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愛した人と死に逝く侯爵令嬢の、黒い結婚。


「王太子殿下。……わたくしは、貴方との婚約を〝破棄〟致します」


 目の前にある彼の目を見て、エイフレンは宣言した。


 侯爵令嬢として、真っ直ぐに立ち、お腹の前で手を合わせて。

 淑女の微笑みと共に。


 ーーーエイフレン・フローディアは、侯爵令嬢として生を受けた。


 3歳の時から定められた婚約。

 王太子妃として立てるよう教育を受けて、王太子殿下と……バルファイア様と共に育った。


 間違いなく政略結婚。

 だけれど、エイフレンはバルファイア様を愛していた。


 小さな頃は言い合いもしたけれど、聡明で、勇敢で、慈しみ深く。

 王に相応しくあろうと努力し続ける彼に、その横に立っても恥とならぬよう、エイフレンも努めた。


『そなたを、私は愛している。エイフレン』


 そう言って優しく笑ってくれた彼は……もう、いない。


 今目の前にいるのは。




 ーーーバルファイア様の顔をした、異形の化け物だった。




 エイフレンの身長ほどもある顔と、その大きさに見合う体躯。

 四つん這いになった裸の体は、呪詛に蝕まれて肌が所々腐っている上に、歪であることを示すかのようにまだらに、くすんだ金の鱗が生えていた。


 毒を含んだよだれの滴る顎の上、捲れ上がった唇の奥には、魔獣のような牙が並び。


 翠の優しかった目は、真っ赤に染まって瞳孔も瞼もなかった。

 美しかった金の髪はハリネズミのように逆立ち、背筋から尾に向かって立髪のように伸びて蛇の頭を持つ尾に繋がっている。


 その全身を、黒いモヤのような呪詛の煙が覆っている。


 ーーー〝呪詛の異形〟。


 バルファイア様は、そう呼ばれる存在に成り果ててしまっていた。


 貴族学校を卒業し、エイフレンとの婚姻を二ヶ月後に控えたある日。


 呪詛によって発生した魔獣を退治する為に、バルファイアは騎士団を率いて旅立った。


 そこまで強くはないが、数の多い狼の魔獣退治。

 いつも通りの遠征のはずだった。


『どうかご無事で』

『ああ、そなたと添い遂げるために、ここに帰ってくるよ』


 魔獣退治の騎士団遠征を、王太子が率いるのはこの王国の伝統だった。

 武王として立った初代が、国を守る者が武勇に優れていることも、受け継がれなければならない伝統だと定めたから。


 ーーーあの時、行かなければ。


 エイフレンは、ありえない未来への後悔を覚えずにはいられなかった。


 順調に魔獣を退治していた騎士団。

 その前に、通常ではありえない大きさを持った個体が現れたという。


 呪詛は、負の感情から生まれる。

 どうやらその地域では、山賊に襲われた村が全滅し、そこに呪詛の淀みが生まれていたらしい。


 魔獣を狩った後、聖女の力によって浄化される予定だった筈が、呪詛を吸い込んで膨らみ過ぎた個体によって騎士団は苦戦を強いられた。


 結果として、バルファイア様は勝った。


 しかしあまりの魔獣の強さに、陣頭に立って騎士団を庇い、深い傷を負ったまま呪詛の中心まで逃げた最大個体を追ってトドメを刺したバルファイア様は……自らが、呪詛に犯されてしまったのだ。


 彼の遺体は、呪詛が浄化されなければ王都に引き上げることすら出来なかったのが、仇となった。


 ーーー最初、訃報を聞いたエイフレンは叫んだ。


『嘘です! 嘘です! バルファイア殿下は仰ったのです! ーーーわたくしとの・・・・・・婚姻の為に・・・・・必ず戻って・・・・・くると・・・!』


 呪詛は、負の感情に反応する。


 訃報から3日。

 聖女が浄化に赴く前に『呪詛の淀みを、全て取り込んだ過去最大の魔獣が発生した』との報があった。


 それが、人間の……バルファイア殿下の成り果てた〝呪詛の異形〟だと最速で王都に報がもたらされたのは、彼の進撃が真っ直ぐにこの地を目指していたから。


 慌ててそうなった原因を調べた魔術師団は、それがエイフレンと繋がっていることを突き止めた。

 エイフレンの、バルファイア様の死を拒絶し、帰還を願ったことが、バルファイア様を異形に変えてしまったのだ。


 元々、貴族は平民よりも魔力が膨大であり、その力をもってバルファイア様は巨大な狼の魔獣を仕留めた。

 そして、男よりも女の方が、魔力量が多い傾向にある。


 エイフレンの侯爵令嬢としての膨大な魔力と、彼への思慕が、遠く離れた地の彼までも願いを届かせた。

 届かせてしまった。


 魔術師団長は、エイフレンと王族を前にして告げた。


『呪詛の元となった誓約と願いを、絶たねば倒せぬでしょう。バルファイア様の肉体に秘められた膨大な魔力が負の感情によって、全て呪詛と化しています。聖女様が祓うにしても、魔術師団が炎で焼くにしても〝呪詛の異形〟と化した彼を、源を断ち切ることで弱体化させねばなりません』



 ーーーバルファイア王太子殿下に、エイフレン様が婚約破棄を言い渡してください。


 

 それが、罪を犯したエイフレンがなすべき事になった。


 魔術師団を預かっている第二王子は言った。


『それでは、エイフレン嬢が危険に晒される!』


 彼の婚約者である当代聖女が告げた。


『祓ってみせます。エイフレン様が危険を犯さずとも、私が必ず祓います!』


 陛下と王妃陛下は苦慮していた。

 その理由も分かっていたエイフレンは、微笑んで告げた。


『わたくしは参ります。そして、殿下諸共に焼いて下さいませ』


 エイフレンは、すでに王秘教育の段階に入っていた。

 王族しか知り得ぬ秘密を知り、バルファイアという婚約者を失ったエイフレンは、生涯幽閉か毒杯を賜る以外の道が、すでにない。


 第二王子には聖女様がいて、第三王子はまだ幼かった。

 エイフレンを助けるためだけに彼らを引き裂くことも、十も歳の離れた王子を縛ることも、望まない。


 ーーーわたくしが愛したのは、バルファイア様なのです。


 後悔を持って生き残るくらいならば、愛した人と共に逝く。


 それが、エイフレンの決意だった。

 第二王子と聖女は最後まで反対したが、陛下は決断なさった。



 ーーーエイフレンの意思を尊重する、と。



 そうして今、変わり果てたバルファイア様の前に立っている。


 後方には、炎の魔術を放てるように第二王子を中心に陣形を組んだ魔術師団と。

 浄化の神術で呪詛を浄化するための、聖女を中心とした神官と巫女の聖術師団。


 彼らを守る、陛下率いる王下騎士団。


 バルファイア様の前に、たった一人進み出たエイフレンを、彼は襲わなかった。

 途中にあった村落や街もバルファイア様は一切襲わなかったという。


『エイフレン、ノ、モト、へ。』


 バルファイア様は、ただそれだけを、ずっと口にしていたのだと。

 それを聞いたエイフレンは、涙を堪えきれなかった。


 ーーー帰ってきてくれたのですね。


 どんな姿であっても、愛した人は、約束を守ってくれた。

 でも、守らせたのはエイフレン自身。


 ーーーだったら、解き放ってあげなければ。


 花嫁衣装に身を包んで、手にブーケを握って。

 止まったバルファイア様の前で、そっと微笑みを浮かべたエイフレンは、自らの手でヴェールを上げる。



「王太子殿下。……わたくしは、貴方との婚約を〝破棄〟致します」




 そう宣言すると、エイフレンの体内で魔力が荒れ狂った。

 バルファイア様との繋がりを、破壊しようと殺到する魔力。


 ギシギシ、と音を立てるような錯覚を覚えながら、約束を絶とうとする魔力の波に意識を持って行かれないように、あらがっていると。




『ーーーコンヤク、ハ、ハキ、シナイ』



 と。

 確かにバルファイア様の声が聞こえて、エイフレンは驚愕した。


 ーーーまさか。


 人の願いによって縛られた〝呪詛の異形〟は、誓約と願いに縛られた存在。

 ここに戻ってくる以外の意識と、本能的な生への渇望以外は、ないはずなのに。


 しかし、呪詛のモヤは宣言した瞬間に全身から吹き出し、バルファイア様の体躯がみるみる縮んでいく。


 繋がりはまだ絶たれていないけれど、確かに弱体化していっているのを認めたのだろう。


「ーーーやれ!」


 国王陛下の号令と共に、聖術師団が術を発動したのか、地面から天に吹き上がるように、浄化の光を放ち、バルファイア様とエイフレンを包み込む。


 吹き出したモヤが光に包まれて消滅していくと、バルファイア様が硬直する。


「バルファイア様、お慕い申し上げております。……共に、逝きましょう?」


 元の人の姿ほどに縮んだバルファイア様に、エイフレンは優しく声をかける。

 背後で、膨大な魔力の気配が膨れ上がり、熱を帯びた何かが迫り来る。


 その炎は、苦しむ間もなく、バルファイア様とエイフレンを焼き尽くしてくれるだろう。


 静かに目を閉じたエイフレンを包み込むように、何かの気配。

 腕に包み込まれ、抱き寄せられているかのような。


 ーーーバルファイア様?


 疑問を感じたエイフレンだが、最後の最後に安らぎを感じてその胸に頭を預け……。


 いつまでたっても、腕の感触も意識も失われないことに疑問を覚えた。


「……?」


 目を開けると、そこには、何故か人の姿に戻って騎士の衣装を纏ったバルファイア様の、笑顔があり。


『フレン? 君の花嫁姿は美しいけれど、なぜ、こんなところで着ているんだい?』


 と、知性を感じる瞳と優しさを含む声で、問いかけられた。


「な、ぜ……?」


 もしかして、意識する間もないほどに、一瞬で死んだのだろうか。

 ここは天界なのだろうか。


 そう考えたけれど、景色は変わっていない。

 振り向くと、第二王子も聖女も、そして陛下も呆気に取られていた。


「どうして……何が……?」


 疑問を覚えたエイフレンの背中を、バルファイア様が撫でる。


『私にも、よく分からないが』


 その手の感触や触れた体が、どこか生身とは違うような感じを覚えたところで、エイフレンはバルファイア様の体が青の燐光に薄く包まれていることに気づく。


『君の元に戻りたいと願ったら、君に戻ってきて欲しいと望まれたような気がして、動けるようになった。そして、君に婚約破棄を望まれて、それを否定した時に意識が戻った』


 唖然とした。

 〝呪詛の異形〟と化した者が元に戻った例など、おそらく歴史上ないはずだ。


「本当、なのですか……? バル様……?」

『約束通り、とはいかないみたいだけど、戻ってきたよ、フレン』


 その後。


 混乱に包まれたまま、事態の収束をはかった国王陛下は、バルファイア様とエイフレンを一度、幽閉の塔へと隠した。


 その場にいた者たちには、原因が判明するまで緘口令が敷かれた。

 やがて、話し合いの末にもたらされた結論は。



「ーーーおそらく、バルファイア殿下は英霊、あるいは聖霊となられました」

 


 という、聖女の言葉だった。

 その場には、陛下と王妃陛下、第二王子様もいた。


「呪詛とは負の感情。執念、執着といったものと分類されますが、裏返せば他者への思慕とも言える感情です。……そして、殿下とエイフレン様は、お互いを想い合う気持ちを通わせておられました」


 それは愛だと、聖女は告げる。


「交わされた誓約は、エイフレン様の一方的なものではなく、お互いの願いだったのでしょう。お二人が再び出会うことを望まれ、離れることを拒否なさった時に、私が浄化の光を放ったことで、神がお二人の愛を祝福されたのです」


 悲しみが消え、もう一度出会えた喜びの中で、通いあったエイフレンとバルファイア様の想いを。


「そうして、迫り来る炎からエイフレン様を守ろうとしたバルファイア様に、魔力の炎は吸い込まれて消えました。おそらく生前よりも強い魔力を纏っておられるのは、呪詛が浄化された分と、その炎を吸い込んだ分だと思われます」


 魔力によって再構成された肉体は、本来の意味での肉ではなくなったらしい。

 精霊に近しい存在になったバルファイア様は、壁を通り抜けることも出来るし、空も飛べる。


 そして自分の意思で他人に触れることも出来るのだと。


「その核になっているのは、エイフレン様との誓約です。バルファイア様は、エイフレン様を守護する存在となられたのでしょう」

 

 聖女は、まるで自分のことのように嬉しそうに笑った。



「死すらも二人を分たぬよう。ーーー貴方がたは、共に在る宿命を得られたのです」



 エイフレンは、涙を流した。


 まだ、生きていられる。

 バルファイア様と話し、共に過ごすことが出来ることに、エイフレンは感謝した。


「生きているとは言い難いが、死んでもいない。……どうなるか分からぬ以上、王太子として置き続けることは出来ぬが、エイフレンとの婚姻を認めよう」


 陛下は、そう仰った。


 王族の一員として。

 バルファイアは奇跡の生還を果たしたとして、守護霊となった事実は秘匿するそうだ。


 第二王子を新たに王太子とし、王兄とその伴侶としてエイフレンを置く。

 そして職責がある聖女の賄えぬ王妃の仕事を、エイフレンが補佐することで、話が決まった。


「ご温情に、感謝いたします。陛下」

『ありがとうございます、父上』


 二人で頭を下げて、クスリと笑い合う。

 

 一度は死を覚悟した。

 絶望の中で共に逝くことを願ったのに、それが神の奇跡を賜るきっかけとなった。


 しかし、結局全ての情報を秘匿はできず、表面的に事情を知った悪意ある者から徐々に噂は広まった。


 一度は異形と化した元・王太子。

 それに呪われた侯爵令嬢。


 愛ゆえに奇跡の生還を果たした元・王太子。

 神の祝福を信じた侯爵令嬢。


 畏敬と恐怖、憧憬と尊敬の噂が入り混じる中で、エイフレンはこの後、波乱万丈の人生を送ることになる。

 

守護霊と呪いの怨霊は紙一重だよな、っていう気分で書きました。


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長編も短編も書いてます。よろしければ下のタグから、別作品もよろしくお願いいたします。

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[一言]  続きが見たくなる終わりでしたね。  続編なしですか?
[一言] まさかの英霊化… ここまで思い合えるのは素晴らしい事ですねぇ〜
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