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「夜会、ですか?」
今朝は刺繍が美しいスカーフを巻いたユーフラ王女が聞き直す。
「ええ、ぜひ我が国の貴族にもユーフラ王女をご紹介したいと思います。これまで両国は交流がありませんでしたが、これを機会に交流を深めていければと思いまして」
真っ白なシャツに黒翡翠のカフスをつけたアンデルハイム王子は朝食の席でそう提案した。
「とてもありがたいのですが、私としては早くマーベリンと国に帰りたいのよね」
こてり、と首を傾げる仕草に胸がずきりと疼く。
「国王もまだ視察から帰って来ませんし、少々お待ち頂くと思いますので、退屈しのぎになればよろしいかと」
アンデルハイムは父王達が王宮を留守にしていて心からほっとしていた。もし父王がいたら恩人の娘であるユーフラ王女の言う通りマーベリンを差し出してしまうに違いない。切れ者なのに気に入った者に対して甘くなる性格なのだ。そして絶対に父王はこの王女を気に入ると謂われない確信があった。
「では、せっかくのお誘いなのでよろしくお願いいたします」
やや渋りながらも王女が頷いてくれたので、アンデルハイムは喜んで夜会の準備に取りかかった。
当日は朝から王女の部屋にメイドや侍女がひっきりなしに出入りする。その手には積み重ねられた大小様々な箱や美しい硝子の入れ物が載せられている。
「まあ!なんて美しいのでしょう!まるでブラックダイアモンドのように輝いていらっしゃいます!」
王宮に努めて長い侍女であるが、こんなに手放しで褒め称えることは少ない。しかしユーフラ王女の姿を見れば誰しも納得した。
「ありがとう。こんなに磨いてもらったのは初めてだわ。素晴らしい手腕ね!」
香油で艶を出した長い黒髪は光の輪をのせており、透き通るような肌に薔薇色の頬が映えている。黒翡翠のような瞳は髪と同じ漆黒の睫毛がくるりと半円を描いてきらきらと光を跳ね返し、唇は瑞々しく艶めいている。
「こういう服は着たことがないから緊張するわ」
ハイルハイム王国とは全く異なるドレスに初めて袖を通したユーフラ王女は頬を押さえる。
繊細なレースが首から胸まで覆うロイヤルブルーのドレスは膨らみすぎず咲きはじめの花のような可憐な装いだ。
そこにアンデルハイム王子がやって来て
「とてもお似合いです。美しいエンツィアンの精霊のようですね」
そう言って指の先に口づけを落とす。
ぽぽぽ、と頬を染めるユーフラ王女に周りを囲む侍女達はほのぼのと見守る。
「ぜひ今夜のエスコートの栄誉を私めに頂きたく」
手を離さないままならな上目遣いで尋ねる。
「ま、マーベリンは参加しないのかしら?」
ついその言葉に表情を崩しそうになるもかろうじて立て直し、
「マーベリンは護衛騎士ですから。夜会への参加は難しいのですよ」
そう言って勝手にユーフラの手を腕に乗せると歩き出す。
驚きつつもエスコートを任せることにしたユーフラは歩幅を合わせる。
入り口に着くと、派手なモール付きの上着を着た侍従が高らかに読み上げる。
「アンデルハイム王子、並びに婚約者ユーフラ・ハイルハイム王女の入場です!」
ユーフラはえ?と思ったが、すぐに扉が開いて眩い光の中に数えきれないくらいの人がこちらを見ているので、仕方なく王子と共に頭を下げて入場した。
入場してすぐにファーストダンスになったのでアンデルハイム王子と話す隙もない。ダンスの間、王子はずっと嬉しそうに笑っているばかりで身長差のかなりあるダンスに緊張しているユーフラには舌を噛まないよう黙っているしかなかった。
ダンスが終わると待っていましたとばかりに人々が群がる。
人々は初めて見る婚約者におもねるべきか、下に見るべきか、はたまた役に立つか判断しにやって来るのだ。
アンデルハイム王子はユーフラ王女の腰を掴んで離さず、どこまでも仲の良い婚約者の呈を崩さないので人々はひとまずこの小さな婚約者を丁重に扱う流れが出来はじめていた。
しかしそこに栗色の髪を横に流してはち切れそうな夜会服に身を包んだ男性が現れた。
「アンデルハイム殿下、おめでとうございます。こんなに可愛らしい婚約者を隠していたとは知りませんでしたな」
恰幅が良すぎる男性の横にはギリギリと歯噛みしている令嬢がぶら下がっている。
ああ、これは私がアンデルハイム王子の婚約者だと勘違いして嫉妬されているのか。やれやれ、世間はどこも同じだな。
ユーフラが心の中で独り言ているとその真っ赤なドレスの令嬢は父親の背から抜け出ると
「殿下、こちらの王女様はずいぶんお年が離れていらっしゃるようですわね。こう申してはなんですが、殿下がご満足頂けないのではないかと心配ですわ。その点、私は殿下と一つ違いですもの。お話も何もかもお気に召されると思いますわ」
ぐいっと豊かなお胸を反らして強調する姿は本当に貴族なのだろうか?と思ってしまうほど直情的であからさまだ。
うーん、3点。
先ほどから笑顔を張り付けて頷くことだけだったので暇潰しに話し相手のごますりに点数をつけていたユーフラは最下位令嬢と勝手にあだ名をつけた。
最下位令嬢はアンデルハイム王子が聞き流しているので躍起になって言い募る。
「私は王女殿下に負けないくらい教育を受けておりますし、お茶会や令嬢達のとりまとめもしておりますのよ」
「いや恥ずかしながら我が娘は親から見ても素晴らしい手腕でしてね、人の上に立つ人材とはこうあるべきと思うんですよ」
いや、それ勝手に結婚相手として妃教育受けて、派閥を作って取り巻きで囲んでいますってことだよね。もはや求婚どころか追い込み漁なんじゃないかしら?
などと考えていると隣から冷え冷えとした声がする。
「へえ、ダンブリン侯爵。いつから王女に負けない教育を施したんだ?令嬢の通う学園から今年卒業できない者が多くて困ると苦情が来ていたが、ああ、まさか令嬢はその中に入ってはいないでしょうね?」
びしり、と固まってしまった親子はまさか卒業した殿下が学園のことまで把握しているとは思わなかったのだろう。
「が、学園の勉強は社交界で使う知識とは異なりますわ! 私は実戦の方が向いておりますの!」
眉をつり上げている令嬢は暗に勉強ができないことを自分からもらしているのに気がついていない。
「ははは、実戦ですか。確かにヴェローチ令嬢は実戦にお強いらしい。私も令嬢の戦績についてはよくお聞きしましたよ。シンガリッド子爵令息やマルギニア伯爵令息、ああ、最近では王国劇場の俳優、なんと言いましたっけ?」
そこまで言うとヴェローチ令嬢は真っ赤になった顔を隠すのも忘れて口をぱくぱくしてまるで瀕死の魚みたいだ。
「素晴らしい辣腕を奮っていらっしゃる。私にはとても太刀打ちできませんね」
アンデルハイム王子は優雅に微笑むと周囲のひときわ高くなったざわめきなぞ聞こえないとばかりにユーフラ王女の腰を抱いてバルコニーに歩いていった。