9 反吐が出る祝福
藤側の続きです
確かに、黒い槍がこちらに向かってくるのを見た。しかし、衝撃はあったけれども、身体には傷もなく、血も流していない。藤は自身の身体に手を当てるも、痛みもない。
その様子に、オピクスが驚いているのが見えた。
目の前の敵も、悩まし気に息を吐いた。
「どうしたものか」
「な、にをしたの?」
「オレは何もしてねぇよ?お前が何かされていたのは、確かだけど」
分からない。何かとは、槍を防いでくれる何かだろう。迫る凶器に目を閉じる前に、女性のような手が見えた気がしたのだが、知らないのうちに、藤は誰かに仕込まれていたのか。
思いつくとしたら、カメリアだ。
もしくは、藤の眠れる力が目覚めたのか。いや、絶対にない。
「お前、何者だ?〈ミクス〉じゃないな。差し詰め」
美しい顔が、腰を屈めて近くなる。ソレの淀んだ目が藤を写し、感心したように呟いた。
小さく、しかし大当たりの一言を。
「生者か」
「っ!」
「いや、ーーーーーーーー。くくっ、フハハハハハハっ!!なんてタイミングだよ?ええ!?」
手が再び、藤に向かう。今度は槍を作らず、そのまま藤を捕まえ、乱暴に持ち上げた。俵担ぎと言うやつだ。余りのことにポカンとするが、反射的に蹴った。
「離して!このっ、クソッ!鉄なの!?」
腹を爪先で蹴っている筈が、全く効かない。背中を殴りつけるも、本当に硬いのだ。筋肉があるから、と言う訳では済まされないほど硬い。
蹴りに揺らぎもせず、食堂の外へと敵は歩み出した。その方向には、血溜まりに足を震わせ立つオピクスがいる。
「藤を、置いて行け」
「断る。お前も、もう諦めろ。力量が足りてないのが分かってない」
それでもオピクスは、手を広げ進行方向を遮った。ゼェゼェと口から漏れる息が、藤にまで聞こえる。
しかし、敵はオピクスを見て嘲笑うだけだった。
「ハッ!わかるんだよ。お前は格下としか殺し合ったことがない。絶望に向き合ったことがない。よかったな。良い勉強になったろう?」
オピクスの震える手から鞭を落ちた。自ら落としたのか、それとも限界により落としたのか。べチャリと膝をつく音が聞こえた。
その横を歩いて、悠々とソレは歩いていく。丸くなった背を見て、思わず藤は叫んだ。
「オピクス!リーラさんを助けて!私は大丈夫!コイツの股間でも蹴って逃げるから!!女でも男でも、股間は効くはずよ」
「年頃?いや、違うなお前らは。まぁ、女が股間股間、言うなよ。オレは男だ。嬉しそうな顔すんな。え、なんか怖くなってきた」
「タマヒュンってやつよ」
「うわぁ。この女、嫌だ。地味に痛いし」
「だから、オピクスっ!」
敵が、矢鱈と引き気味の顔をしているが、痴漢対処法はやはり偉大だ。教えてくれた高校の友人に全てが終わったら、礼をしなければならない。
藤は、貧血で白くなったオピクスの顔を見て、微笑んだ。
「やれる事をやるの。頑張れる事を頑張るの。それを笑う奴なんて、殴って良いのよ」
勝ち誇った笑みがオピクスに届いたらいい。勝てないと武器から手を離した彼に、やれる事と頑張れる事に終わりがないことが、伝わればいい。足を止めないことが大事だ。
オピクスが悔しげに、歯を噛みしめるのが見えた。
それでも、先までとは違い瞳に光がある。
「浄罪界に来たことを後悔しろ」
目に怒りを見せ、唾を吐いてオピクスは言う。
「この堕天使が」
明らかになった正体。
堕天使は、汚れなど知らないばかりの眩い笑顔を見せ、同時に中指を立てると、食堂を出た。藤は、相変わらず、拳で背中を殴りつける。肘で頭を打っても、衝撃で小指が痺れるだけだった。
「小娘じゃないな、絶対。えっと、藤って呼ばれてたな」
「死ねっ!死ねっ!滅べ!」
「お前の足の長さじゃ、オレの股間には届かないから。じゃなくて、舌噛むなよ?」
胴に回っていた腕の力が強くなったのを感じ、藤は眉間にシワを寄せた。苦しい。いっその事、コーヒーでも吐いて、汚してやろうかとまで考えた。
だが、その考えは打ち切られる。
いきなり、背中から翼が現れた。
黒く染められたような翼は、羽根を落としながら広がる。堕天使がドンっ!!!と踏みしめた足を最後に見た。目を閉じた後、分かったのは急激に掛かる上昇の負荷だ。高速で移動する風の音が耳を支配し、叩いていた拳も足も止まった。
何をしているのかは、分からない訳ではない。堕天使は上に向かっているのだ。
何故、連れていかれるのかは、分からない。
「っ!」
やがて、ズダんっ!と地を踏み締める音と共に、安定感が得られる。同時に、腕という名のシートベルトが外され、藤は床に落とされた。雑に落とした獲物に気を止めず、堕天使は背を伸ばした。
「うぐっ!」
「到着っと。遅れてないよな?」
「次から次へと。よりにもよって、吐き気のするような奴が来たな」
「藤!?」
知らない女の人の声と、最も聞きたかった声がした。
バッと身体を持ち上げて、声の方に瞳を向けた。逞しい体つきの愛嬌ある男、ピンク髪の小柄な女、赤髪の厳しい男、それと前に会ったシュティ。
そして、聞き間違いなどなく、カメリアがいた。
しかし、別れた時とは違う。
「カメリア」
服は汚れているが、何より疲れと戸惑いで溢れた顔をしていた。瓦礫の中に立つ姿に胸が痛む。オピクスの様子と重なり、唇をかみしめた。側に近寄りたいが、堕天使に踏まれた。「う!」と地面に伏すことになった。
「動かない方がいいと思うぞ?」
堕天使の忠告に、はぁ!?と睨みつける。顔を上げた先には、心底楽しげな笑顔。こっちからは、その笑顔が不吉の予兆としか思えない。
その彼に、人差し指で何かを示された。
指の先を手繰り、目を向けると、そこにいるのは眼鏡をかけた1人の女。乱れた髪を、さらに手で乱している。
「う、ギャァァァァァァォォ!!」と、咆哮を発し、踏みしめた床が無理やり掴もうとした鍋の中の豆腐のように、ひび割れていく。両眼が同じ方向を見ずに、グルリグルリと廻った。漫画に出てくるゾンビのようで、誰も彼女に近寄らない。警戒しているのが、伝わってきた。
明らかに正気ではない。
「気を保て!シャンヤン!!頼む!!」
赤髪の男が彼女に対して、声をかけているが届いていない。
正気を失った者の狂気に当てられながらも、藤は必死で目を開けていた。
堕天使は口笛さえ吹きながら、隣に突っ立ったままだ。元凶の1人と思わしき堕天使を睨みつけ、叫んだ。
「何がしたいの、貴方は!」
「何が?何がって。ったく、早るなよ」
堕天使は祝福を与えるかの如く、藤に微笑んだ。笑みを受けても、笑みを返す気なんて起こらない。
「まだ、始まったばっかりだ」
コイツは必ず、味方にはなり得ない奴だからだ。
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