落とし子 3
一見、彼らは歳の離れた兄弟のように見える。
似た髪色、身に付けている黒の羽飾り、同じ黒の服。しかし、異様に輝く金色と黒の瞳は絶対的に何かが違うと示していた。
彼らはバケモノに追われていた。
男は少年を抱き抱えて逃げようと提案したが、それを少年自身が断った。体躯こそ小さいがそれでも動きはロウと引けを取らない。
二人の背後では、バケモノを見て悲鳴をあげる西区の住人や中央区の何でも屋がいる。
攻撃をしようもその巨躯に弾き返され、壁にぶつかり失神する者や、半身を噛みちぎられる者が続出する。
「目を潰したのにまだダメですか。……アレは貴方を追っているんですね?」
ロウは並走する少年に声をかける。
少年は「分からない」とだけ答えると、計画とは違う方向へ走り出した。何でも屋が戦っているおかげでバケモノとは距離が出来ている。
「ボクは知らない家に呼ばれ、身の危険を感じて逃げたわけさ。追われる原因があるとするならば、ボクは追跡者の餌なんだろうね。……だから、情報を得るならばあの家に戻るしかないと思う。ついてきてごらん、案内はできるから」
少年はそう言いながら一つの家へと男を案内する。
扉には鍵がかけられておらず、二人は中に入る。ロウはその光景を見て絶句した。
「これは――……」
その時、腹に響くような音が周囲に轟いた。
家に置かれていた家具や観葉植物が倒れ、窓の外では古い建物が倒れる。家具が二人の間に倒れ、片方は逃げ場を失う。
ロウは少年に向かって手を伸ばしたが、それは届かなかった。
バケモノが窓から入って来て少年の腹を食いちぎる。
悲鳴をあげるロウをよそに少年は彼の名前を呼び、あろうことか”笑った”。バケモノは少年を咥えたまま身をくねらせて地面の下へと潜って行った。
静寂が再びやって来る。
西区管理局が来る前に早くこの事実を伝えなければならない。
ロウは涙を拭い、地面を蹴って家の外へ走り出した。
1
翌日から妙な噂が回った。連続怪死事件の被害者が増えたというものだ。
それをやったのは人ではないという。
芋虫のように地面を這う。そして時折身をもたげて何かを探すように鼻を鳴らすのだそうだ。それでいて近くに人間がいようものならば、その大きな口で噛み付くらしい。
外は祭りの準備でこうも浮かれている。だというのに部屋の中にいる依頼人はクレアは寝床として準備した絨毯の上から少しも出ようとしない。
事態に怯えているのか外から絶え間なく聞こえる騒々しい人の声を嫌悪しているのか、おそらくどちらもなのだろう。彼は壁に背をもたれて、恨めしそうに外に出て調査をなかなかしないティオグを見ている。
北区や南区とは違いこの中央区には玄関扉という存在はない。
厚手の幕が垂れているだけでそれさえくぐれば中に入る事が出来る。それは人の声や音も同じで筒抜けになる。それが余計クレアに居心地の悪さを与えるのだろう。
「情報を記録しなくていいのか?」
問うクレアにティオグは「いつもこうだ」と頷いた。
「いつも? 情報は記録しないと……。それに、この部屋には本が全然ない。これじゃ何も学べない」
彼はそう言って家の異変を指摘する。
ここには本や筆記具、紙など一切置かれておらず、寝る為の絨毯が床に直接引かれており、縦長の抱き枕が二つ転がっているだけである。ティオグは溜息をついた。
「俺は読み書きが出来ない。分かると思うが、ここは貧富の差が激しい。筆記用具は高級品に当たる。区画によって働ける内容ですら違うからな」
「ここは劣ってる。私の故郷には人を区分するような事はなかった」
「俺の所もそうだ」
ティオグはそう言って小さな窓に吊るされた貧相な幕を少しだけ上げる。そこからは路上で寝る人間、子供は半裸のままゴミとも呼べるような物で遊んでいる。
「お前がいたのは中流階級が住む西区だ。ここは中央区。誰でも来れるとうたっているが、実際はどの区画にも住めないどうしようもない人間が来る掃き溜めにすぎない」
クレアは黙って己の両膝を抱えた。
「中央区は治安こそ悪いが一度顔馴染みになれば心強い。仲間意識の強い連中が多くてな。お前の事は既に護衛たちの中で情報が広まっている」
「お前の仕事なのにか?」
「有能なところを見せれば依頼人の気は変わる」
「ようするに仕事を奪いたいんだな? 随分な所じゃないか」
「一度住めば悪くは無いと思えるさ」
ティオグは文字の書かれていない地図を広げる。
「お前は西区から来たんだろう? そこで働いて、もし信用の欠く事をしたら中央区に摘み出される」
「お前もそうなのか?」
「護衛職や何でも屋は必ず中央区に住まわされる。文字の読み書きもろくに出来ない俺は強制的にここになるんだが、……とにかくここは能力によって左右される」
「能力……」クレアはそう言ってさらに膝を抱く手に力を込めた。「私にだって……」
「ティオグ」
不意に玄関に吊るされた薄い布が持ち上げられた。
そこから屈強な男が一人入ってくる。ハバリーだ。クレアには分からない動作で彼らは短く挨拶を交わした後、床に座った。
「怪死事件とバケモノは同じと噂が流れている。それだけじゃない。祭りに乗じて区画に関する示威運動だと一部では言ってる。数人の護衛も西区に駆り出されているが、負傷者が出た。また襲撃があったらしい」
「犠牲者は?」
「体の横半分を食われたり様々だ。目撃者もいるが憲兵によって件の病院に連れていかれたようだ。西区は東区と違って北区と南区に媚を売ってるからな。これで噂が広がったら大変な騒ぎになる。隠蔽も大変なんだろうよ」
「それなら負傷者と接触は出来たか?」
「浄化施設に連れて行かれた。そこも問題があってな。新しい手術方法が見つかったらしいと言っただろう? 中央区の陰気な医者の方がまだ信頼における。余程のものらしい」
「南北の区画に噂が流れたらそれこそ西区は終わりだからな」
ティオグの呟きにハバリーは同意した。
「で、ティオグはずっと篭りっきりか?」
「西区管理局の目が厳しい、動くに動けない。彼女が逃げた道と怪死事件の場所を地図で見ていた。やはり西中央区に集中しているな。外れだから家も少ない」
ティオグは文字の書かれていない地図を広げた。
「中央区の連中が住まわれたら面倒だと空き家も壊されたからな」
「連中は俺たちを虫かなんかだと思ってるぞ」
男二人はそうやって地図を指さし合い話し合っている。クレアはただただ膝を抱いてどうにか解決してくれないかと辛抱強く待っていた。
「クレア。何かをしたとか心当たりはないのか?」
「ない。強いて云うなら……西区の外れに住んでいたからかな。騒音で一回怒られた」
それは散々だな。と二人の何でも屋は笑った。
「そういえば、ジャクドーが喜んでたぞ。怪我人がいたそうじゃないか」
「もう情報が漏れたか。流石に早いな。おそらくクレアの友人じゃないかと思っている」
ティオグが苦笑してそう言うと、クレアは初めて反応を示した。
「どうして教えてくれなかった? 彼は生きてるのか?」
「お前の友人であると確証が持てないし、本人は口が利けないほどに重症だ。治療をしているし、しばらくすれば話をすることもできる。……だが、彼を保護したロウを信じていいのか……」
ティオグはロウの様子を思い出しながら言葉を探す。現実主義者のロウが動転していたとはいえ、あそこまで突拍子もない事を言い出すだろうか。
「彼は信じられないのか?」
「いや、心強い仲間だ。……だが、あまりにも現実離れをしていたんだ。翼があるとか、ないとか、そんな事を言っていた」
「翼? 天使か?」
黙っていたハバリーが笑って尋ねるのをクレアは黙って睨みつけた。
「天使だなんて……。よせよ。南区の人間に影響されたか?」
「そういった柄じゃないのは知ってるだろう? おい、お前さん。お前の友人かは分からないが、治療はしてるんだ。お前の話を信じるならバケモノに追われた事がある。そうしたなら西区管理局が黙っちゃいない。ティオグだって考えてるんだ。そう怖い顔をするな」
ハバリーはそう言って窓の方へ声を掛ける。すると、痩せ細った少年が窓から現れた。手には小さな包みを三つほど持っており、テーブルにそれを置く。
「俺の弟のヴィクスンだ。情報屋もしてるが、最近では何でも屋を始めた」
自慢げに弟を紹介をしたハバリーはさらにポケットから銅貨を数枚取り出した。
「ロウの家に行って様子を見てきてくれ。伝言があるなら預かってこい」
ヴィクスンは「了解」と答え家の壁を登っていった。
弁当は出来立てなのか湯気が立ち上り、香辛料の香りが鼻を擽る。白米に小さな鶏肉が数個枚置かれるだけの簡易な物であったが、ピリッとした辛さを持つ汁が染みている。
「子供を働かせるなんて」
鋭い口調で不満を零すクレアに二人は驚いて振り返った。
子供でも老人でも中央区に来たからには働くのは当然なのだが、彼が住んでいたところではやはり常識ではないらしい。
「ヴィクスンはまだチビだが、何でも屋をしてここの地形を覚えていき、いずれ護衛になるんだ。厭だったら中央区を出ていけばいい話さ」
ハバリーの言葉にクレアはますます厭そうな顔を浮かべて米を口に放り込んだ。
「でだ、ティオグ。俺も仕事が入っちまったからお守りはこれまでって事になる」
「仕事が入るのはいい事じゃないか」
「西区の護衛依頼が増えてる。噂が流れ出しているんだ。憲兵だけでは、もうどうしようもないだろう」
「気をつけろよ」
分かってる。と、ハバリーは答え家を出ていく。
2
「どうしてアルスの事を教えてくれなかった?」
弁当を食べ終えたクレアは恨めしそうにティオグを見た。
「確証が持てないんだ。中央区は他所から来た人間を歓迎する。管理が甘いんだ。犯罪者だって、誰かから逃げて来た訳ありの人間だって同じく扱う。それは老人でも子供でも変わりない」
「依頼人の信頼に関わるんじゃないのか?」
そうかもしれないな。とティオグは言って椅子に座った。
「対象と思わしき子供を見つけたが身長は百三十センチ程。クレアが言っていたのは青年。そう呼ぶにはまだ歳が離れすぎている。それに、言った通り重症で口が利けなかった。お前を逃した後に怪我した可能性もある。容態が良くなれ会わせるつもりだったんだ。不安にさせたくなかったんだよ」
それはティオグの本心なのだろう。クレアもそれ以上機嫌を損ねる事なく「分かったよ」とだけ呟いて普段通りただ両膝を抱いてすれ違う中央区の人々を見ていた。
その中には西区管理局の人間もいて、忙しなくキョロキョロと周囲を見回している。おそらくバケモノの噂を見聞きした人物を知っては連行しているのだろう。
「移動するなら夕方だろうな。西区管理局はこの土地には詳しくない。今のうちに寝てくれ。活動は夜になる」
「まるで泥棒のようだ。良い気はしないね」
「しかたないさ。バケモノは西区に出没すると聞く。夜に行動しても問題はないだろう」
仕事にいった筈のハバリーが血相を変えて戻ってきたのはそれから数時間後の事だった。ティオグは飛び起き、急いで武器を構えると彼を迎えた。
「ロウの家が襲撃されてる! くそっ! 緊急用の小屋もだ」
ティオグは驚いて窓に身を乗り出した。
路上にいた数人の護衛や情報屋と思わしき人間が振り返った。ティオグはすぐさま彼を家に招き入れ、水を一杯寄越すが、ハバリーはそれを断り早くついて来いと促す。
「くそ! 様子を見に行ったヴィクスンは重症だ。俺が行けって言ったんだ! ロウはいなかった、家が荒らされてて壁には大穴が空いてた。人間技じゃない。緊急用の小屋も同じように荒らされていた。ただ、これがあった」
ハバリーはそう言って一枚の羽をティオグに渡した。それは片面が白でもう片面が黒という奇抜な色をしたものだった。
「天使か?」
「天使な訳ないだろう! 俺の弟に怪我させやがったんだ! 畜生!」
羽を投げ捨てようとしたハバリーを止めたのはティオグではなくクレアだった。彼は羽根を奪うように持つとティオグを見た。
「友人の物で間違いない」
しかし、ティオグが答えるよりも先に、近くで悲鳴が上がった。
ハバリーとティオグは直ぐにクレアのそばに近寄ると、家を離れる。
数人の護衛と何でも屋がティオグとは反対方向の悲鳴が聞こえた方に駆けて行く。人混みを掻き分けながらティオグは振り返った。
そこにいたのは巨大な芋虫のようなナニカだった。
「あいつが俺の弟を!」
バケモノに向かって走り出したハバリーをティオグは止める事が出来なかった。
バケモノも地面を這う速度を緩める事なくティオグの方向にまっすぐ向かってくる。
それを何でも屋と護衛が持っている武器でどうにか鎮圧を図るが、力は圧倒的にその芋虫の方が強かった。人を薙ぎ払い突っ込んでくる。
「くそ!」
そう叫んでいると、不意にクレアが転んだ。慌てて彼を起き上がらせようとしたが、ナイフがティオグの頬を掠めた。
「コイツは敵だ」
そこにいたのは全身を血に汚れたロウだった。彼の目はどこか空で、けれどどこか獣のようにギラギラと輝いている。
「ロウ、あの子供はどうした?」
「死んだ。”落とし子”に食われた」
ロウはそう言いながら武器を構える。
ナイフは鎖と繋がっており、彼が片手を引くと地面に刺さったナイフが彼の手元に戻っていく。
「クレアは依頼人だ」
「違う。コイツが主犯だ」
「証拠はあるのか?」
「彼が言っていた」
彼とは誰だ。と、問いかける前にロウはクレアに走り出していた。
「ロウ! 俺たちは戦うべきじゃない!」
ロウの繰り出す攻撃を避けながら、弾きながらティオグは叫んだ。剣がナイフを弾く間にも次の瞬間には毒の塗られたナイフが彼の首を目掛けて放たれている。
「くそ!」
遠くの方で悲鳴が上がる。困惑の声が上がる。バケモノが建物を壊している。けれど、その音は不意にやんだ。
誰もが静寂に驚き、止まった。
それはロウも例外ではない。彼の一瞬の隙をついてティオグは彼の鳩尾に拳を入れた。崩れ落ちるロウを見、彼が持っているナイフを遠くの方へ蹴飛ばし無力化を図る。
「くそっ! 逃げられた」
興奮気味にハバリーが戻ってくる。ティオグが彼に気を取られた隙を見て、ロウは武器に手を伸ばそうとした。しかし、容赦無くハバリーが彼の手を踏みつける。
「お前、家を襲われて依頼人を殺したそうじゃないか」
「違う!」
叫ぶロウを無視してハバリーは話を続ける。
「しかも、逃げてきた依頼人を殺そうとしただなんて……。アレだな、気が狂っちまったのか」
ティオグは困惑してハバリーを見た。
弟は怪我をし、バケモノにも逃げられた八つ当たりにしか見えない。落ち着いてくれと静止を求めようとしても、いつの間にか自分達の周りには野次馬が囲っている。
「いい場所がある。西区の浄化施設だ。生きてくる奴もいるだろ? 情報収集として働いてもらわないと」
驚くティオグとは別に、手を踏まれたままロウは声をあげて笑った。その間に騒ぎを聞きつけた憲兵が何人もやって来る。
「後悔するといいですよ! 痛い目を見るのは貴方達だ! 西区外れを見ればすぐわかります! 私は見てきた! そこで――そこで儀式をしているのを!」
後悔するのはどちらだろうと思いながらティオグはロウを見る。
どう見ても狂っているのはロウだった。
ロウが一瞬の隙をついてハバリーに攻撃を仕掛ける前に、西区管理局が鎮静剤を投与した。
薬は即効性のようだ。ぐったりとしたロウの姿を見、誰もが「ロウは終わった」と思った。けれど、余韻に浸る暇などなかった。
あろう事か西区管理局はすぐに周囲にいる人間達を捕縛し始めた。
バケモノと、それに起因した発狂者を見たからだろう。何でも屋、情報屋たちはすぐさま蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「仕方がない。あんなバケモノに襲撃されたら誰だって気が狂うさ」
クレアを担いで逃げるティオグと並走しながらハバリーは哀れみを持って彼に優しく言った。遠くの方で叫び声をあげ、泣き出し、暴れる何でも屋を西区管理局の人間が押さえている。
発狂したであろう人たちは容赦無く己の頭を地面に、壁に頭をぶつけているのに幸せに満ちた笑みを浮かべている。
「だけど、原因は分かった。バケモノを殺せばいいんだ。俺達の得意分野じゃねえか。なあ?」
ハバリーの鼓舞に共に逃げている中央区の何でも屋や護衛屋達は力強く頷いた。