4 不本意な探検
何かを話しているのは分かるが、聞き取れない。だからと言って、ドアに近づくのは厳しかった。部屋の中に入っているはずなのに、殴りつけてくる圧迫感がある。口を押えて耐える藤の手は、汗で濡れていく。
やがて、二つの足音が重なるように聞こえ、遠ざかっていった。
カメリアが、声の男に付いて行ったのだろうか。
「ただの高校生には、キツイって」
深呼吸をした藤は、部屋を見渡した。
部屋の中は整理整頓がされていた。真面目そうなカメリアの性分が出ているのだろう。
浄罪界は、どこもかしこも白い。建物の色も、この部屋でさえ、白で目が狂いそうなのだが、ヒト?達の着ている服は、黒のおかげで目が中和される。
その黒を求めて、部屋の端にあるクローゼットを開ける。目当てのロングジャケットは、すぐに見つけた。
「勝手に失礼しますっと」
カメリアが同じのを揃えていて良かった。黒いロングジャケットを取り出して、肩に当ててみる。
彼女と藤では、藤の方が大きい。だが、見てみるとサイズは問題なさそうだ。一番心配だったズボンも、入った。太腿を通過する時は、見栄を張ってMサイズを買った時を思い出せば、苦しくない。
Yシャツ、靴と靴下もタンスから見つかり、パジャマを脱いで着替えた。
少し心配なのは脱いだパジャマの処遇だ。
「って、そうなるのね」
自然消滅したパジャマ。仕組みは分からないが、水に溶ける紙のようだった。
変装はなんとかなったところで、藤は恐る恐るドアに耳を当てた。外には誰もいない。近づいてくる足音も聞こえない。
カメリアが帰ってくる様子もない。
「どうすべき?変装してるとはいえ、何も知らない私が、スイスイ動けるわけない」
待とうと結論を出した。しかし、これには大きな問題がある。
数分後。
更に数分後。
加えて数分後。
「カメリア、どこに行っちゃったんだ」
昔から忍耐がないと言われる藤は、ドアに手を伸ばす。少し、少し様子を伺うだけだと、自分に言い聞かせる。一人の苦しみに耐えず、唾を飲み込みつつ、ドアを小さく開けた。
そこから顔を出し、外を見る。
右、誰もいない。
左、誰もいない。
顔を引っ込め、
「どうしたの?」
「う!」
引っ込められなかった。
汗汗ダラダラと、ゆっくりと右を向く。
先程まで居なかったくせに、そこに一人の少年が立っていた。藤と同じぐらいの背で、同い年か年上に見える。
透き通る青い髪は癖毛であり、柔らかそうだ。同色の瞳の目元が優しげであり、男の育ちきってない甘さを感じさせる。要は将来有望そうな少年だけど、今の顔ですら満腹にさせますって顔をしている。
「ごめんね。怖がらせちゃった?俺は、オピクス。カメリアの友、いや、知り合いだよ。君は?」
オピクスと名乗った少年は、近づいてきて、藤がドアを閉めても足を挟める距離まで来た。
苦々しい顔になるのを抑え、微笑み速急に考える。生きている人間の魂だとは気付かれていないが、この少年はまだ、気付いてない。何とか、逃れたい。
「私は、その新入りで」
「それは、おめでとう。多くの魂が君を形作ってくれたんだね。でも、どうしてカメリアの部屋に?」
「?えっと、案内を」
「案内を受けてた途中に、カメリアがどっか行ったんだろう。大方、誰かに呼び止められたか」
「そう!それ!」
「ふふ。なら、俺が案内してあげる」
かなり勝手に納得してくれたのが嬉しいが、話の流れで案内を受けることになってしまった。それは困る。カメリアが帰ってきた時に、藤がいなかったら大混乱だ。
顔の前で大きく手を振り、断る仕草をする。
「いや、カメリアを待ちますから、大丈夫ですよ」
「いやでもね。新人さんなら分からないと思うけど、彼女の組する派閥は面倒だからね。難癖つけられる前に、離れた方がいいよ。ほら、行こう」
「派閥?」
「それも説明するから、ね?」
どうもオピクスは、ここを離れたいようだった。藤の手を取ると、勝手に進み始めた。柔和な顔立ちの割には、押しが強い。
疑われるのは、避けたい藤は大きな行動は起こせずに、彼に付いて行った。似たような部屋が続き、見渡していると、オピクスが説明してくれた。
「ここの建物は寮みたいなものだよ。A級、B級とかになると、大部屋になるけど。D級の部屋は、見ての通り、かなり小さい」
ここは一階でD級の部屋が並ぶ。一つ上は、C級。更に一つ上はB級と、階と共に級が上がっていくらしい。逃げている最中にも気付いたが、〈鏡の間〉があった建物とは繋がっているが違うところだ。
オピクスに手を引かれて、藤は一番初めに戻った。箱に吸い込まれた後にいた場所だ。
「ここは、エントランス。どこまで説明受けたんだい?」
「えっと、あの奥には行きました。鏡がある」
「〈鏡の間〉だね。じゃあ、簡単な仕事について説明されたのかな。門には行った?」
「門?」
「〈天国の門〉と、〈地獄の門〉。〈鏡の間〉の奥に階段があるから、そこを上に行ったら〈天国の門〉。下に行ったら〈地獄の門〉がある。どちらかに行くか、鏡が答えを出したら、魂を連れて行くんだ」
あの時慌てていたからか、奥にある階段なんて気づかなかった。成る程と頷いていると、こっちと手を引っ張られる。奥へと向かわずに、エントランスをグルリと囲む壁にある部屋を見せてくれるようだ。
「部屋が余りにも多いから。全部は無理だな。何か興味ある?」
「例えば、どんな部屋があるんですか?」
「研究室とか、鍛錬場とか、色々。A級がいつの間にか部屋を作るから、必要な所だけ覚えればいいよ」
なんて傍迷惑な方々だろうか。おそらくトップ集団だとは思うが、嫌な予感がする。オピクスの言い方からして、部屋は増設が簡単に出来るらしい。エントランスに立っているだけでは、見えてない多くの部屋がありそうだ。
藤はゆっくり、唇を濡らした。
「人間の世界に降りる門はあるの?」
「うん。あるよ」
あっちと指差したのは、〈鏡の間〉に進む奥の道とは反対方向。エントランスから遠ざかる方だった。
オピクスの後についていくと、やがて門が見えてきた。
しかし、門の前には人集りが出来ていた。
「これは、何事だろう?」
「あら、オピクスちゃん」
「ちゃんはやめてください、リーラさん」
金髪のお姉さんが近づいてきた。少しタレ目で、落ち着きを感じた。更に特徴的なのは胸の大きさだが、そこに思わず目がいく程の大きさだった。
リーラと呼ばれた彼女は、藤に向かっても微笑み、オピクスとの会話を続けた。
「知らないの?生者が紛れ込んだらしいわ」
「生者が!?でも、そんなことって、あり得ます?」
「そうよね。でも、鏡が感じ取ったみたいでねー。その生者も、行方知れずだし。余りのことだから、鏡がイカれたんじゃないかって話よ」
「俺たちに生者の魂って見分けつきますか?魂が出てたら、死んでいるって判断してるのに。……、見つけられない可能性も」
「そうね。でも、機械が有るらしいわ。まぁ、オリオン派の奴らが言うことだから、有るのか、今から作るのかは不明だけど」
その生者である藤は、死んだ目で二人の会話に頷いていた。
嫌なことを聞いてしまったと、藤は思う。その生きた魂か死んだ魂を見極める機械が、目の前に現れないことを切実に願ったのだった。