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竜は飛んでいく。
広い王都ではたくさんの人が赤い竜が空を渡る姿を目撃した。
「おい!竜だ!」
「まさか、鳥じゃないのか?」
「魔獣なのに襲ってこないのか?!」
まさかその腹の中に王子が入っているとは思わないだろう。
「あ、女の子だ! 女の子がもう一匹の竜に乗って追いかけていくぞ!」
「騎士もいる、戦か?それとも吉兆か?」
遠い国では竜が現れると良いことが起きると言われているのが伝わっているらしい。
人々の頭上遥か上を竜は飛んでいく。
そんな人々の思惑などどうでもよくなるくらい初めて空を飛ぶ恐ろしさにマーベリンは生きた心地がしないでいた。
硬い鱗は掴まるところがないため、馬に乗る要領で太股に力を入れるがつるりつるりと滑ってしまいいつ落ちるか気が気でない。
「ゆゆゆーふら様あ、これはどこで止まるんですかああああああ?」
「スピネルがどこに向かっているのか、ガーネットに聞いているんだけど楽しい気分だけしか伝わって来なくて...」
まるで掴まっていないのにゆったりと座るユーフラに妙な敬意を感じた。
それはそうだろうなあ、お腹も満たされて番と空の散歩としゃれこんでいるんだ、とマーベリンは思った。
しかししばらく進んで深い森が広がる一帯まで来ると、スピネルが急に高度を下げ始めた。
「降りる、ガーネット行こう」
お腹がひゅうっと掬われるような感覚がしてマーベリンはガーネットの背中にしがみついた。
まもなくずしんという振動と共に地に足ついた安心感が戻ってきた。
ユーフラはガーネットから飛び降りると一直線にスピネルに走りより首を掴むと、
「スピネル! 王子、アンデルハイム王子は? 何でもお口に入れちゃダメだっていつも言ってるでしょう!? 早くぺっしなさい、ぺっ!」
ぺしぺしと硬い鱗を叩きながら叱る。
いえ、王女様突っ込むところはそこじゃありません、とまだがくがくいってる足を押さえながらマーベリンは思った。
スピネルはユーフラに怒られてしょんぼりした風体で口からぺっとばかりに吐き出すと、アンデルハイムが転がり出てきた。
「アンデルハイム王子!」
「殿下!? ご無事でしたか!!」
ユーフラとマーベリン二人が飛び付く。
アンデルハイムはスピネルの唾液でべとべとだが意識もしっかりしていてどこにも怪我がなかった。
「やあ、ユーフラ王女、マーベリン、心配させたね」
補食されかけていたとは思えないくらい王子様笑顔がきらきらしいってどういうことだろう。
はっ、まさかあまりのショックで精神がやられたかもしれないとマーベリンは「お名前は分かりますか? 今日は何日か分かりますか?」と聞いてしまった。
「私は大丈夫だ」
やや憮然とすると袖で顔の唾液を拭いながら立ち上がろうとするのでマーベリンが助け起こす。
ぬちゃあ、とした感触が繋いだ手に伝わり思わずどちらともなく苦笑してしまう。
「アンデルハイム王子、本当にごめんなさい! こんなことをするなんて、スピネル、悪い子よ!」
ユーフラはスピネルの頭をぐいぐい下げる。
しかしスピネルは不満そうに鼻息を荒げている。
「まあ怒らないでやって欲しい。スピネルはスピネルなりにちゃんと意図があってしたことだから」
「ええ!?」
アンデルハイムの言葉にユーフラもマーベリンも驚く。
「二人とも、私がただ拐われただけだと思っているね? 違うんだ、スピネルは本当の対の姿を見つけたから保護しただけなんだよ!」
「本当の、対の姿?」
「それって、つまり、俺じゃなくて...」
「そう! スピネルの対の姿は私、アンデルハイムだったんだ!」
ぐるる、と嬉しそうにアンデルハイムにすり寄るスピネル。
「「は、はああああああ?!」」
驚きすぎたユーフラは言葉が出ない。
しかしやや思うところがあるマーベリンはアンデルハイムに尋ねた。
「もしかして、あんまり考えたくないんですけど、もしかして俺は殿下と間違えられていた...ということですか?」
「そう!」
「簡潔なお答え! それじゃあなんですか、この傷は対の姿の証拠でもなんでもなく、アンデルハイム様を守った時邪魔だと避けるためについたと?」
「そう!」
「ひどい! ついでにいえば、この傷のせいでここ数日殿下から嫉妬と殺意を向けられていたと?!」
「そう!」
「そう!じゃないですよ! 俺ここ数日でどんだけ寿命縮んだと思ってるんですか?!絶対、5年は短くなってます!どうすんですか、愛しい彼女と結婚して最後の日々が足らなくなったら!」
「あれ、マーベリン彼女いたの?」
「いませんよ!なんなら年齢=彼女いない歴ですけど!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を他所に、ユーフラはふらふらとガーネットに寄りかかった。
これまで自分以外の運命を見間違えたことなどなかった。
絡まり合う糸をほどく遠見の巫として自信を持っていた。
それなのに、間違えた?
王家の異能のなかでも尊ばれてきたこの力が無くなったのか?
この力が無くなったら、私は、私は?
ぐるぐると不安の渦に飲み込まれていく。
「ユーフラ、ユーフラ?」
アンデルハイムが肩を揺する。
「は、はい王子?」
「大丈夫かい? 混乱しているね? でも受け入れて欲しい。私は嬉しいんだ、マーベリンが君の夫じゃなくて。たとえスピネルがマーベリンを選んでも選び直させようと思ってスピネルを迎えたからね」
「殿下...?」
「君が光の間のステンドグラスを割って降りて来た時、まるで天使が降って来たんじゃないかと思ったんだ。その黒翡翠の瞳を、その滑らかな髪を見たときからずっと君に心をうばわれていた」
そう言って髪を掬い上げると唇を寄せる。
「でででで殿下!?」
真っ赤になったユーフラは後ろにさがるが逃がさないとばかりに腰を抱かれる。
「城下に行った時は嫉妬で焼けるようだったよ。マーベリンと二人で並びたいだなんて...。さっきもスピネルを前に二人がお互いに庇いあっている姿を見たら許せなくて...絶対に奪ってみせると思ったんだよ」
そう言えば、スピネルに向かって、「ユーフラの夫になる!」って叫んでいた...。
ボンっと音がしそうなくらい赤くなったユーフラにアンデルハイムは嬉しそうに微笑む。
「分かってくれた?」
「わわわ分かりましたから、ちょっと離れて!」
「嫌。もう絶対離れない」
そう言ってちゅっと音を響かせてユーフラの唇に唇を重ねる。
「!!??」
「あれ?、ユーフラ?ユーフラ!」
混乱の極みに陥ったユーフラは精神を放棄することになった。