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第三話 王振と皇太子・朱祁鎮(しゅ・きちん) 

 宣統二年の春、新人宦官となった王振は紫禁城を囲む広大な皇城の北安門から職場に入った。

 長屋のような宿舎の前で所持品検査が待っていた。

 自分の陽物保存瓶を持っている者はたいがい将来をかけた親族の資金を持つ。


 王振は宿舎管理官の前で保存瓶を机に置いた。

「師匠に手術代を払えなかった者は保存瓶を師匠の家に置いてきた。紫禁城の給金で自分の一部を買い戻せる者は十人に一人らしい。歴代王朝の中で最低賃金の明ゆえに官吏は民を搾取するわけだが、宦官に皺寄せがあるとしたら、これではないだろうか」


 王振は内心の王朝批判をおくびにも出さず、かしこまった。内書堂の掌司しょうしも同席し、保存瓶所有者に告げる。

「これを宿舎に置くために何が要るか」

 王振は待ってましたとばかりに、しかし、恭しく彼の手に銀の包みを置く。

「王振がご挨拶申し上げます。私は筆を十分に扱えます。四書五経のほか、史書に唐宋の詩文を心得ております。勉学を磨くため、ぜひとも御教示ください」


 彼の態度と言葉遣いに、掌司の眉がピクリと動いた。

「王振、内書堂に推薦して欲しいか」

王振は先ほどの二十倍の銀を彼の手に乗せた。


「そうだ、私は宮中の構造と学識に通じなくてはならない。権力に近づくなら十二監を束ねる司令監が最上。肉体労働とそれを監督する四司や八局など論外だ。

 城外から通勤する宦官から情報を買った意義は大きい。

 諸葛孔明だったか、『知彼知己者百戦不殆 彼を知り己を知れば、百戦あやうからず』

 いや、これは孫子の謀攻篇だったな」


 二年後、王振は厳しい内書堂勤務を終え、東宮へ転勤した。東宮六局の典璽局てんじきょく、そしてすぐに局郎、すなわち局長の座に就いた。位は正六品、宦官の中では高位だった。


 典璽局の仕事は東宮の主である皇太子殿下の印璽管理いんじかんり、殿下御使用の書籍・書習い紙・画仙紙がせんし・墨と筆などの管理、物品の出納簿から殿下の食事・薬・衣服・勉学や鍛錬の記録作成と保存など、多岐に渡る。それを管理監督する重要な仕事だ。


 皇太子の二歳の学問始めはとうに終えていた。王振が局郎になった頃、彼は三歳で、イヤイヤ期の激しい盛りだ。彼の名は朱祁鎮しゅきちん。宣徳帝の長男で、母は孫皇后だった。


 局郎になる前から、王振は彼のイヤイヤを適切に扱う術に長けていた。皇太子は筆を放り投げる。王振は素早くそれを受け止め、彼に差し出す。皇太子の眼が輝く。やんちゃだ。


「殿下、もう一度、お投げ下さい」


 彼は喜んであらぬ方向へ筆を投げる。それを他の宦官が受ける。彼らは筆を床に落とすまいと必死で走る。不埒な遊びのあと、王振は殿下にほんのり甘い茶を勧める。ご機嫌になったところで、彼の小さな手に小さな筆を握らせ、手を添えて書習いに戻る。


 朱祁鎮は王振を離さなくなった。

 毎朝、孫皇后の宮殿に迎えに行き、東宮や学問所での勉学と鍛錬を終えて送り届ける彼の同伴者。すなわち王伴伴おうばんばんという名誉ある呼称を得た。朱祁鎮は王振が不在だと癇癪を起した。王振の部下たちは殿下の前で背を丸めて叩頭し、「お許しください」を繰り返した。


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