第十一話 無謀の路
事態は思わぬ展開をみせた。王振の心中は穏やかでなかった。
「ああ、嫌になる。華々しく北京を出発して二十日、来る日も来る日も雨がひどい。ぬかるみにハマる輜重車、大砲、何より故郷に持っていく私の財宝車。
文官どもはしきりに北京に戻るよう陛下に進言を要請するが、取りあうものか。軍人は臆病風に吹かれている。見せしめに百人くらい斬ってやろうか。陛下の命令を無視したら自分の首が飛ぶのだぞ。
まったく嫌になる。オイラト軍はどこにもいない。天候は相変わらず不安定だ。陛下の機嫌も不安定だ。太行山脈の西側で大軍は右往左往するばかり。雨に濡れた茶色と灰色の景色にうんざりだ」
そんな折、朱祁鎮は王振の故郷に寄ると仰せになった。王振も蔚州の長老たちを喜ばせたかった。全軍に指示が下る。
「蔚州に向かえ!」
が、王振は気付いた。この大軍が通過すれば、故郷の畑は壊滅する。馬が作物を食み、車の轍が蹂躙するのだ。再び全軍に指示が下る。
「宣化城に向かえ!」
まったくの逆方向に転進した明軍の列は長く伸びていた。王振はその危険に気付かなかった。
「晴れれば埃が舞い、降れば泥沼の我が故郷。なんと私に優しくない故郷、縁がなかったのだ。
陛下はオイラトと一戦も交えず、ご不満そうだ。せめて戦果が欲しいところだ」
急激に事態が変わった。やっと宣化城に腰を下ろしたが、オイラトの大軍がすぐそこに迫っていた。
皇帝は恭順伯の呉克忠、都督の呉克勤にしんがりを任せたが、彼らとその隊は全滅した。陛下はさらに成国公の朱勇に三万の兵を率いさせたが、鷂兒嶺で包囲されて全滅した。
オイラト軍の機動力は凄まじかった。あの素晴らしい馬に乗っているのだから。
王振は撤退を急いだ。急いだが、気になるのは彼の財宝車だ。
「あれを失ってはならない。私の築いた二十数年、陛下と私の孤独と権力を秘めた品々、何物にも勝るものを失ってはならない、絶対にだ!」