第四話 第二側妃
わたくしの息子──ルイが目元を緩めている。
知らぬ者からすれば何の色も見出せぬ人形のような顔だろうが、しかしわたくしからすれば雄弁にその心を語っている。
先程。神女様の御子である第四王子殿下から、贈った茶葉に対する感謝と、神女様からの御言葉が伝えられた。
勿論、神女様へ贈るために第四王子殿下を経由した、などといった意図はない。そのように尊き殿下を利用する愚か者など、そもそもこの王家に存在しない。
けれど殿下御自身、神女様へ贈るに足ると判断され、そして神女様が御よろこびくださったのだと知る事は、わたくしに無上の喜びをもたらした。
わたくしは幼き頃より、世界を満たす神霊の威容が視えていた。
そして、それは国と神殿にすぐさま周知された。我が侯爵家は国の重臣であると共に、神殿に近い立場にあったゆえだ。
神官にも稀にしかみられぬ力である。
陛下が神女様との御子を授かるという啓眼の姫君を通した神託、そして后妃様のおからだの事がもしもなかったならば、わたくしが妃となる事はなかっただろうと思うのは、わたくしだけではないだろう。
勿論、各国の例にもれずこの国も、たとえわたくしのような力を持とうとも、強制的に神官等の地位に就けられる事はない。また神官が神の妻や夫として存在しているわけでもない。
稀にそう動く国もあるが、基本的には「真実心から信仰を捧げるのでない限り神のお側にあってはならない」「人の身にすぎぬ者を神の伴侶になどという考えは不遜」というのが共通の認識なのだから。
ゆえに、わたくしの生涯が神の妻等として定められていたわけではない。だが、わたくしは自身の意思で、生涯を神に捧げるつもりであった。
もっとも神霊は、神は、はるか高みの存在であり、人間が泥にまみれようが清くあろうがそこに差を見る事はないのだろう。しかしわたくしは、第四王子殿下に拝謁するまで、そんな事にも気が付かずにいた。
その殿下は。わたくしの信仰が、神女様をはじめとした神霊や主世、神々に対してのみ向いている者と御考えのようだが、殿下もまた、わたくしが信仰を捧げる御方なのだ。
殿下に対する信仰。その下地は、殿下が神女様の御子であり人を超えた存在という事実である。だがしかし、わたくしが捧げる信仰、それを占める割合でいうならば、殿下ご自身の威光に触れた経験が何よりも大きい。
殿下は、わたくしの世界を大きく変えられた。
そも、わたくしの息子であるルイの事ひとつをとっても、殿下の御力は大きくある。
わたくしは己が子を得る事など、念頭にすら置かずにそれまでの人生を生きていた。
けれども実際に我が子を授かり、その命に触れ、感動というものを知った。この子のためならば神が関わらずとも命をかけようと思った。
けれどその愛しい我が子は。
産まれた瞬間に大きな産声こそ上げたものの、その後は感情の起伏も、意思も、まるで見えない子供だった。わたくしも子供の時分から感情というものに乏しい自覚はあったが、ルイのそれは異常ともいえるほどで。わたくしの所為だと、周囲が口にする事はなかったが、わたくしはそう己を責めた。
しかしそれは陛下のもとに神女様が顕現され、そして殿下を授かった事によって、大きく変化を見せたのだった。
ルイが三歳の年。殿下への拝謁が許されたあの日。
わたくしははじめて、ルイの感情を見た。
表情や目の動きに変化を見せ、殿下の御手に触れるルイは、確かにその心を動かしていた。否、心を表に出していた。
その日を境にわたくしは知っていく事となったが、ルイは心と表に常人よりも隔たりがあるだけで、心は実に豊かな動きを見せる子供であったのだ。
それは別段分かりやすい御業がふるわれたわけでもない、子供同士のただの触れ合いだった。けれど、わたくしにとってのこの「奇跡」は、殿下の存在ゆえの事。それを、わたくしは即座に理解した。
その時に、尊くはあれど数多の神々と等しかった神女様と殿下が、わたくしにとって「特別」の存在となったのだ。
けれど同時に。
わたくしは恐れを抱いた。
もとより神には畏怖を抱いていたが、その時抱いた感情は「恐怖」だった。
もしも神に見限られたなら、わたくしはこの子を永遠に失う事も十分にあり得るのだと、そう理解してしまったのだ。
その日から、わたくしはルイにいい聞かせ続けた。
神に与えられるに至る愚かさを、そのまなざしを向けられる恐ろしさを、至高の加護を授かった王家の恥を。
それこそ、ルイにそう言い聞かせるようになったはじめの頃は、我が事ながら鬼気迫る様であったと思う。
けれど陛下や家臣の者達は、わたくしのその有様も有益に利用していた。
わたくしは確かにその時、失望したのだ。そして今でも覚えている、殿下を連れた侍女とすれ違った廊下で、わたくしの口から「これが人か」と零れたのだ。
するとその時、殿下は大層愉快そうに御笑いになった。
ただそれだけ。それだけの事だった。
しかしわたくしはその時、殿下という尊き存在に、そしてこの国のあらゆる人々に、許されていると、そう感じたのだ。
それは問われても、わたくしには説明のできない感覚だった。
そもそも何をどこまで許されているとも言葉にできない。ただ殿下は御笑いになったにすぎず、御言葉を賜ったわけでもなく、国中の人間の心の内をわたくしが知り得るわけでもない。
けれどわたくしは確かに、それを真実だと感じた。
その日以降、わたくしは政としてルイにいい聞かせを続けている。第三王子たるルイもまた、それを理解している。
そして。
我が子が、陛下が、心をそそぐその殿下は。
あの方は神女様のような神霊ではなく、またわたくし達のような命あるものでもない。わたくしにはそれが視えている。
本来は人間のように感情を持ち得る存在でもないのだろう。神霊とは異なり人に寄り添おうとなさっているが、各所にズレが見える。それは本質を見抜きながら表面を鵜吞みにするような、奥深くを覗き込みながら「己は空を仰ぎ見ている」と疑わぬような。そんな違和感と隔たりが、殿下にはあった。
その様子を目の当たりにするたび、思うのだ。「殿下は本来、物のような存在なのだろう」と。
おそらく殿下の感情や思考というものは、人のそれの模倣なのだろう。本来は感情も思考もなく、ただそこにあり周囲に影響は及ぼすが自身が何をするわけでもない存在。
けれどただそうであった存在は、しかし陛下の子として、我が子らの家族として、生まれた事により何かしらの変化が生じたのではなかろうか。
神と人の狭間に生まれ、そしてそのどちらにも居場所を持たぬ幼い子供。
けれど間違いなく、ご自身なりの方法でわたくし達を愛してくださる天与の宝。
そして、わたくしにルイを与えてくださった神託の恩寵。
殿下は神ではなく、血の通う我が子でもないが、わたくしは殿下のためならばこの命も捧げたいと思う。
否。
これは願いだ。叶うならばわたくしを捧げる事で、殿下に人の子のような幸福が約束されてほしいという、愚かな願い。
その御姿が如何にいとけない人の子のように見えようとも、けしてその範疇にある御方ではないというのに。
わたくしは信仰心と共に畏れ多くも、殿下を愛おしいと、感じてしまうのだ。
王家の恥第四話でした。
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ではまた、次回。