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「さて。そろそろ時間も無くなって来たところだし。本気出してもいいわよね私。」
屋敷よりも高い場所を浮遊している悪魔の少女は、変色した月の光に照らされてより妖艶に見えていた。
彼女を包囲するオールド・デビルンは、そのサキュバスへの警戒をより一層強めている。
本来は同族ではあるが、サキュバスにとっては劣った生き物としか捉えていなかった。
進化する方向性を誤り、ただ邪神の血を受けることしかできない無能な生き物。
オールド・デビルンはその習性が悪化しすぎており、魔力をただ求めるだけの生き物となった。
そのため、目や鼻が無く大きな口が開いている不気味な外見になっていた。
「あら?私に原因があると思ってるの?」
そのオールド・デビルンは思考を魔術で交信しあっている。サキュバスもそういった行為はできるが、頻繁に使うほど口が下手というわけでもない。
「やめてよね。私は彼女を拾って見守って居ただけなんだから。言っておくけれど、貴方たちには絶対にやらないわ。」
サキュバスの右腕が伸びる。その手に光が生まれ、大きなハルバートが現れる。
オールド・デビルンはそのまま彼女を襲うが、サキュバスは見た目に反した動きで圧倒する。一撃で体を切り裂かれていくオールド・デビルンは一瞬にして倒されていくが、その数は思った以上に多い。
サキュバスはやれやれとため息をついたが、今ここでオールド・デビルンを倒し続けるしか自分のできることはない。
せめて仲間が居てくれればいいが、生憎仲間が増えるということは今よりも状況を悪化させる可能性は少なくない。
リゼットは価値のある少女だから、彼女の力をよりいい方向に導くための鍵が必要だった。
「あまり面白くはないけれど、ナツキに頼るしかないわね。」
本当なら自分の持ち前の魅惑の魔眼でリゼットの心理を操作したかったが、生憎彼女の魔術スキルは魔族を圧倒していた。
この結界を作り出す事ができる存在が居る時点でも驚きなのに、その結界の中に閉じこもって居る少女は魔族以上の魔力を持つ人間。
一体、300年前に何があったのかサキュバスは不思議ではあった。
帝国が分裂した後、エストベルは政争による連鎖的な騒動から逃れるために独立できる国家基盤を持とうとする。基本的にはエストベルは地方貴族が集まって作り上げた国家であり、リディア王国のように帝国に従属するタイプの国家からは反感があった。
更にリディア王国側から何人か貴族が離反している状態であり、視方によっては反逆の意識すら感じられていたらしい。
「リゼットは宮廷魔術師としてリディア王国の重臣となり、その国の王女とはむしろ親しかった。エストベルにはむしろ反逆する理由は皆無で、濡れ衣の可能性もあるけれど。でも彼女は確かにリディア領地内に存在する教会に軍隊を派遣する計画に参加していた。」
リディア王国のデニス将軍は、リディア王国の王族であるイシュトバーンが駐留している教会へ進軍。彼が居た教会へ火矢を放ち殺害する事に成功していしまう。
エストベル王国に対する進軍に多いに貢献していたイシュトバーンを亡くしたリディア王国も負けず、直ちに軍隊を派遣して反逆したデニス将軍を捕らえ処刑した。
「リディア王国に反逆したデニス将軍が処刑され、リゼットはこの結界の中に幽閉される事になって・・リディア王国は良きリーダーと配下を次々と亡くして勝てる筈だったエストベルに滅ぼされる形になった。歴史的には帝国にとっても非常に屈辱的な敗北だったけれど。リゼットは殆ど何が起きていたのか覚えていない。」
本来ならこの事もナツキに言う予定ではあったが、ナツキは屋敷の中の書物を読んで勝手に理解していたため手間が省けていた。
歴史の勉強にはなったが、リゼットの事は殆ど分からなかったのが最大の失敗ではある。
「リゼットはこの結界の中に投獄された後、300年ほどは放置される事になる。私が居なかったところで死ぬ事はないだろうけど。この状況が何時までも持つとは限らない。」
リゼットがあのまま廃人になるまでこの世界に居て、オールド・デビルンに殺されるくらいならサキュバスは彼女を保護することを選んだ。
ナツキもリゼットに秘めている力を一定値以上覚醒させられる可能性は十分あるのだが、数日経った程度では二人の間を深めることは出来なかった。
せめて、少しぐらいは愛想良くしてくれてもいいのだが。
「ナツキもただの野良犬程度の存在でしかないのなら、私の獲物にしてあげてもいいけど。そろそろこの世界も限界が来ている。」
もっと安全な状態に結界が保たれていればいいが、300年ほど経って明らかに結界の力が弱まってきている。
リゼットが無意識的に、自発的に結界の力を弱めている可能性が高い。
「私は死ななくても、リゼットとナツキは死ぬ可能性はある。」
結界の力が弱まれば、侵入してくるオールド・デビルンもまた増えてくる。
またサキュバスの周囲に10体ほど出現したその存在に、リゼットを渡すわけにもいかない。
「恐らく、リゼットは何も考えていないでしょうね。」
思考停止状態になったリゼットは最終的に自分の力で、自分を処刑する可能性はあるだろう。
300年前になにがあったのかは知らないけれど、サキュバスにとっては好ましくない脱出方法ではある。
ある程度オールド・デビルンを排除し、姿が見えなくなった後に屋敷の中に入った。
ナツキはオールド・デビルンが一体何なのかをサキュバスから聞こうとしたが、彼女は疲れたから後でといってその場で脱ぎだした。
何故脱ぐのかナツキは戸惑いその場から退散。サキュバスはリゼットから怒られてもそのままソファーで寝てしまうのだった。
「何考えてるんだあいつ・・?」
サキュバスの意味不明な行動にはもう慣れているが、慣れてしまうのは拙いのかもしれない。
ナツキはため息をついて、今後どうなるのか不安になりつつあった。
その次の日、またナツキは定期的に外を見て回って居た。
白い花の庭園の中で、リゼットがまた歌を歌っているのを見かける。
綺麗な歌声を聴いて、もうこのままでもいいかもしれないとナツキは思っていた。
多分、これから先もまたあのオールド・デビルンと戦わなくてはいけないが。
「本当に、このままでいいのか?」
無論、ずっとこのまま時が過ぎればナツキも思考が麻痺しかねない。
歴史の書物を読んだところで、リゼットの過去が全て分かるわけではないし。
今日はオールド・デビルンは襲ってこなかった。その代わり、夜にリゼットの部屋に招かれていた。
リゼットの部屋は本が多く、彼女はずっとこの場所で本を読んでいた事が確認できた。
300年、彼女は自分の過去を忘れるまでこの場所に居た事を考えてしまった。
「何か用なのか?」
「別に。貴方の事が恋しくなっただけ。」
「え?」
「というのは冗談よ。」
時が経つにつれてリゼットと会話することも多くなった気がするが。
彼女は本当に過去の事を全て忘れているのか、ここで試してみるのもいいかもしれない。
「ここに来て時間が経ったけれど。貴方は何かしたいことはある?」
「したいこと・・?」
「私と比べれば、貴方はまだ18の子供だもの。」
18の子供という言い方はあまり納得できなかった。目の前の少女こそ300年経ったところで普通の女の子の外見ではないか。
もし、見た目が少女ではなく老婆だったらサキュバスを選んでいたかもしれない。いや、あの悪魔を話し相手に選ぶのもかなり体力を使うと思うけれど。