1-5
リゼットは笑みを浮かべて、ナツキを見ている。何か考えているのか、それとも何かしてほしいのか。
彼女は300年この場所に居て本当に寂しさや苦しさを感じていなかったのか、外見からでは把握できないことが多い。
「昔の事、思い出せている?」
「え?あぁ。割と最近のところまでは。」
「そう。じゃぁ話してくれる?」
「僕の過去なんてそれこそ、君と比べたら大したことないだろう。」
「嫌味?」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど。」
「ナツキは自分の過去を私に話すのが嫌なの?」
「嫌じゃない。」
「本当は私よりもあの淫獣の方が好きなの?」
「淫獣!?」
サキュバスの事を言っているんだろうか。流石にサキュバスが可哀そうになるネーミングだが、仕方ないかもしれない。尻尾とか生えているし、獣っぽいところは多い。
「だとしたら相当趣味が悪いわね。正直、幻滅したわ。」
「いや別にサキュバスが好みとかそういうわけじゃないからな!?」
「そう。あの黒い服装とかどう考えても子供の教育に悪い言動が好みの人も結構いるものね。」
「僕はノーマルな人間だから。」
「そう。普通が好きなの。」
「そういう話を聞きたくて呼んだのか・・?」
「ナツキを玩具にするのも悪くはないと思ったから。」
確かに、彼女にとっては新しく来た人間と会話するのはいい経験かもしれない。
「貴方は子供の頃は何をしていたの?」
「まずそこからか・・。」
「話したくない事があるのなら別にいいわ。」
「そこまで酷くはないんだけど。孤児院産まれでね。エストベルの南方で亜人山賊の連中に両親を殺されていたらしいんだ。」
「よくある話ね。」
300年前から人殺しを生業とする人間は存在し、特に亜人による山賊グループが治安を悪化させる事が多い。
ナツキの両親はその山賊に殺害された後、ナツキは山賊討伐の任務に参加したギルドによって救出される。その頃のナツキは赤ん坊のため、両親の顔は覚えていなかった。
「危険な魔物や山賊の討伐を生業にするギルドに助けられて、孤児院で育った後はずっと剣術の稽古だった。というのも、当時は魔物を討伐するための人材が不足してきていて、孤児院の子供を職業訓練する事が多かったんだ。」
「貴方は嫌じゃなかったの?」
「魔物の繁殖規模が増加して、農作物がやられたからな。軍隊を動員してその魔物を殲滅するまではよかったんだけど。」
ナツキは言葉を濁す。
「ナツキ。一つ聞いていい?」
「どうぞ。」
「今、エストベルは他の国と戦争している最中だったりする?」
「ご名答。」
エストベルはただでさえ魔物が増加して食料と人を失っているのに、隣国のバルセロナ王国から貿易の契約不履行を理由に領地の一部を制圧された。
バルセロナはエストベルと同じ帝国から分裂して独立した同族だったが、エストベルに比べて平原を多く保有しており経済が盛んだった。
バルセロナとエストベルは王族よりも貴族同士の対立が激しく、貿易関係の争いが絶えないという問題があった。
かなり迷惑な話だが、帝国時代から続く因縁が重なっているため王族よりも喧嘩が多いらしい。
「貿易関係で揉め事が起きて、その後に貴族同士が争っているんだけど。領土の一部を制圧されたせいで国の軍隊も動かなくてはいけなくなったんだ。本当なら貴族同士の私営軍隊が争うはずだったんだけど、バルセロナは戦争の長期化を図るために宣戦布告して領土へ侵入。そうする事で経済レベルではバルセロナの方が上になることは誰でも読めていたから。ただ、本当にあの国が攻めてくるとは思っていなかったから、エストベルは今頃苦戦している最中だと思う。」
「どの時代の人間も汚い真似をするのね。ただの嫌がらせじゃない?」
「貴族の考えている事なんて誰も分からないと思うよ。昔から似たような事を商業関係でやっていたみたいだけど。ギルドの人も傭兵の方が報酬がもらえるからって、魔物の討伐をしてくれなくなった事もある。」
「それで、貴方みたいな人もギルドに入らないといけなくなった。」
「特に魔力ポテンシャルが優れている人はね。バルセロナは山脈が少なくて人が住める場所が多いから、軍隊も動員しやすい。エストベルは攻めるには難しい地形を持っているから、適当に一部だけ占領して経済的な打撃を入れるほうが好都合だと思われていたんだろうけど。」
「詳しいのね。」
「退役軍人の人から聞いたんだよ。本気で戦争はしないだろうけど、領地の奪い合いを口実に戦争が行われる事はもっと先まで続くだろうって。」
「そう。悲しい話ね。」
「現実的には、助けてほしいくらいなんだけど。一応エストベルはリディア王国から物資の援助をしてもらうことで何とか人がたくさん死ぬことは回避できたんだ。」
「え?リディア・・?」
「あぁ、今のリディア王国は名前だけ一緒で、中身は全然違う人たちだよ。」
「何だか気味が悪いわね。自分を幽閉した国の名前が今もあるなんて。」
「300年前のリディアとはだいぶ違うと思うけれど。昔のリディア王国の方がもっと好戦的で、軍隊が庶民を平気で殺すことも多かったし。」
「貴方から見ればロマンチックな戦国時代の国家だけれど、私からしてみたら頭が悪くなった男と狂人化した女しか居ない国なの。今のリディアが何なのかは知らないけれど、私にとっては悪夢以外何でもないわ。」
「そ、そうか。」
「でも、よく覚えていない理由が分からないわね。本当なら忘れちゃいけないはずなんだけど。」
「もしかしたら、頑張れば思い出せるんじゃないか?」
「・・・」
「えっと、何か悪い事言ったか?」
「いいえ。前にサキュバスから、貴方は眠り姫だから好きな男性さえできれば生まれ変われるわって言っていたけれど。実はあの子、私をここから出したくないんじゃないかしら。」
「サキュバスの頭が悪いのは分かるけど。結局、昔のことを思い出せないのならそれでいいんじゃないか?」
「私はこの世界から出ようとは思わないから。」
「何で・・?」
「分からない。ただ、どうして私がデニス将軍というよく分からない人を、イシュトバーンが居留している教会へ進軍する事を提案した人になってるのか。そこまですら覚えていないんだから、私はよっぽどの事をしたんでしょうね。」
「そのイシュトバーンが実は物凄く悪い人だったりしたんじゃないか?」
「・・覚えていない。肝心なところだけぼやけている。」
リゼットはリディアの重臣でありながら、デニス将軍にイシュトバーンが居る教会へ進軍する事を提案した。
問題は、リゼットは反逆した理由を覚えていないことだ。デニス将軍すらどういう人間かも覚えていないため、自分がどういった理由で反逆行為をしたのかが思い出せない。
「結果的にエストベルは人材を失ったリディアへの攻略が可能となった。私のせいで、イシュトバーンというリーダーを失った事で国が分断された・・?ねぇ、今のリディアって、もしかしてフェルナンドという王族の人が王様なの?」
「うん、そうだけど。」
「そう。意外といいヒントだけど、でも私は別にフェルナンドの味方をしなければならない理由なんて無いものね。」
結局、ただ考えるだけでは分からない。本だけでは、全て過去の出来事を整理することは不可能だろう。
「政争に巻き込まれて、私は濡れ衣を着せられたのか。それとも私さえも気が狂ってしまって幽閉されたのか。それすら思い出せないのだから、今更現実世界に戻っても意味は無いわ。」
そんな冷たい一言を言ったが、それが彼女にとって本当にいい事なのだろうか。
歴史書では、イシュトバーン事変と書かれているその出来事。
彼女がその大事件に関わって居ることは疑いようのない事実だが、何か歴史書すら見落としている事はあるのかもしれない。