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第九話 孤独、皇帝と宦官

 朱祁鎮は后妃を迎え、一家を持った。青年皇帝に新たな欲が生まれる。批紅を入れ、行事をこなす毎日では刺激が足りない。彼は曽祖父の永楽帝のような大事業を夢見た。また、父の宣徳帝の葬儀で行われた妃嬪の殉死を残酷に思い、その制度を廃止しようと考えていた。青年の自我は繊細かつ大胆だった。それは思慮深さとは違っていたが、彼は天子であり、皇帝であり、独裁者だ。王振は問題にもしない。


 王振は時に自問した。富貴のうち、富が尊いか。貴が尊いか。

「富に決まっている。そもそも富と貴の字をくっつけてどうする。両雄並び立たずというだろう?

 富の力は偉大だが、貴の力とは何だ。富に重きをおけば、貴が軽くなるのは当たり前ではないか。軽くならない貴は皇帝だけでいい。土地も民もすべては皇帝のもの、皇帝はただ一人、頂点に立っておられる」


 正統十四年、王振の蓄財は国家予算の半分に匹敵するほどだった。

 皇城の東に建てた大邸宅には高さ七尺の珊瑚柱が三十、太湖の石柱が二十、翡翠の器類が五百、金と銀のオブジェが六十、ありとあらゆる貴重な財宝類、官銀の純正品が数千万両。

 邸宅では彼が故郷から呼び寄せた甥たちが北京の暮らしを満喫していた。

 三十歳を超えた王振は我が子の代わりに多勢の朋党を支えた。そして持ちえないはずの父性を以て皇帝の信頼と寵愛を得ていた。

   

 彼の蓄財と皇帝との関係は切っても切り離せない性質を帯びていた。 


 これが余人に分かるだろうか。いや、無理だ、無理なのだ。天の意を受けた天子、すなわち皇帝になった者と側仕えに挺身した者の複雑怪奇な関係を誰が分かろうか。


 人は誰もが孤独だが、皇帝のそれは想像を絶する。

 なにしろ人であって人でない。天の子、天子となるのだ。

 孝行が第一とされた大明国の価値観の下でさえ、皇帝の子は所詮臣下であり、親子の情は遠くなり、時に皇妃たちとの繋がりは虚無に帰る。それでいて絶えず血統のケアに励み、気象に天意を読まねばならない。独裁皇帝となった天子の宿命だった。

 彼は大きな矛盾に生きていた。それに自覚があってもなくても、皇帝は存在し続けねばならない。


 どれほどの権力を持とうと、側仕えの王振もまた欠損者として本能的に孤独を埋めたかった。埋めるのが朋党であり蓄財であり、皇帝との繋がりだった。


 それは矛盾することなく、皇帝と宦官の必然としてあった。

 必然でなくて何だ?

 紫禁城の内廷を知らずに答えられる者がいようか。


 その頃、北方ではオイラト族のエセンが急激に勢力を結集し、モンゴル族をも支配下においていた。

 

 王振はオイラト人と密貿易をしていた。漠北への要衛である大同城を部下の郭靖に守備させ、明の物資と引換えに多数の名馬を手に入れた。馬の飼育のためにオイラト人を雇うほどだった。気性の良い馬を選んで皇帝に差し上げると、彼は気に入って乗りこなしていた。麗しい光景だった。


 オイラト人は大明国への朝貢を好んだ。なぜなら、オイラトが献上する品物より大明国の御下賜の金品が圧倒的に多いからだ。

 最初の朝貢使節団は五十人限定だった。が、彼ら一人一人にも下賜の品が支給されたから、使節団は次第に数を増し、二千人に膨れ上がった。


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