落とし子 5
1
ティオグが中央区に戻ると、そこには地獄が広がっていた。誰もが逃げ惑い、恐怖に立場を忘れて叫んでいる。
「何があった⁈」
自分の方向に向かって逃げてくる一人の情報屋を捕まえて尋ねると、青い顔をした情報屋は震える手で指をさした。
「バケモノが! またバケモノがやって来たんだ! ハバリーを食って!」
「くそ!」
急いでティオグは悲鳴の上がる方へかけて行った。
そこは血の海だった。何人もの何でも屋や護衛屋が倒れており、その中央に芋虫のような何かがいる。
いくつもの色をした肌が雑に縫い合わされている。動く度に紫とも赤とも青とも緑ともとれる色をみせ、ぼたぼたと地面を汚していく。
眼と思わしき二つの穴は、しかし深い切り傷と目を見ても気が触れないあたり抉られたのだろう。
西区の怪死事件。
何度も聞いた噂そのものである。巨大な人の肌をした芋虫が、身をくねらせフンフンと鼻を鳴らしながらもぞもぞと動いている。およそ三メートルはくだらない巨体に何でも屋、護衛屋は特攻をする。
その芋虫が体をくねらせるだけで人は弾かれ、壁に叩きつけられる。
「ティオグあぶねぇ!」
その異様さに脳が考えるのを拒否し、体が動かなくなる。だが、そんな声と共に同業者に腕を引っ張られたティオグは建物の隙間に入る。
先程まで立っていた場所に情報屋の遺体が飛んできた
「何があった」
「分からねぇ。襲撃された。縫い目が弱点らしい、糸が切れると中身が溢れてく。だがその中身もアイツも未知だ。噂通り、正気を飛ばすかもしれない」
「中央区の連中に正気な奴なんていないさ」
ティオグが皮肉に満ちて言うと「そりゃそうだ」と男は笑った。
「クレアは?」
「それが不思議な話なんだ。アイツわざわざバケモノに近寄って死にかけてた。慌てて逃げて行ったよ」
「どっちの方向だ?」
「西区」
「くそっ! すれ違ったのか」
ティオグは西区の方を見て舌打ちをする。
「お互い生き残るぞ、ティオグ。ここで見せ場を作れば暫く生活に困らないぜ」
「そうだな」
芋虫が暴れて露店を倒した。その拍子に一人は悲鳴が上がる方へ、もう一人は来た道へ、走り出した。
「何でも屋は中央区へ! 西区連続怪死事件の犯人がいる! 噂通りバケモノだ! 目を見るんじゃない! 西区管理局に見つかる前に殺せ! 正気を保つ自信がない奴は逃げろ!」
ティオグはそう叫びながら情報を撒いていく。
誰もが自分の手柄を取りたくて中央区へ向かうだろう。そこで怯えて戦う気が失せるのも、逆に戦おう奮闘するのも本人の勝手だ。しかし、ティオグの叫びを聞いた中央区の何でも屋は武器を手に持ち外に飛び出す。
「ティオグ! 後で情報資金を強請っても払わないぞ」
「大声で情報をまくなんて相当なんだろうな?」
事情を知らない彼らは茶化しながらティオグとすれ違っていく。
ティオグが依頼人を持っていることは皆知っている。ゆえに、彼と依頼人がはぐれたというのは考えなくても理解できるだろう。
「クレアを見ていないか? 西区へ行ったと聞いたが」
「西区から戻って来たのを見たぞ」
「ありがとう!」
ティオグはそう言って中央区の簡素なゲートにたどり着いた。
2
文字は覚えられなくても体で覚える事は得意であった。一度来た道は忘れない、一度あった顔は忘れない、それがティオグの強みであった。
ゆえに、クレアが青い色の民族衣装を身に纏っているのを発見することができた。その民族衣装は問題の家にあったものだとすぐに思い出す。
「困るな。護衛の賃金をまだ貰っていない」
ティオグが意地悪くそう言うと、クレアは肩をびくりと振るわせたが苦笑を浮かべたままゆっくりと振り返った。
「命だけでも助けてやったのに酷い言い草だな」
「助けてやった? 随分な口の利き様だ」
「当然だ。ここの文明は劣っている。科学も魔法も文化も全て……。だから神秘を見せてやったんだ」
「あのバケモノが神秘だって?」
「バケモノじゃない。ただあれは、あの”落とし子”は……」
クレアは初めて悲しそうな顔を浮かべた。
「言っただろう。ティオグ。私は故郷で失敗するのを恐れて此処に来た」
「何故」
「お前が此処に来てやり直せると思ったのと同じだよ。此処で召喚に成功すればよかったのに」
男は自嘲する。芋虫が遠くの方で暴れていると分かるのは、建物が崩壊するのと人の悲鳴が聞こえるからだ。
「私を捕まえても何も変わらない。器が不安定だからアレは――……”落とし子”はまもなく死ぬ。生きた魂の強固な人間でないと上位存在を閉じ込めるのは無理らしい」
「お前は裁かれるべきだ」
「誰に? 何故? これは我々高等文明を持つ者が行ったことだ。アリの巣にお湯をかけただけのものさ」
二人の近くに何でも屋の死体が転がってくる。
”落とし子”と呼称された芋虫はすぐ側まで来ているが、その体のほとんどが何でも屋によって傷つき今にも崩壊しそうになっている。
この短い間にも”落とし子”を殺そうとしてやり返された仲間たちが地面に転がっていく。その光景にティオグの気は一瞬だけそれた。
「莫迦だな」
その隙をついてクレアは持っていたナイフをティオグの腹めがけて突き出した。
「その意見に関しては同意しますよ」
クレアの突き出す腕には細い鎖が巻かれており、その鎖の先にはナイフが垂れている。混乱するクレアをよそに鎖がぐいと引っ張られ、彼はバランスを崩し派手に転倒する。
そこにいたのは、鎖を引っ張るロウだった。
施設に連れて行かれた筈なのに彼には傷一つない。ただ、その姿はやはりあの時守りきれなかった少年を思い出させる服装をしている。
クレアはすぐさま立ち上がり、腕に巻きつく鎖を解いた。解いた、というよりは壊したという言葉が正しいのだろう。
バチンと音を立てて鎖砕け、重力に負けてはガチャリと地面に落ちる。
その音に反応をしたのだろう。ロウとティオグの背後では”落とし子”がまた身をもたげる。
ドシンと大きな音を立てて倒れるように二人を踏み潰そうとしたがその目測は外れた。
そのタイミングを見計らいクレアが逃げ出したのが砂埃の中で見て取れる。だが、彼をおう余裕など、”落とし子”が与えてくれる筈がなかった。
縫い目から玉虫色の体液が溢れ、地面を汚す。
「ロウ。無事だったか? 俺は――……」
「話は後で」
ロウはそう言いながらナイフで”落とし子”の体に傷をつける。
ナイフの鋭い刃先がちぐはぐな縫合を解き、そこからさらに体液が溢れる。”落とし子”はさらに体をくねらせロウを吹き飛ばそうとするが、それを彼はなんなく避けていく。
ティオグはすぐに剣を抜き、その巨大な体に振るう。遅れて来た何でも屋と護衛が斧を、剣を、鎌をその皮膚に向けて振るった。
3
”落とし子”が動かなくなったのは、さらに数時間が経過してからだ。
どしんと音を立てて倒れる。しばらく痙攣をしていたが、それでもようやく静かになった。空気が抜けた風船のように、みるみるうちにその体は萎んでいく。
人の皮で接合された一枚の皮袋は誰もが不気味がり近寄る事すらしなかった。間が悪い事に、危険性を知らない西区管理局がやって来て説明をする事も許さずそれを没収した。
「捕まった筈じゃないのか?」
”落とし子”が動かなくなった事を確認した後、ティオグはロウの元へ近寄った。
ロウはおかしな羽飾りをつけている。おそらく守りそびれた少年に変装して”落とし子”の囮となるつもりだったらしい。
黒いワンピースという格好を彼は恥じる事もなく着こなしている。
「……えぇ、まあ」
投げやりな態度でロウはそう答えながら、持っていたナイフを捨てた。何度も”落とし子”を切りつけたせいか鈍と化している。
「一人の何でも屋がどうにかなったところで中央区の連中は何も思わないでしょうけど、……おかげさまで無事でした」
ロウは、皮肉たっぷりに答えながら喜びの声をあげている他の何でも屋達を見た。
バケモノを倒せた興奮か中央区の人間たちは大声で何かを叫びながらお互いを励まし合い、支え合っている。おそらく宴会が始まるだろう。
「ロウ。あの……」
「長話は結構です。のんびりして西区管理局にまた捕まるのも嫌なので……。それに、私は次の依頼人を見つけたので此処から離れます」
「相変わらず行動が早いな」
ティオグが笑ってそう言うと溜息をついて自分の足元を見た。たしかに、”落とし子”を目撃しただけではなく戦いもした。西区管理局が黙っていないだろう。
「俺もしばらくこの区画以外で仕事を探そうと思う」
そう言って顔を上げたが、既にロウの姿はなかった。
気の早い彼のことだ、すぐに次の仕事とやらに向かったのだろう。何も変わらないなとティオグは安心し、怪我をした同僚たちの救出に向かった。
中央区の死者、重傷者は合わせて五十をゆうに超える。
けれど、元々人の出入りが多い区画であったがため、それを心配する他の区画は存在しなかった。中央区の人間もそれを覚悟しながら仕事をしているので、建物の修理は思いのほか早く、人の立ち直りも半年経てばすぐに落ち着きを取り戻した。
それでも理解のできないバケモノの襲撃にあったという事実は変わりがない。
何でも屋が主犯を庇っていたという噂も流れた。ゆえに、中央区は時が経つに連れ、これ以上に落ちぶれていくようになる。
それでもティオグたちの言った通り、そこに住む何でも屋たちは気に求めずただただ日々を過ごしていった。