第七話 専横の始まり
臣下、特に文官は出世という現世利益に汲々としていた。彼らと皇帝を取持つのは王振だ。
司礼監掌印太監・王振の許可なしに、陛下に謁見は出来ない。
「許可が欲しければ、袖の下から銀五十両を出すがよかろう。お前の奏上を陛下にぴーほんして欲しければ、銀百両は安かろう、朱墨を入れるのは私の部下だが」
正如我所料!
臣下たちはたちまち愛想笑いと共に銀の詰まった箱を用意した。
彼らの後ろにあるのは一族どころか九族の繁栄、または利潤を生む結社組織の群れだ。凄まじいまでの出世欲が値千金の形で、王振の手中に転がり込む時代が来た。濡れ手に粟とはこの事だ。
回転の速い王振の頭脳は活き活きとする。
「十年前の判断は正しかった。生き馬の目を抜く官界で神経をすり減らすより早かったではないか!」
官も民も、聖も俗も、何もかもがお世辞と金にまみれた。儒教の建前を女子供と自分より権威の下位に居る男に押し付けて、強欲の本音が宮中で横行を始めた。
工部郎中の王祐は髭を剃り落としてしまった。王振が「髭がございませんね」と問えば、彼はにこやかに言った。
「親愛なる老爺、あなたさまが髭を蓄えないのに、この臣下があえて髭を生やせましょうか」
王振は機嫌よく彼を昇進させた。
万事がこの通りだった。徐晞は兵部尚書に、王文は都御使に、お世辞一つで昇進した。
また王振は甥の王山と王林を錦衣衛指揮同知と錦衣衛指揮倹事に任命した。王振の腹心の宦官である馬順、郭敬、陳官、唐童たちも重要な地位を占めた。
北京だけでない。遠く福建省の宋彰は横領した数万銀を以て王振の朋党となり、その地で布政使の地位を得た。
皇帝は十代後半、王振の専横に何の疑問も持たず、日課の学問を手短にすませ、娶るべき妻選びに頭を悩ませ、落雷で奉天殿の一角が壊れた時は「天の意図は何か」と勅令を出して臣下の意見を求めていた。
王振はこの機にも眼を光らせた。案の定「太監の批紅代行の権限を減らし、陛下の大権を自らなされませ」旨の奏上があった。
翰林院侍講の叛骨者、劉球だった。
王振は彼を牢獄に送り、すでに収監していた篇集官の董磷という男を使った。部下の馬順は毒薬を手にして董磷を脅した。
「死にたくなければ、劉球が公金を横領していると証言するだけでいいぞ」
かくして劉球は斬首となった。
また、王振は部下の太監のお気に入りの召使を怒鳴った駙馬都尉の石碌を逮捕し、錦衣衛の牢に入れた。
理由は、欠損者である宦官が最低の身分だからと、ささいなことで罵倒したからである。この屈辱を返してやらねば、宦官長として申し訳がたたない。
その恩に、宦官たちは王振を「翁父」と呼んだ。
こうした環境下で皇帝が王振を「老師」と尊敬を込めて呼ぶ。他の皇族がそれに倣い、自然と彼らも王振を「翁父」と呼ぶ。
臣下たちの中で最も恥知らずな者は王振に最高の呼び名を捧げた。「乾爹」、血縁がなくても養父として面倒を見る、もうひとりの父親を意味する。いわばゴッドファーザーだ。