変化の奴隷
変えるというのは
物事を変えることだけを
考える行為だけではない
絶対に変えない部分を
考えることでもある
どちらか一つしか
出来ていないのであれば
それは立派な変化とは呼べない
利益の部分だけを考えていると
独裁的な変化となる
一定のグループ内で使えるもので
当てはまらない人間には
全く使えない代物となる
負担はみんなでと成り
負担だけが大きくなる
また変化を望むようになってしまう
それを繰り返すことを
人間にとっては
効率的と呼ぶのだろう
その都度
ヒーローやヒロインが生まれ
その変化に対応して
金やアイディアが回っている
一部の活気を全体化して
「こう変わりました」と
メディアが情報も回す
外側から見れば
実に馬鹿らしい光景である
未来も
変化の意味も全くない
効率という文字が
踊り狂っているだけである
今を生きているという
一種のプライドが見えてこない
いや、利益と一緒に踊ることが
プライドになっているのだろう
実感だけは出来ることだ
時間軸を省いた今という一瞬を
有意義に過ごすことは出来る
変化の効果が一瞬なだけで
また
一瞬の変化を作り続ければ良い
そんなことを考えているのだろう
それに疲れた人間は
他人の作った変化の奴隷だ
「また変わった」と
心の内に感じながら
減っていく道を見ている
アスファルトの道が獣道に変わる
利益追求のみの変化とは
減らされる変化だからだ
人間が行える変化の最大値は
増やす変化であるにも関わらず
その形にしかできない
人の欲望という形が
ブレーキになっているのか
使い捨ての価値観が変わらないのか
いずれにせよ
本当に変えたいものである