第十話 永楽帝の如く親征を
正統十四年、オイラト族は使節団の数をさらに水増しし、三千人と申告してきた。北の蛮族の強欲に対し、王振は御下賜の額を半分にした。エセンは腹を立て大明の国境を侵して方々を襲撃し、大同城も派手にやられた。
王振はエセンの行動を問題視しなかった。
「奴は馬鹿なのか。この大明は大軍とモンゴルにない大砲があるのだぞ。戦を仕掛けて何の得がある。
やはり蛮族には大明の栄光を見せつけるのが最上策だ。夏華の中心におわす皇帝陛下自らが国境に姿を現せば、エセンとて自分の思い上がりを恥じるだろう。
陛下は父親になられたばかりの二十三歳、永楽帝に倣い親征の勝利を手に凱旋をなす。これは必須で最好的な事案だ」
皇帝は王振以外の臣下に何ら相談することなく、勅令でオイラト親征を決めた。
勅令から二日後には出発だった。ここが大明のシステムの凄さだ。陛下の号令一つで準備は滞りなく整った。王振は胸を張った。
「軍は常日頃から宦官の手が入り込み、いざとなれば即時対応。こうでなくては帝国といえぬ」
当然、反対の声はあがった。朝廷は蜂の巣をつつく騒ぎになり、次々と奏上を寄こして親征を止めようとする。残暑の旱魃で水の確保が難しく、軍馬のまぐさが足りない。また、兵士の装備がとぼしく、不測の事態に対処不能とまで書かれていた。
「やかましい!」
王振は反対の奏上を全て握りつぶした。
「陛下が意気揚々でおられるならば、従うのが臣下の勤め。オイラトを蹴散らすくらい、朝飯前でなくてどうする。何のための明軍二十万か」
晩夏の紫禁城から騎馬の陛下が出発する。
勇壮に打ち鳴らされる太鼓、陽に煌めく鎧兜と佩刀。
王振はは側近馬車の中から紫禁城の赤い壁を見渡す。城の午門から千歩回廊を経て、承安門(後の天安門)を過ぎ、官庁街を抜ける。民はひれ伏して隊列を見送った。勝利に向かって進む皇帝にひたすら伏して。
北京城の北、徳勝門外で次々に分隊が合流する。その中の一群は王振が加わるよう指示した高官たちの馬車だ。
永楽帝以来の老将軍・英国公張輔や兵部尚書・鄺埜、戸部尚書・王佐、内閣大学士・曹鼐、張益ら百名以上の文武官が皇帝に付き従った。朝廷をそっくり移動し、軍列に箔を付け、オイラト人に見せつける意図だった。