願望たるや 04
1
船が出港してすぐ、従業員の間で困惑の声があがった。
彼らの視線の先には「捨てろ」と言われた筈の指輪を大事そうに嵌めているペオがいる。
「指輪は燃やす約束じゃなかったのか?」
従業員の一人がそう非難すると、木製の指輪を撫でているペオが「とんでもない!」と叫んだ。それを見ていたリュカがティオグを連れて近寄ってくる。
「あそこに近い火種がなかったんだ! それにこれは壊していい物ではない!」
ペオはそう言うと、指輪を大事そうに己の手で隠した。
「あの家の中で転がっていた物だ。ろくな物じゃないぞ!」
そう言って指輪を奪おうとしたエオが不思議な力により吹き飛ばされた。驚いてペオの方を見ると、彼の隣には消えた筈のアルスが立っている。
「燃やせないのは仕方が無い。そんな風にして指輪は作られたのだからね」
「お前が何かしたのか?」
船長エオの問いかけにアルスは首を横に振った。
「喚ばれただけさ。その稚拙な指輪のせいでこの世界に繋ぎ止められているのだよ」
「お前は魔物か?」
ティオグの問いかけにアルスは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「よく言われる言葉だ。でもねぇ、ボクはこの世界の生物ではないから該当はしないよ。あの男はボクの事を”宙からの来訪者”と呼んだね」
「ここの生物ではないなら、何故この世界に来た」
「彼の願いを叶えるため。不死が欲しいと言っていたけど指輪を嵌めなければ、ボクに対してこうも酷い扱いをするのだからね。無視してやった」
「願いを叶える?」
ペオは驚いて自身が持つ指輪を見た。
「そうとも。ボクは指輪を嵌めた人物を満足させなければならない」
「じゃあ、もしオレが今すぐ家に帰りたいと言ったならお前はそれを叶えてくれるのか? あぁ、でも俺はソーンの旦那に次に貸してやるって言っちゃって……」
パチンと指が鳴る音と共に、突如としてペオはその場から消えていた。
皆が驚いてペオが立っていたところを凝視する。
「どこに行ったんだ⁈」
驚愕の声に答えるアルスの声はなかった。アルスは消えたのかと思ったが、「莫迦な」とソーンの言葉で皆が振り返った。
ソーンの骨張った指には木製の指輪が嵌められている。
木製だというのに指輪は妙に重い。そこには黒い宝石が嵌められており、ペオが捨てていい物ではないと言ったのも分かる気がする。
「今すぐソレを燃やした方がいい」
ティオグはそう言って、指輪を持つ齢七十をすぎる白髪の老人に詰め寄った。
「絶対に裏があるぞ」と、怖い顔で言うのはユルだ。
「やってみないと分からないさ。裏があったとしても俺はもう後先短い、持病だってあるし、いつ死んでもおかしくない。この旅行にだって、もし俺がここで死んでも一切責任はないと言ってある。なにも不都合な事なんてないさ」
彼はそう言った後ゴホゴホと咳をした。浅い呼吸を繰り返し再度咳払いをする。
「妻に会いたい。それだけが望みなんだ」
けれど、老人はそれ以上言葉が続かなかった。彼はさらに酷く咳き込み、体をくの字に折り曲げた。
数人が慌てて介抱し、椅子に座り直させる。彼はぐったりと椅子にもたれた。咳のしすぎで気絶でもしたのだろう。
「横になった方がいい」
数人が慌てて彼の車椅子を押して部屋に連れて行った。
老人の骨張った指から指輪が抜けたのをリュカとシゲルは見逃さなかった。誰よりも早くシゲルがその指輪を掴むと、それを満足そうに指へとはめた。
「俺は船長になりたい。俺がここのリーダーになるんだ」
2
数日間、船は自由気ままに行くべき航路から離れて海を漂っていた。
船長になりたいと言ったシゲルの願いは叶えられ、誰もが彼の言うことを聞いた。
パーティやカジノはさらに活気付き誰もがこの一時を楽しんだ。しかし、一方で不満を彼にぶつける乗客は皆それぞれの部屋に監禁させ、気に食わない従業員は倉庫に閉じ込めた。それを行なったのはシゲル本人ではない。
何故か彼の味方をする乗客や従業員が出てきて、独自に組織を作り上げ四六時中彼の言いつけを守っていた。
「ティオグ。皆の様子、すごい変だよ」
ものの数時間で監禁させられたリュカは同じ部屋にいるティオグに言った。ティオグも頷いているが、廊下には彼を守る人間がいて出られない。
航路から外れた時、ティオグとユル、その父親のニドそして本来船長のエオが抗議をしてみなが倉庫に閉じ込められた。
「アイツ、本当はあそこまで悪じゃなかったんだよ」
ユルは悲しそうに膝を抱きながら言った。ここ数日彼の体調は悪いようで、指先が小さく痙攣している。
「偉くなりたいって言ってたけど、ただ不器用なヤツでこんな事はしないんだよ」
「しかし、止めなければならないだろう」
ティオグはリュカがパニックにならぬよう彼女の隣に座り呟いた。色々方法は考えているが、扉には鍵が廊下には見張りがいて自由に動けない。
「父親の代わりにはなれなかったか」
と呟いたのは誰よりも酷い扱いを受けたニドだった。
彼は心底ショックを受けており、顔はやつれて寝転がったまま動かない。「どうしてあんたは認めてくれなかったんだ!」と叫ぶシゲルから何度も殴られ、倉庫にも蹴落とされるように入れられた。
リュカが慰めようとニドの彼の手に触れると、彼は悲しそうに溜息をついた。
「どうして皆疑問を持たないの?」
「それはボクのせいさ。ボクがそうしたからね」
突然、声がして全員が驚いて声を上げた。そこにはいつの間にかアルスの姿がある。頬に青あざを作り、垂れた鼻血も拭かず、彼は極めて陽気そうにティオグ達を見た。
「何故お前が此処に来たんだ? 笑いにでも来たのか?」
「指輪の持ち主がボクに暴力を振るうから不愉快なのさ。彼を止めたいんだろう? 協力しに来たのだよ」
ニドの問いかけにアルスはそう答えて腕を組んだ。
「信じる証拠は?」
睨みつけるニドにアルスはニヤリと笑った。
「ボクが直接主人を邪魔することは出来ない。それは許して欲しい。だが、信じる子だけ、全ての部屋を開けられるようにしてあげる。それがキミたちの味方という証拠さ」
「あの指輪を破壊するしかないのか……だが、どうやって此処から出るんだ?」
「出られる場所がある。狭いが……」
エオがそう言い、彼らを案内をした。そこには子供か女一人分通れる細い空間がある。
「荷物搬入の為に使う道だ」
「俺、行ってくるよ!」と、陽気に言うユルにニドは止めた。
「お前、体調不良なんだろう? 顔色が良くないのを知っているか?」
「船酔いかな。寝不足かもしれない。でも大丈夫だ。すぐに戻る! 俺一人じゃないし!」
そう言って走り出したユルを追いかけたのはリュカだった。ティオグは驚いて追いかけるが、狭い通路は高身長の彼では通れない。
「ごめんね。ティオグ! でも、私次はちゃんとやる!」
通路奥から聞こえたリュカの声にティオグは頭を抱えた。
「お前は自分の立場を分かっているのか⁈ お前は護衛される側なんだぞ!」
「分かってる! だけど、私ティオグにちゃんとやれるって証明したい!」
「あの時言ったのは、そういう事じゃない!」
けれど、ティオグの言葉は彼女には届かなかった。
「俺の息子もいる、大丈夫だろう」
同情の眼差しを持ってニドが言った。
ティオグはそれを聞いてうんざりして座り込んだ。そうして、あの得体の知れない少年と話そうと振り返ったが、そこには暗闇ばかりが存在し誰の姿もなかった。
3
「次こそ頑張ろうな!」
ユルにそう言われてリュカは力強く頷いた。
前回のことでティオグの信頼を壊してしまった。せっかく信用してくれていたのにと嘆くなら行動した方が早いと思うのは彼女を知る人物なら想像するのに易かった。
「アイツはな。悪い奴じゃないんだ。ちょっと賢すぎるんだよな」
廊下を走りながらユルは言った。
「賢いから誰かに説明されるのを嫌うんだ。うーん、何て言えばいいんだ? とにかく人を引っ張りたいんだよ。だけど、あいつ性格が捻くれてるだろ? だから人はついてこないんだ」
ユルの弁解にリュカは黙って聞いていた。話こそ聞いているが、またそれとは別に気になっていたことがある。
廊下に薄く漂うヒモの存在だった。それは風とは違う方向でゆらゆらと揺れていて不自然に思われる。
薄い透明に近い紐をユルは気が付いていないようだった。彼の意識は友にあり「あんな早足で叶えなくてもいいのにさ」と呟くばかりで一向に紐の存在に気が付かない。リュカは聞こうか聞くまいか悩んで、結果自身の錯覚だろうと無理矢理納得した。
廊下を走っていると、不意に客室から「此処から出してくれ」と声が聞こえた。悲痛な声にユルは「わかった」と即答するが、扉が叩かれているあたりしっかり施錠されているのだろう。
「アルスが魔法をかけてくれたんだろう? 開くと思う」
ユルはそう言って扉に触れると、扉はカチャリと音を立てて開いた。
まるで最初から鍵がかかっていないように思える。それは客室にいた人間も同じだろう。驚いた顔で二人を見ていたが、感謝を述べると同じように閉じ込められた人たちがいる部屋へ案内した。
「一応、針金も持っていたんだけど、こっちのが楽だな」
彼はそう言ってポケットから沢山の針金の入った袋を見せた。
「俺達は元は泥棒でさ。一回帰ってきた親父に説得されて傭兵してるんだ」
彼は茶目っ気たっぷりにそう言いながら、次々と客室を開けていく。監禁されていた乗客は彼にお礼を言うとすぐさまシゲルがどこにいるか詮索を始めた。
「いい加減シゲルに会えるといいんだけど、場所が……」
「多分こっちだと思う」
「凄いな、どうやって分かるんだ?」
リュカに手を引かれ興奮するユルに彼女は「なんとなく」と言葉を濁し、廊下を走った。薄いが甘い臭いが鼻をくすぐる。
その臭いは「食べたい」という衝動に近い何かを誘っている。
4
具合が悪い。と数日前からシゲルが言い出したのをアルスは知っている。
原因も対処法も分かってこそいるが、彼から与えられた待遇に不満を持っていたため何も語らず黙すことに徹した。元々体調が悪く立つのもやっとで、主人に呼ばれた以外は寝ていたいのが本心である。
洗脳された乗客が心配してシゲルの様子を見に来たが、彼らは解毒の知識を持っていないため、ただ意味のない慰めだけでその場を去った。
シゲルは医療班を呼んで自分を治療させたが、容態は一向に良くならなかった。それに怒ったシゲルは「役立たずめ!」と医療班もエオと同様に倉庫に投げ込み、荒縄で縛った。
「アルス!」
シゲルの言葉に「なんだい、ご主人」とややあってからアルスが現れた。
あいかわらずアルスの行動や考えは理解できず不気味で、一つも仲良くしようと言う考えはシゲルには浮かばなかった。
「俺の体調は悪くなるばかりだ! お前は治せるだろう?」
「その治療は、”ここのリーダーになったことで無条件に皆から好かれる”という条件に必要なことかい?」
「体調が良くなければ船長は務まらない。全員がリーダーを失い路頭に迷う。それこそ生死がかかっている」
「それは残念。ボクは一つの事しか叶えられないのだよ」
アルスはそう言って再び寝ようとしたが、それを再度シゲルが強引に止めた。
「お前は願いを叶えられるんだろう?」
「哀れなご主人。今の状況で満足出来ないのならば、ご主人は船長になる器ではなかったのだよ。だから――……」
アルスの言葉にシゲルはカッとなって手をあげた。
それを近くにいた乗客と従業員が見ていたが、誰も止めなかった。それが正当な行為だと思っていたからだ。体の軽いアルスは叩かれた反動で近くにあった壁にぶつかったが、怒りも悲しみも示さずただ立ち上がった。
「アルス。俺を満足させるのがお前の務めだ」
「いたた。……まったく。人の忠告を途中で遮るものではないよ。毒を取って欲しいと願えばいいじゃないか」
唇についた血を拭ってアルスは苦笑した。
「毒? 俺は誰かに毒を盛られたのか?」
シゲルは驚いて周囲にいる人間を睨んだ。
「いいや、違うよ。ご主人は一度、肩に矢を受けたね。矢先には毒が塗られていたのだよ。血を吸い出してくれたおかげで、毒が回るのが遅れたようだけれど」
アルスはそう言って「彼のおかげでね」と隠れていたユルを見て言った。ユルはばれてしまっては仕方がないと言いたげにバッと立ち上がると仁王立ちのまま二人を睨んだ。
「シゲル! 皆に謝ろう!」
けれど、アルスもシゲルもユルの言葉に反応を示さなかった。シゲルはニドをいない者と扱っているのだろう。さらにアルスは話を続けた。
「この環境下での治療は難しい。毒には呪詛もこめられている。ボクの知識を持ってしても数日かかる」
「何日かかろうとやってもらわなければダメだ。絶対にやってもらう。アルス。俺の毒を抜いてくれ」
「分かったよ。哀れなご主人」
アルスがそう言うと、突然シゲルは脇腹に衝撃を受けて倒れた。どうやら近くにいた乗客が彼に体当たりを喰らわせたらしい。
「俺に攻撃するなんて……何を考えている⁈」
驚いて抵抗するシゲルを無視して、もう一人が加勢して彼を抑える。
「とったぞ!」
シゲルから木製の指輪を奪ったのはエリオという乗客だった。その間にもシゲルを押さえ付ける手が増える。
「どういう事だ、アルス!」
何人もの乗客に押さえ込まれながらシゲルは叫んだ。
「おや、説明したんだけれど忘れてしまった? ボクは一つしか願いを叶えられない。だから、前の願いを取りやめて解毒を開始したのだよ」
アルスはそう言って、黒いワンピースについた汚れをはたき落とした。
「魅了を解かれた彼らは、今までの事を全て覚えているよ。自分が何を言われ、何をされ、何をしたのかも」
アルスの言葉は正しかった。
誰もがシゲルに復讐をしようとしていた。彼が気絶しない程度に乗客たちは殴りかかっている。その間、倉庫に閉じ込められた者たちと医療班も開放された。
空いた倉庫には手足を縛られたシゲルが放り込まれた。
「おい! よしてくれ! 俺は毒が回っているんだ!」
「それがどうしたんだ! アルスに願ったんだろう? 数日間、そこで反省していろ」
ニドはそう冷たく言って倉庫の扉をバタンと閉めた。と、同時に扉の向こうで歓声が沸いた。
遅れたティオグが慌ててリュカの元へ駆けた。
「ティオグ……」
リュカは泣き出しそうな顔でティオグを見た。
「リュカのおかげで止められたんだ。怒るのは無しだぞ、ティオグ」
今まさに怒ろうとしたティオグにユルは言った。
「リュカがいなかったら俺たちはずっと部屋の中だったんだからな」
ユルに加勢した子連れの乗客に今度こそティオグはリュカへ怒る気を失った。
父親はまるで息子を褒めるようにリュカとユルを褒めると、閉ざされた倉庫を睨んでその場を去った。
「これでよかったのかな」
「良かったよ!」
自信のないリュカにユルがティオグの代わりに元気一杯に答えた。
5
「お陰で無駄な燃料が使われてしまった」
疲れ切った船長エオの言葉にティオグは「船が座礁しなくてよかったよ」とフォローをいれる。
「あれから二日経ったけど、シゲルの奴すっかり大人しくなっちまった。今では飯を運びに行ってもずっと背を向けて話もしてくれないし……。反省してたら倉庫から出してやってもいいんだよな?」
「そうだな。給料は引かせてもらうが」
エオの言葉にユルは寂しげに微笑んだ。
「だが、あれから指輪が見つからないんだ」
ティオグの脇腹を小突いてニドが慎重に言った。
「アルスの姿もない」
「指輪は消滅したのか?」
ティオグの言葉に答えたのはリュカだった。彼女は首を横に振ると「まだどこかにあるよ」と言った。
「そういえば、リュカはどうして指輪の場所が分かったんだ? すごい勘をしてるよな」
「甘い匂いがするの」
「コイツは鼻がいいんだ」
素直に応えるリュカにすかさずティオグがフォローを入れる。
「俺も鼻がいい方だが……」
「それ程あの家に行ったことが衝撃的だったんだろう。薬品の匂いが籠っていたから」
ティオグが言うと、ニドはどこか納得のいってない表情をしたまま頷いた。
そこへふらふらと一人の男児がやってきた。それはこの前、怒られそうになったリュカをフォローしてくれた親子連れだろう。
「あれは……」
「動きが変だぞ」
ニドの言う通り、男児の動きはどこか不自然でまるで操り人形のようにも思える。彼はよたよたと歩き、そして音を立てて階段から落下した。
それを見た数人は慌てて男児の元へ駆け寄った。階段から落下した男児の首はあり得ない方向に曲がっている。誰もが瞬時に即死だと理解した。
「ギュフ!」
男児の父親だろう。彼は顔を真っ青にして階段を駆け降りた。そして動かない男児を抱き上げ声をあげて泣いた。
「アルス! どうなっているんだ!」
泣きながら叫ぶ彼に一同は驚いて言葉を失った。その父親の指には木製の指輪が嵌められている。
「どうしてお前が指輪を持っているんだ⁈」
「願いは叶ったのだよ。三百万欲しいと言っていたじゃないか」
ティオグの声よりも先に応える声があった。
声がした方向を見ればそこには船端に座るアルスの姿がある。
「どういう事だ。アルス。お前が殺したのか?」
「まさか。三百万欲しいと言ったのはご主人、キミさ」
アルスはそう言って、冷たくなっていく息子を抱きしめ泣いている男を指さした。
「最終決断したのはその息子さ。損害賠償、もしくは生命保険。その両方できっかり三百万だね」
アルスの言葉に船長は頷いた。
「この場合……損害賠償を払う義務が我々にはある」
「そうだね。逆に言うとそれ程の事をしなければ、今の彼には手に入らない金額だったわけだ。だけど……、ふうむ。満足はしていなさそうだね。残念だ」
泣き崩れる彼の指から指輪が転がったが、船長の靴にぶつかり止まった。
「そんな望み……嬉しくなんかないだろ! 願わない方がいい!」
ユルの言葉にアルスは「そうとも」と頷いた。
「他者に頼む願いなんて結局その程度の事だよ」
「だが、ソーンは? ソーンは叶えられてないだろう?」
「どんな形であろうとボクは望みを叶えた。奥方はもう亡くなっているのだろう?」
それを聞いたティオグは護衛も忘れて走り出した。
リュカはティオグの後を追わず、黙ってアルスを見ていた。アルスはまるで品定めするかのようにリュカを見ていたが、ふと声をかけた。
「……うん。君には魔法使いとしての素質は十分にある。あの忌まわしい指輪を壊せるかな?」
アルスに言われてリュカは自分の両足が震えるのを感じた。金色の蛇のような瞳が己を射抜くように感じられ、初めて恐怖を感じる。
「私は……、自分が魔法使なのかも分からない」
「キミの精神が濁っているから、魔法使いとして司る色も曖昧なのだね。よくあるんじゃないかな? 泣いたり、怒ったりすると不思議な現象が起こるだろう?」
リュカは驚いて言葉を失った。そして、震えるまま自分の体を強く抱きしめた。
「魔法を上手に使いこなせず誰かを傷つけているのが現状のようだね」
冷たい言葉がまるで矢のように刺さってくる。心の内を見られている、と思ったのは少し経ってからだ。
「リュカ!」
駆け戻ってきたティオグはリュカを抱き寄せ、剣をアルスに向けた。
「アルス! ソーンを殺したのか?」
「ボクは指輪に縛られているからね。主人は殺せないよ。ただ彼が会いたがっていた人の幻を見せた。それで体に異変が起ころうと、それは契約外だ」
アルスの言葉にティオグは平静を保ちながら黙って睨み続けている。
ソーンは今の際、両手で誰かを抱き寄せているような動きをしたという。彼が息を引き取ったのはその直後で、ティオグが確認した時も幸せそうな顔を浮かべて眠るように死んでいた。
「そんな叶え方って……」
「結果が全てだ」と、アルスはどこか寂しげにそう呟いた。
「シゲルが!」
今度はまた違う従業員が顔を青くしてやって来た。
「シゲルが死んでる!」
「自殺か?」
「衰弱もありますが……、毒が回って死んでいます」
「どうしてだ! アルス、お前が毒を抜いたんじゃないのか⁈」
ユルは驚いて、アルスを見た。しかし、彼は当然とばかりといったような顔をしている。
「ボクの知識を持ってしても解毒には数日かかると言った筈だよ。ボクを強制的に従わせる指輪は奪われてしまった。……とするならば、ボクがわざわざ彼を助けるために自主的に動かなければいけない。だけど、ボクは彼に同情できなかった。ほら、殴られて痛かったからね」
アルスはそう言って足を組み直した。
6
会議室に置かれた円卓の中央に木製の指輪が厳かに置かれている。
誰もがそれを見て早く始末しなければならないと思っているが、恐ろしくて手が出せない。
一度意を決して海に投げ捨てたが、指輪は最初からあったように円卓の中央に置かれていた。
「燃やそう。それがいい」
誰かがそう言ったのを止めたのはニドだった。
「売ろう。俺たちでは手に負えない」
「売る? こんな危険な物を?」
ティオグが驚いてニドを見た。
「シゲルが思った以上に食料と燃料を無駄に使ったんだ」
申し訳なさそうにエオが言った。誰もがそれを咎める事は出来なかった。指輪のせいとは言え好き勝手料理し、燃料を使ったのは誰でもない自分達だったからだ。
「島も近い。そこで指輪を……アルスを売ろう。人ではない姿をしているんだ。見世物としては十分価値はあると思う」
エオはそう言って、ただそれを黙って聞いている来訪者を見た。