落とし子 1
願望、喪失。愛、憎悪。飢え。それらが内に渦巻くのを識り、今の自分ではどうにもならないと自覚した時、人はふと”何か”に頼りたくなる。
もがき、あがき、そして助けを乞うため見上げる。
そこにあるのは太陽であり、月であり、星であり、そして宙である。
1
西区の外れでは、奇妙な噂が流れている。
目の無いバケモノが何かを探し人を食らっている。
それは、豚のように鼻を鳴らしては芋虫のように地面を這うと云う。
商業、職人、働き手達が住まう此処は中央区。他に東西南北に分けられた区画があるが、此処中央区はその中でも特別な場所であった。
他の地域、国、どこから来ても、どんな人間でも技術があるならば歓迎される。
来たその日から定められた登録さえすれば働く権利だけではなく生活を送る権利を与えられる。
何でも屋、護衛屋、解決屋。必ず職種名称に屋をつける規則はある。しかし、他の区画と比較すると暮らし易い場所であった。
そんな中央区に一つの噂が流れた。
西区の外れ、そこは中央区に近い。そんな場所で目が無いバケモノが夜な夜な人を襲う。それは豚のように鼻を鳴らしては、艶かしい人肌を持った躰をくねらせ動き回ると云う。
西区管理局はその存在を許さず、目撃者を捕まえ牢獄に入れて二度と外には出さない。らしい。
「それを探る?」
中央区。ティオグの家、狭い部屋に男二人はいた。
一人は淡い水色の髪を持ち、もう一人は黒々とした髪を持つ。どちらも年齢は近いが、体格も性格も大きく異なっているため兄弟でない事は誰が見てもすぐに分かるだろう。
そう疑問を投げかけるティオグにロウは頷いた。
二人は同じ頃、中央区にやってきた異邦人である。身体能力の高い彼らは即日、何でも屋として登録し、こうして質素な暮らしをしている。
「西区の外れ? バケモノを退治で賞金が出るのか?」
ティオグはさらにそう尋ね、しまっていた地図を取り出す。
お互い同じ地図を持っているが。ロウの持つ地図には細かな文字が綴られているのに対し、ティオグが持つ地図には一文字も書かれておらず独特の記号が描かれていた。
「信仰強い北区もこの噂を気にしているようです。富豪の住む南区も同じ。そこで有能であることを証明できれば、南北からの依頼は増えます」
ロウはそう言いながらティオグにバケモノ発見の証言箇所を教える。ティオグはすぐにそれに黒の丸をつけていくが、やはり文字は一つも書き記さない。
「証言や発見場所が集中しているので発見は早いかと思います」
「通りでここ最近、何でも屋が西区に行くわけだ。お前も調べるのか?」
「はい。一週間後に中央区で祭りが行われますので、調べる余裕があるのが今週だけなんです」
ティオグは「なるほど」と頷くと、記号ばかりを書き込んだ己の地図を見直した。
「ティオグも調べておくといいですよ。では、私はこれで」
ロウはそう告げると、簡素な部屋から出ていく。
ロウは軽い足取りで階段を飛び越え、手摺に飛び乗り、慣れた手つきで壁を伝い民家の屋根に登った。
地面を走るように屋根から屋根へと重力を感じさせない動きで移動して行く。そんな様子を見届けたティオグは飲みかけの茶を喉に流し込み、地図を丸めてポケットに押し込んだ。
「とにかく……仕事はとってこないとな」
2
中央区はとにかく人が多い。
家出人、ならず者、前科者、そういった者でも中央区管理局は拒まないからだ。人は再起できると奇跡を信じているのか、単に区画に住む人数が欲しいだけなのかは分からない。
誰もが己の不安定な生活を繋いでいく為、どんな仕事でも欲しがっていた。それはティオグにも当てはまる。
一週間後に祭りがあると言うので、何でも屋らしく屋台の建設手伝い依頼を受注する。
「口頭で頼むよ。俺が読み書きできないのを知ってるだろ?」
採寸をしながらティオグが呟くと、今回の上司は呆れた顔をする。
「文字くらい読めるようにしておけ。お前は手先が器用なのに勿体無いぞ。ほら、二十七センチだよ」
「仕方ないさ。俺はココに来たばかりなんだから」
ティオグはぼやきながら木材に印を入れ、慣れた手つきでそれを切り始める。
「いずれ支障が出るんだ。読み書きくらい教えてやるぜ。時間給だが友達価格で許してやるよ」
「気持ちはありがたいが、俺には独学が向いてる」
「よく言うよ」
愚痴や噂、そんな雑談をしながらでも仕事は進み、気がつけばすでに陽は傾いている。
「飯でも食いにいくか」
その言葉が今日の仕事の終わりを告げ、何でも屋たちは道具を置く。
近くで行われていた炊き出しに便乗し、汁だくの器を受け取る。
他の区画では行儀のなっていないと云われる立ち食いは、中央区ではむしろ常識の一つとして行われる。ティオグもそれに倣って壁によりかかり白米を口に掻っ込む。そうしていると、見知った姿があった。
何でも屋としてティオグよりも二つ上の先輩ハバリーである。彼は自分と妻用に弁当を二つ持ち、ティオグの姿を見かけると大股で近づいて来た。
「お前も西区の怪死事件について調べてるのか?」
「いや、それはロウが調べている」
「お前も調べた方がいいぞ。西区に恩が売れるかもしれん。どうだ? 少し情報を売ってやってもいいぞ?」
「情報を売るのは弟のヴィクスンの仕事だろう?」
ティオグはそう言いながらもポケットから銅貨を三枚取り出し、それを押し付けた。ハバリーはそれをすぐに受け取りながら満足そうに頷いた。
「連続怪死事件とバケモノの噂は同じらしい。バケモノを目撃した人間を攫ってるのは西区管理者だ。西区を調べてた何でも屋も数人連れて行かれた。連れて行かれた場所は西区の浄化施設だ」
ハバリーの言葉にティオグはうめいた。
この時代での気分の落ち込み、癇癪などは他者からかけられた魔法のせいだと言われていた。実際、呪われたという証言もある。実際のところ不明だが、周囲はそれを信じ切っていた。
身体を浄化し、呪が拡がらないよう対象者を強制隔離する。
ただ、一度入ったら出る事は許されない。そんな噂も流れている。
「生きて帰ってきた人もいるが、相当酷い目にあわされたらしい。意思疎通は無理だ。だが、バケモノを目撃した人間も皆等しく廃人になるらしい。どっちがマシなんだろうな」
「目撃をしたら廃人になるというのに何故噂が流れる?」
「西区で情報提供者がいる。隣人と一緒にバケモノを見たと聞いた。提供者はその影を見た途端怖くなってすぐ家に戻ったらしい。だが、隣人は最後までそれを見た」
ハバリーがそれから口をつぐむ。金の要求らしい、ティオグはさらに銅貨を追加する。
「その隣人は半笑いで涎を垂らしながらずっと地面に寝ていたらしい。それをすぐに西区管理局が見つけて連れ去った」
「あまりの怖さに気が触れたのか?」
「バケモノの姿は寸胴。と言ったり馬鹿でかい”人”と言ったり様々だ。人肌が見えたという証言もある。だが、それ以上はわからない」
「それなら管理局はもっと緊張するだろうな。祭りは区の在り方も示す。怪死事件の方は?」
彼が口を閉じるよりも早く、ティオグはさらに一枚銅貨を押し付ける。
「中央区寄り西区で遺体が連続で発見されている。体の一部に激しい損傷、獣に食われているような傷があったらしい。遺体は西区管理局が持って行った」
「遺体の処理に管理局が介入するか? 北区の遺産目当ての毒殺事件だって介入はしなかったぞ」
「だから言っただろう? バケモノと関連しているらしいんだ。それに、浄化施設で新しい治療法が見つかったらしい。詳細は知らない」
「ありがとう。どれも知らない情報ばかりだった。……時間をとらせてすまなかったな。これから奥方と食事なんだろ?」
ティオグがそう言うと、ハバリーは照れ臭そうに笑った。
結婚してから随分経つのに仲睦まじい。いつだって気分は新婚だろう。彼は照れ隠しにティオグの背中を乱暴に叩いた。
「ティオグ、お前も良い伴侶を見つけろよ?」
「結婚に対する希望が持てたらな」
「お前の実家とお前はまた違うさ。何度も失敗を見てるんだから同じ轍は踏まないだろう」
「だといいがな」
ハバリーは再度笑うと雑踏の中に消えた。
3
炊き出しの後片付けを手伝い数人の同業者と情報交換を終えた。ハバリーの方が顔が広い為、聞いた内容はほとんど知っており空振りに終わった。
だいぶ夜も更けて来たので、ティオグは家に戻ろうとした。
「逃げろ!」
不意に叫ばれた。
振り返ると血だらけの少年を抱えたロウが走ってくる。
ティオグは驚いてロウの指示通りに走り出した。背後を見ても何も追いかけてくる気配はない。だというのにロウは少しでも何かから距離を取ろうと必死の様子で止まる様子はない。
「何があった?」
「噂の真相を突き止めようとしたんですよ。ゴミ捨て場に彼が倒れていて……」
ロウはそう言いながら自身が抱えた子供を見る。
その顔を見てティオグは言葉を失った。少年の口は乱暴に縫われており、顔には複数もの打撲痕がある。全身が血に塗れていてロウの手も服も同様に汚れていた。
子供の小さな背中はどこも傷だらけで真っ赤に染め上がっている。特に酷いのは肩甲骨付近だ。そこからは真っ赤に濡れた突起物(おそらく少年の骨だろう)が顔を覗かせていた。
「私を庇って……」
ティオグはロウが抱き締めている子供に触れようとしたが、ロウが数歩下がってそれを拒否した。
「ロウ。最初から説明してくれないか?」
「彼がゴミ捨て場に倒れていました。近寄ろうとした時、あのバケモノがやって来て……」
「待ってくれ。バケモノだって?」
「人の……幾つもの人の皮膚で接合された見た事の無い異形です。食べられると思ったんですが、彼が間に割って入って……。折角、残っていたもう片方の翼を食いちぎられて」
「人に翼なんか……」
「現に生えていたんです」
ロウはそう言って血塗れの背中を指さした。たしかに肩甲骨付近には先ほどみたものとは長さの違う突起物が一つ飛び出している。
「こいつがバケモノなんじゃないか?」
違うとロウは顔色を変えて即答する。その異様さにティオグは一瞬だけたじろいだ。
「……。ごめんなさい。必死だったもので。それに相手は、裕福層を狙っているのかもしれません」
子供の金色に光る耳飾りを見てロウは言った。
「私は彼を保護します。話も聞けるでしょう。ですが、あのバケモノがこの子を追っているなら……」
ロウはそう言って子供を抱いたまま器用にポケットから一枚銀貨を取り出し、ティオグに渡した。
「医者を呼んでください。ジャクドーがいい。彼は重症患者が好きだから……。私は中央区二十七地区の三番空き家にいます」
「分かった」と、ティオグが答えるよりも先に「助かります」と告げたロウは走り去った。
中央区に住むのは浮浪者が多いが、そこにも医者はいる。前に住んでいた場所で問題を起こしここに逃げ込んできた医者というのが大半であり、それゆえにどこか信用に足らない。技術もそうだが、一番の問題点というのはあまりにも個性的すぎるからだ。
「ジャクドー」
それでもティオグは、いつも世話になっている闇医者に声をかけ銀貨一枚握らせた。銀貨を受け取ったジャクドーは明らかに不満げな顔を浮かべてティオグを睨み言葉を待っている。
「中央区二十七地区の三番空き家に重傷者だ。身体中切り傷だらけで、肩甲骨からは骨が飛び出ている。重症だ」
それを聞いたジャクドーは一瞬にして態度を改めた。今度はしっかりとティオグに向き直り、地面に置いていた医療器具を持つ。
「そういった患者なら俺の得意分野だ。他に声をかけたか?」
「まだあんたにしか声をかけていない。死にかけの患者が好きなんだろ?」
ティオグがそう続けると、ジャクドーはニヤリと笑い頷いた。
特異な趣味を持った医者が中央区には多い。
人に感謝されたいから重症であればある程喜んだり、血が見たいからと医学を身につけた者もいる。ジャクドーは常に己の可能性を見出そうと患者を研究対象として診る者だった。
「道具を運ぶか?」
「不要だ。お前と話をしている時間も惜しい」
そう言って走り去るジャクドーを見送ったティオグは今度こそ家へ戻った。
ふと、歩いていると生暖かい風が吹いた。
ティオグは嫌な予感に振り返ったが、そこにあるのはいつもと変わらない中央区だった。