちなく見える。
そしてその様が、この子は人の身ではないのだと突きつけられるようで、あたくしは寂しい、と感じてしまうの。
その所為でいつか、この子を取り上げられるような不安を覚えてしまう。
だから。
神の世に取り上げられることのないよう、この子が人の世に残る事を選んでくれるよう。あたくしとマルタは定期的に彼との“勉強会”を行っているの。
この不安はあたくしとマルタだけのものではない。と思うけれど、周りの大人達は彼に押し付けない事を選び、あたくしと妹は結果として押し付ける事を選んだ。
けれどお父様にも臣の者達にも咎められた事はないから。「お互いの気持ちは分かる」といったところかしらね?
……これも結局は半端となりはしまいか。不安はあるわ、もちろん。
それでも、行動せずにはおれないの。
どうか、あたくし達を選んで。
その願いから、今日も愛しい弟を部屋に迎え入れる。
第一側妃であるあたくしの母からの言葉。それをこの子の口から聞く。
その様子は、お母様の言葉を扱いあぐねているように見えた。
この子にとって、彼らは既に排除された存在なのでしょうね。
民まで外に追いやっている事には驚いたけれど、新貴族派の領民達が現王家に対して反発を強めている事は事実。耳に入れてしまった時点でこの子がそう判断する事自体は想像に難くない。
この子の目は、民ではなくあたくし達家族へ向いているから。
そしてそれは、この子へ施す教育を誤った王家と臣、すなわち国の失態。
それとも、神籍に連なる存在に人の世の縛りを押し付けた所為かしら。
それでも。
あたくしは、この子に人の世で生きてほしいから。
ひとつずつ、己の考えを弟へと伝える。
お母様のお考えも分からなくはない。
この子自身の力なのか、神女様の御力なのか、どちらにせよ無関係とは思えないもの。
事実、新貴族派の領民は苦しんでいるけれど、その貴族家に仕える使用人たちに被害はない、と話に聞いているし。
この子にとって、新貴族派の貴族は王家を害する存在で、領民もそれに追随するもの。
けれど、使用人たちに関しては情報が──おそらく使用人たちの噂話などでしょうけど──特になかった事から身近な存在との比較になったのでしょうね。
つまり、自分達に忠誠を誓い、よく仕えてくれる存在。そういう認識になっているのだと思うの。
だから、今回すべき事は。この子に全てを委ねて願う事ではなく、一つひとつの結び目を解いていく事。
「民は、あたくし達のような王侯貴族とは違うわ。受ける恩恵の種類が異なり、その責も異なってくる」
「国が教育を施すにも、場所も人員の確保も限度がある。だから望まぬ者は一定の水準以降の教育を提供されず、ゆえに誰もが広い見識や深い思考を持つ国を作る事は、人の身には……少なくともこの国の現状としては不可能でしょうね」
「そもそも、人とは全てにおいて完全とは成り得ないの」
「思考や感情も強要できるものではないわ。人によっては強要や洗脳を選ぶ者もいるけれど、この国は、お父様は、それを選ばなかった」
「意識とは、知識のみばかりではなく感情や共感にも引きずられるものよ。そして共感は、身近な存在に抱きやすいもの。今回の領民の意識がそれね」
お父様や后妃様ならどのように伝えるかは分からない。
けれどこの子があたくし達にこの話をするという事は、おそらくは一時的にでも任されたのだと判断する。
だから、あたくしは言葉を尽くす。この子が神籍に連なる存在だからと、人から遠ざかる事のないように。
なぜなら、あたくしがこの子を愛するように、この子はあたくし達を、そして結果人という存在を、愛しているのだから。
弟の知識や思考は、酷く偏っているし、バラバラに散ってもいる。それがあたくしと妹の判断。
満遍なく散っていた粉に雑に水を吹きかけたような、そんな印象ね。
小さなダマが飛び散っている様を思わせる、弟の知識や意識。歪で小さな塊が点々としていて、統一されていないし均一でもない。
そしてそれは、いまさら粉末に戻せるものでもないのでしょう。
でもせめて、多少なりとも人のそれに近づけられたなら。
そうでなければ、この子は。
弟の環境は、第一側妃である母の辿ってきたそれと似ている。
母は神からの約束ゆえに、弟は神籍に連なるその身ゆえに。余計な知識を与えないように育てられた。
そればかりでなく、出来るだけ真綿でくるむように幸福の檻に収められて。
下手に知識を与えた所為で生じた欲がゆえに、不幸にさらした所為で怒りや憎しみを抱いたがゆえに、神のその力が振るわれる事を防ぐため。理由はそれに尽きるのだけど。
その結果、だと思うの。
お母様は、母は、善良で凡庸な妃だと、そういわれているわ。
それゆえでしょうね。母を「神の娘」と呼称する者もいるの。
神より約束を賜った、愛されし子。という意味はあくまで表。還生誕を迎える前の子供のようである、という皮肉こそがこの呼称の意味ね。
母には、そして弟には、純粋なままに残っている核があるように見える。
それは善意や悪意で括れるものではなく、確かに、幼子のそれのままといえるでしょう。
側妃に過ぎぬ、そして何より人の域を出る事のかなわない母は、それでも良かったのかもしれない。少なくとも今までは。
けれどこの子は──
……いいえ、母の立場でも駄目ね。
だって、そんな母の在り方であるからこそ、今回のように動いてしまったのだもの。
この子を「人」と切り離すような物言いには、あたくしからも意見をさせていただかなければ。
そこまで考えて、あたくしとマルタは顔を見合わせる。
神女様の御子というだけだから、この子は腫物のような扱いを受けるのだ。
ならば、この子自身が何者であるのか、明確にすればいい。
そうすれば皆、この子自身をきちんと見るのではなくて?
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回はまた3日置いての投稿の予定です。
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