第六話 第一側妃
すみません遅くなりました。
第六話です。
よろしくお願いします。
バンシェリエ伯爵から、近い日の謁見を望む申し込みがあったと、取り次ぎを受ける。
おそらく、わたくしが神霊から賜った「機会」を使いたいという話でしょう。陳情はまだ上がっていないようだけれど、先日の交遊以降、新貴族派が騒がしさを見せているもの。
おそらくは神女様か、あるいは御子であらせられる第四王子殿下の御力──
陛下はまだ何もおっしゃらないけれど、どのようにお考えなのかしら。
今回の伯爵の申し込みはわたくしへ取り次がれたけれど……。わたくしを試しておいでという事?
神霊は如何に思し召しなのか、知れたならいいのに──それとも今の新貴族派の状況こそが答えなのかしら。
わからない……。
わたくしは、ただ歌う事しかできないという事なのかしら。
幼い頃はただ歌っていれば幸せでいられた。ああ、本当にあの頃はただそれだけで、すべてが幸福だった。
気が小さいのは昔からの事だけれど、歌っているわたくしを、家族も使用人も笑んで見守ってくれていた。わたくしが唯一自ら望んだものが歌だけだった、という事もあるのでしょうけれど。
全てが変わったのも、その歌が理由だというのは皮肉なのかしらね。
ただ心のままに歌っていたわたくしが、神霊に、世界を揺蕩う神々に機会を賜ったあの日の事は、おそらく死んでも忘れないでしょう。
わたくしの歌声をお気に召されたと、ゆえにわたくしの生涯にただ一度、心の底からの望みに力を貸そうと、神霊は御言葉を下された。
あの時、わたくしはまだその重大さを理解できなかったけれど、周囲は大きな騒ぎになったわ……。本当にとても、大きな騒ぎだった。
そうして、わたくしは国益のための供物となった。
神にのみ捧げるようにと、自由に歌う事を禁じられ、婚約はまだどの家とも結ばれていない事を幸いと、今後も婚約者をもうけない事が決められた。
もし、当時王太子であらせられた陛下に結ばれた婚約がなかったならばわたくしが后妃となっていたのかもしれないけれど、その頃既に陛下は現后妃様と婚約されていたから、意味のない仮定でしかなかった。それをまだ幼いわたくしにしきりとこぼしていた者たちは、本当に何を考えていたのかしら。陛下は他に婚約者をもうける事はないと宣言されていたし、そうでなくとも友好国の公主、すなわち王女である后妃様を軽んじるような振る舞いなどできるわけもないのに。
それに。
わたくしはその事よりも何よりも、歌を取り上げられた事が。ただそれだけが、苦しかった。
いいえ、周囲はわたくしから取り上げたつもりはなかったのでしょう。週に一度神殿に連れていかれ、その一室で「さあ歌いなさい」とひとり取り残されたもの。
けれど今でも思うわ。周囲は何を考えていたのかしらって。
そんな時間、ただの苦痛でしかないのに。
わたくしは適当に数を数えてそれなりの時間を確かめてからその部屋を出る事を繰り返すしかなかったわ。今までのように歌うなんて、わたくしには到底無理だったから。
それがせめてもの反抗だったのか、ただの枯渇だったのか、わたくしにもわからなかった。ただ、その部屋の音が周囲に漏れない事はわたくしにとって救いとなっていた。わたくしが一切歌っていないと、誰も気が付かなかったもの。人の耳に聞かせてはならないと、周囲が気をまわした結果。そう思うと皮肉だけれど。
わたくしの存在は宙に吊るされた飾り物のようだった。誰にも触れられる事はなく、己が足で立つことも許されず。ただ遠巻きに眺められる飾り物。
そうして宙に浮いたまま、わたくしの時は流れていった。
けれど時はそのまま流れ続ける事はなかった。
后妃様は、病弱というほどではなかったけれど、元々さして丈夫というほどでもなかった。そのせいか、王子をおふたりお産みになると、それ以降は子を成す事が危険視されるお体になってしまわれた。
後継となるであろう第一王子と、補佐となる第二王子をお産みになったのだもの。通常であれば陛下は側妃を娶ろうなどとはなさらなかったでしょう。
でも、陛下には叔母君である啓眼の姫の遺した言葉があった。
だからこそ陛下は后妃様以外の妻を迎えたくない、とお考えのようだったけれど、国の中枢はそれを認めるわけにはいかない、という判断を選んだ。
そして。
わたくしリャーヒル公爵令嬢を第一側妃、ユレーツェ侯爵令嬢を第二側妃として同時に迎える形が選択された。ふたりとも、神に所縁がある令嬢だったから。
もっとも、わたくしは啓眼の姫の遺されたお言葉については一切知らずに育っていた。というよりも、臣下であれ多くの者は知らなかったのだけれど。
だから。王子をおふたり。こういう言い方はよくないけれど既に確保している王家が、意思を曲げそうに見えなかった陛下が、側妃を迎える事にとても驚いた。后妃様だって、仮にあらかじめ神女様の事は聞かされていても、側妃だなんて話はむしろ否定されて嫁いでいらしたでしょうし。
けれど現実として、神との所縁あればこそ誰とも婚姻を結んでいなかったわたくしとユレーツェ家の令嬢は、なればこそ陛下の側妃として王家に迎えられた。
そして、わたくし達は問題もなく子を授かった。
やがてわたくしが三人目の子を授かり、后妃様がお産みになった第一王子殿下が立太子された年、神女様が陛下の前に顕現された。
陛下はそれまで、啓眼の姫の遺された言葉を拒絶されているように見えた。少なくともわたくしの目には。
けれど実際に神女様が顕現され、陛下はやっと目が覚めたというように、神女様へご自身の想いと信奉を捧げられた。后妃様やわたくし達側妃との間にもうけた子供達の愛しさにも、ようやく気が付いたという様子を見せられた。
それまでも、陛下は后妃様やわたくしたち側妃、そして子供達に誠意を見せてくださってはいたけれど。それはあくまでも人としての誠意であり、王家としての使命であり、共に過ごす者の情だった。
それが、子供達に心からの笑みを向ける陛下を見たとき。
わたくしは、わたくしも、やっと。気が付いたの。陛下をお慕いしている事と、そして何より、子供達が陛下から誠意ばかりでなく愛を向けていただけるよう望んでいた事に。さらにそれが心からの願いとなり、神の約束が果たされた事に。
そう、もう神から賜った機会は消費された。
今、バンシェリエ伯爵がどれほどに望もうとも、もうわたくしは何の力にもなる事はないでしょう。
けれど伯爵が病に伏していないという事は、神女様、あるいは第四王子殿下からの認識によって現在新貴族派の事態が生れているという事の証左になるのでしょうね。
そうなると、おそらくは神霊である神女様の御力ではなく第四王子殿下の意思ないし感情、あるいは無意識の意識、というものかしら。
……こうなってくると、神女様の御子だからと王子教育に不足をもうける事が良い結果を生むのか、疑問を抱く必要があるのではないかしら。
でも。
神より与えられた機会ももはや残らない、ただの側妃であるわたくしに口を挟む事など許されるのかしら……。機会を自身のために消費したのだと、いまだ誰にも明かせずにいるような、側妃たる資格もないわたくしに。
考え込みそうになるわたくしに侍女が、第四王子殿下がおいでになったと告げる。
神に響く歌声をわたくしが持っていたとお聞きになった殿下がわたくしに歌を所望され、数日おきに訪問を受けるようになってからそれなりに経つ。
殿下は神に連なる方ゆえなのか、己の耳にはさしたる技術もない歌声を、心地良いと仰って毎回幸せそうに目を閉じて御聞き下さる。
歌う事から遠ざかって久しいわたくしだったけれど、この時間を今では心待ちにするようになっている。歌う喜びを、思い出したの。
殿下を迎えて過ごす今からの時間を思い、思わず笑みが浮かぶ。
そして、ふと、思い浮かんだのは、気の迷いかもしれないけれど。
もし。もしもわたくしが、殿下に願ったならば、新貴族派の、せめて領民や領地の状況は変わるかしら。
ふるり、と体が震えた。
そしてわたくしは、殿下を迎えるために、前を、見た。
第六話、いかがでしたか?
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