願望たるや 02
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乗船から八日目、初めて上陸する島での謝肉祭に参加。
人々が浮かれ、踊り合う。
舌の肥えた客が若い料理人に叫ぶ。呼ばれた本人は青ざめたまま頭を下げ、新しい料理を持って来ようとすぐさま走り出した。
「料理に埃が入ったらどうするんだ!」
再度、そう叫ばれ料理人は機械のようにピタリと動きを止め、そして静々とけれど早足に仲間の所へ向かった。
露出高い踊り子はそれを見て、クスクス笑っていたが客の機嫌を直そうと体をくねらせそして踊り始める。その踊りは他の踊り子にも連鎖し、そして曲調は早く忙しなくなっていく。怒っていた客の意識はまんまとそちらに向かった。
楽しい祭りだというのに、どこか緊張した顔で屋台を見る少女とそれを見守る長身の男の姿があった。小麦色の髪と水色の髪、琥珀の目に空色の目。他様々な外見要素からこの二人は兄弟でも恋人でも家族ですらないと理解できる。
少女は黒のワンピースの裾を掴んで俯いた。余程緊張しているのかそれとも人酔いをし始めたのか、握る指先は白く変わる。
彼女は今すぐにでもこの祭りに参加したかった。だが、隣にいる男ティオグによって阻害されている。
今回、長距離移動ということで護衛をつける事となったが、来た男はあまりにも真面目だった。今回のツアーに組み込まれた催物には全て参加こそすれど、見守る程度にしか許さなかった。
「……ティオグ。私も何か買いたい」
「それなら、欲しい物を言ってくれ。俺が代わりに買ってくる。人混みの中、パニックになって魔法を起こされても困る」
ティオグはリュカを隅のテーブル席につかせ、自身は甘い飲み物を一つ買ってくる。そして、それをリュカに渡すと彼女は浮かない顔で受け取ると、紙コップを両手で包み込むように持ちながらじっと中身だけを見つめている。
ティオグとてこの面倒な事情さえなければリュカには純粋に祭りを楽しんで貰いたかった。
リュカが魔法使いの性質を持っていることを知ったのは、彼女が起こした事件からだった。
最初は兄弟の怪我だったか、それとも雷鳴轟く夜中の事だったか。とにかく彼女は取り乱し泣き叫んだ。すると、不思議なことに彼女自身、本棚や玩具、木の影から幾つもの黒い手が伸び、好き勝手に暴れ回った。
近くにあったものは落下し、砕かれた。目撃者が彼女を責め立てた事により、彼女はさらにパニックに陥り事態を悪化させた。
知らせを受けた役人が彼女をすぐさま捉え、牢獄に放った。そこでも彼女は、パニックのあまり幾つもの手を呼んだ。
これ以上手の施しようがない。
怯える市民の為を思いリュカを一生牢獄に閉じ込めるかそれとも死刑か流刑か、と考えたところに一人の物腰柔らかな魔導師が来て彼女が魔法の素質があり自分に引き渡すように告げた。
胡散臭いい話だった。しかし、これ以上手段のなかった役人は、結局この若い娘を魔導師に委ねる事にした。厄介払いとしか思えない事柄だったが、彼女は至って前向きだった。
リュカを魔導師の元に送る為、護衛の仕事をしているティオグに声がかかった。
ティオグこそ魔法は使えないが、様々な依頼の中で魔法の心得は把握している。
「他に何か買うべきものはあるか?」
リュカは首を横に振っただけで返事はしなかった。ティオグもそれ以上反応を返さない。村を出てから一週間、ずっとこんな調子なのは、不機嫌になると会話をしたがらない彼女と仕事に私情を持ち込まない彼の性質が悪い方向に出たからだ。
「何か要望があるならば、今のうちに聞こう。俺達はこれから一ヶ月近くこんな生活をするんだ」
よせばいいのに魔導師はわざわざ人の多い客船に乗るよう指示をしてきた。その人混みの中、リュカが気分を変えて魔法を使ったなら……と考えると恐ろしい。
ティオグの問いかけにリュカは再び小さく首を横に振った。
「自分で買いに行きたいのに……」
「お嬢さん!」
不意に声がかかり、リュカはビクリと体を震わせた。
目の前にいるのはリュカよりも少し年上に見える若い男だ。酒に酔っているのだろう、体からはアルコールの香りがする。
「一緒に踊ろう。俺はシゲルって言うんだ」
差し出された手にリュカは頬を染める。
「すまないが、俺の連れなんだ」
そんな彼女の横からティオグがそう言うと、シゲルはきっと彼を睨んだ。
「こんな堅物そうなのといて楽しいか? やめとけよ。祭りだってのにわざわざスーツだなんて。それにあわせてあんたも喪服を着てんだろ?」
指摘されてリュカはカッと羞恥で顔を赤た。これはリュカが好きで選んだ服である。
「行こう」
これ以上、彼を護衛対象の近くにいさせる事は出来ないと判断し、ティオグはリュカの肩を軽く叩いた。
リュカは困った顔をしながら立ち上がろうとし、それを目敏くシゲルが彼女の腕を掴もうと手を伸ばした。
「行こうか、リュカ」
リュカの腕を掴む前に、ティオグはシゲルの手首を掴みながら彼女に優しくそう言った。
シゲルは驚いて自身の手をひっこめようとしたが、その力たるやいくらシゲルが動いても彼の手も自身の手も微動だにしない。
シゲルはティオグに罵倒を浴びせたが、彼は涼しい顔で「関わらないで頂きたい」とだけ告げた。
「悪いなー。俺のダチが」
その緊張を破ったのがシゲルと同年代に思える青年だった。
「こいつ酒癖が悪いんだ。俺はユルっていうんだけど……。とにかくごめんな」
ユルと自己紹介した男はそう言って、シゲルの手首を掴んで離さないティオグの手を突いた。
「悪かったから離して貰っていいかな。俺があとでキツく言っておくよ」
ティオグは黙っていたが、それでもそっと手を離した。シゲルはすぐさま自分の手首をもう片方の手で撫でながら後退する。その手首にはしっかり掴まれた痕があった。
「えぇと、食べたい物はあるか? 何か奢るよ。あ、財布は親父が持ってるんだ。なにせ俺はすぐに金を――……」
「気持ちは受け取っておく。だが、遠慮しておくよ。折角の祭だ、自分の為に金銭は使うといい」
ティオグはそう言って営業スマイルを浮かべる。ユルは気にも留めなかったようだ、にっこり笑った。
「あらー、元気ねー。オマエら」
第三者の声に四人は振り返った。
小さなテーブルに中性的な人間が座っている。地面に着く程長い黒髪、額には青緑の拳ほどある宝石を二つぶら下げている。
「元気ついでで折角だし、オマエらの未来を占ってあげるよ。無料で」
紫色のテーブルかけ。丸テーブルには大きな水晶が置かれている。占い師なのだろうがおごそかな装飾に比べてあまりにもフランクすぎる。
「珍しいタイプの占い師だな。自分から声かけてくるなんて」
ユルの言葉に「そうそう。とりさんはそんじょそこらの占い師とは違うのよ」と占い師は答えながら、今まで握っていたであろうサイコロをテーブルに転がした。
黄ばんだサイコロをよく見ると、人間か動物の歯だという事が分かる。それらは合計四つテーブルに転がされ、不思議な事に直立するものもあった。
「いや、いい。俺たちは――……」
「未来を識ればいくつか護衛し易くなるんじゃん? 知らんけど」
占い師はそう言って微笑んだ。「お前、護衛だったのか」と言うユルの言葉を無視して、ティオグはじっと占い師を見つめた。
「何故、俺が護衛だと思う?」
「見るからにじゃん。あー、もういいわ。言っちゃう、言っちゃう。オマエら皆に凶兆が視えるからわざわざ声かけてやってんの。見てらんなくて」
それを聞いたユルが興味津々といった具合に「じゃあ教えてくれよ」と言い、シゲルは「莫迦莫迦しい」と唾と共に吐き出した。
「占い? やってみて……」
ティオグの後ろに隠れていたはずのリュカが前に出て言った。占いを聞くだけなら危険ではないと判断し、占いなどあまり信じていないティオグも頷いた。
占い師は満足そうに頷いた。
「お前らは同じ飯を囲い、飯を食う友になるわけよ。不思議な運命ねぇ〜。合計三十二人。皆、太陽に灼かれて死ぬ」
冷たい、突き放した言い方に四人は絶句した。
「太陽に灼かれる?」
「そだよ。でも、数人は違う。そこの手首痛い痛い子。オマエはその名の通り、誰からも見放され孤独に死ぬ」
そう言われたシゲルは黙って占い師を見つめた。
「オマエはさらに悲惨。一度目は父親に、二度目は正義によって殺される」
それを聞いたユルは一瞬ひくりと口元を歪ませたが、すぐに笑い飛ばした。
「親父に喧嘩売らないようにしないとな!」
彼がそう言うと近くに父親がいたのだろう。ユルによく似た男が酒を三つ持ってやってくる。
「オマエの知識は古臭く、そのせいでオマエは息子を二度殺す」
突然占い師に言われた男は意味が分からなかったらしい。
キョトンとした顔をしていたが、それでも徐々に理解していくと顔を赤くも青くも変えた。そして、怒鳴ろうとしたところをユルに「まぁまぁ」と止められる。
それでも語りをやめない占い師は、今度ティオグを見て笑った。
「オマエも太陽に灼かれる。利用され、恨まれ、その結果至る死は悲惨で無惨よ」
ティオグは仕事上何も反応を示さず、ただリュカを見た。
「リュカ。本当に聞くのか? この占い師は……」
「そこの卵ちゃんは青に飲まれるね。孵化も赦さず罪も拭えず、見る先々は後方ばかりって感じ。もし、助かったとしても今度は赤に飲み込まれるわ」
それを聞いたリュカは顔を青くし、ティオグの袖を掴んだ。
ユルの父親は気分を害し、同じようにシゲルも不機嫌なままこれ以上話を聞いていられないとその場を後にした。二人につれられ申し訳なさそうにユルも足を動かした。
「……でなんだけど、本題はこっからね」
占い師は去っていく三人を見届けた後に言う。再度サイコロに見立てた歯を転がし二人を見た。
「未来って変わるのよ。そりゃもう一つの動きやしょうもない言葉で賽子のようにコロコロとね。このままなんにもしないで行くと、こうなっちゃうよっていうのがさっきの結果」
「未来は変えられる?」
リュカの言葉に占い師はにんまり笑って頷いた。
「そ、そ。そーとも。とりさん達は優しいから先に最悪な結果言ってあげんのさ。先に最悪なの言っちゃえば道中辛い目にあっても結構耐えられるべ?」
占い師はそう言い、器用に指先に歯をのせると、それをくるくると回し始めた。ティオグにはわからなかったが、リュカは直感的にそれが魔法だと理解した。
「どうすればいいの?」
リュカの問い掛けに占い師は回していた歯を握るとそれを突然砕いた。手から溢れた歯の欠片は、緑にも青にも光る砂に姿を変える。
「助言が欲しい感じ? いいよぉ、素直な子じゃんね。そしたら、とりさんサービスしちゃう。でも、どう言葉を探せばいいかわからんから適当に言うわ。
多量の知識は直感に不透明な膜を張る。無料こそ高いものは無い。弱者には手を差し伸べよ。答えは内にしかあらず。愛によって病みは救われ……」
その時、近くの方から悲鳴が上がった。
二人は驚いてその声がした方向に顔を向けた。
調理方法でもめた料理人と客が殴り合いの喧嘩をしている。おそらくネチネチと言われた嫌味に耐え切れなくなったのだろう。
片方が罵倒し蹴りを入れ、片方は怒鳴り頭を叩く。それを見た他の人間は祭りの一種かと勘違いし盛り上がった。またケンカだと分かる者がいても、それを止めず酒を片手に囃し立てた。
リュカは気を取り直して、占い師からさらに話を聞こうとした。だが、振り返ると占い師の姿はなく、主人をなくしたテーブルと椅子だけが寂しげに置かれていた。