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何か酷い現実を目にした後だった。自分は今どこにいるのか考えるが、暗い闇の中にただ一人浮かんでいるだけにしか見えない。
意識も遠く、ただ自分はなぜか死という連想を感じ取っていた。
体がどんどん冷たくなり、そして自分が一体どこのどういう人物であったのかも忘れていってしまう。
このまま消えていくのだろうか。自分の失敗によるものが原因かもしれないが、初めて経験するはずの死はこういうものなのかと実感してしまう。
何も見えないが、確かに何かに包まれているような気がしていた。物凄く暗い世界の中で、何かに捕まってしまったような不安感。
自分は抗うこともできず、その暗い世界の中で意識が閉じるのを待つしかなかった。
ふと、歌が聞こえた。少女の歌声を聴くと、何故か心が揺さぶられたような感じがしていた。
彼女の声を聴いて、そして何かが繋がったように感じた。
自分はその声をわずかな力だけで求め、そしてその行為は無駄なものにならずに道が開かれる。
この状況が一体どういう事なのかは忘れてしまったが、ナツキにとってはとてつもない偶然によって出来た物だと解釈していた。
気が付くとナツキは地面の上に寝ていた。土と植物の匂いがする以上は、自分はまだ生きている事を確信していた。
自分が今寝ていた場所は庭園で、近くに屋敷があるのが分かった。
ある程度フィールドはあるが、それより向こうは奈落だった。意識を取り戻したナツキは、自分の背後にある奈落を見て普通の状態じゃないとすぐに確信はしていたが。
一体、これから先どうすればいいのだろうか。そもそも自分が一体何なのかすら忘れてしまった状態で、この世界に居ることに何か意味はあるのだろうか。
ナツキは考えても何も分からなかったため、とりあえずあの屋敷へ入ってみる事にした。
一体何があるのかよく分からないが、武器も何も持っていないため用心するしかない。
二階建の屋敷は庭園に合うように適度な広さで作られている。その屋敷の入り口のドアノブを回してみると、鍵はかかって居なかった。
誰も居ないのだから、そもそも鍵をかける必要性は無いのだろう。
ナツキはそのまま屋敷の中へ入った。別に、すぐに屋敷のメイドのような人物に見つかるわけでも無い。
その屋敷の奥まで入ってみる。居間、だと思われる部屋の近くまで来てナツキは直観的に誰かが居るのを確信した。
そのドアをゆっくり開ける。
そこには、一人誰かが居た。椅子に座って本を読んでいる少女。
黒い服を着た少女は、ただ一人で本を読んでいるだけだった。一体どうして彼女がこんな場所に居るのだろうか。
不法侵入者のためそう簡単に彼女に話しかけられる度胸は無く、ただナツキは彼女を観察しているしかなかった。
「サキュバス・・?何をしているの?」
突然、彼女はナツキに気づいたようだった。彼はすぐに隠れるが、多分もう遅い。
「貴方・・そこにいる人は誰?」
隠れても無駄らしいので、ナツキは決心してその場所に入った。
「は、初めまして・・?」
「・・・・」
警戒されてしまったのだろうか。
「あ、あの。悪気はないというか。気が付いたらここに居たんだよ。」
「まさか、亡霊が入り込んでくるとは思ってなかったわね。」
「亡霊・・?」
「えぇ。貴方は死んでいるのよ。」
確かにそういう感じはしていたが、しかし体が冷たいというだけでまだ意識はあるつもりだった。
「亡霊といっても、浮いているわけじゃないけど。」
「この世界は特別だから、あなたみたいな亡霊はすぐに消えないわ。けれど、入ってこれるほどの強度があるのならすごい偶然なんでしょうね。」
「偶然・・?」
「会話が成立できるのなら、私もまだ人間を止めてしまった事にはならないみたい。」
「えっと、何の話?」
「とりあえず、私はすこしお茶が飲みたいから。貴方、キッチンまで行って紅茶を淹れてきてくれる?話はそれからでもいいわ。」
まさか自分が紅茶を淹れなければならない事になるとは思っていなかった。
ナツキは仕方なく、ただ言われた通りの事をするしかない。
リゼット・フローレンスという少女は、特別に作られた結界の中で暮らしていた。
リゼットを閉じ込めるために作られたこの結界は300年も継続しており、一種の小さな世界として魔法の基礎が成立しているらしい。
キッチンで変な食べ物を食べていたサキュバスという少女に出会い、そしてリゼットにお茶を届けた後からかなり時間が経過していた。
「300年はこの結界の中に居たけれど・・それ以外はあまり覚えていないわね。」
短い言葉しか喋らない彼女から話を聞くのは難しい。
紅茶や食べ物があるのは、結界の中に出入りしてくる悪魔・・サキュバスの仕業だ。
彼女が一体どういう存在かはよく分からない。
リゼットがどんな目にあったのかは謎だが、それもリゼットに物を提供する悪魔の存在はただしつこくナツキに付きまとっている。
「リゼットは国を滅ぼした罪により、この闇の庭園に囚われている。私は彼女が死なないように本や食べ物を提供してるんだけど、この庭園から外に出るには彼女の呪いを結界から解放させないといけないの。」
サキュバスという悪魔の少女は、適当にソファーに座ってナツキの疑問を答えていた。
黒く体のラインが見える恰好をしており、あまり教育上よろしくない人に見えてしまう。
「貴方みたいにこの結界に入ってきてしまうのはかなり希だけど、リゼットはあまり嬉しくはないみたい。思考が麻痺していて、他人に出会ったとしてもただの生き物としか見ていないんでしょうね。」
「リゼットは、ずっとあの調子なのか?」
「私が彼女を管理するようになってから既にあんな感じね。不老不死になる前はもっと少女らしいお姫様だったみたい。ちなみに、不老不死といっても精神に異常をきたす恐れはあるから。定期的に不要であっても食べ物とかは援助しているの。ほんとはすぐにこの世界から出したいのだけれど、彼女の優柔不断ぶりのせいでちょっと困ってるのよね。」
リゼットは優柔不断らしいが、今は別の部屋で本を読んでいるだけだ。300年も本の世界に居るのに会話ができる時点で奇跡的だ。
「私としては、貴方に興味あるんだけど。」
「興味?」
「貴方は死んでこの結界の中に入ってきた。今は霊体として動いているけど、記憶も失わずに自分の意思で動いている。よっぽど霊格が高いから、死んでしまってもすぐには消えないんじゃない?」
「買いかぶりすぎだよ。僕は単純に失敗して殺されただけだから。」
現在、この世界に来てから3日ぐらいは経っている。寝床には困らなかったが、話し相手は殆どサキュバスだった。
来訪者であるナツキは、ある程度記憶を取り戻した以降はずっと屋敷に居る。それぐらいしかできず、
「リゼットは全く微動にしないけど。どれぐらいこの結界は持つんだ?」
「さあ。後数百年はあのままね。」
「その内、俺が居た世界が先に滅びそうだな。」
「もしかしたら、その時期は近いかもしれないし。とりあえず私としては貴方が頼りなのよ。」
「そんな話をされてもね。僕はこの結界に入ってしまった理由は、何かリゼットと近いものがあるからだろう?」
「それは私にも分からないわね。あの子の監視が私の役目だけど、ずっと昔になにがあったのかは知らない。リゼットも殆ど覚えていないし、恐らく思い出すことはないでしょうね。」
「監視って言ったけど。君は何者なんだ?」
「あれ?言わなかった?」
「いや。」
僕を見つけた時にサキュバスは害獣と思い込んで、トライデントのような武器を突き刺そうとした。
その騒動のときもリゼットは動かす、本を読んでいるだけだった。
サキュバスから逃げ回って何とか説得したが、困難はその後だった。
3日間つきまとわれ、夜には淫夢の魔法で精神を冒そうとしてくる。
彼女の行為によってある意味精神的に殺されそうになって居たが、彼女は一体何がしたいのかリゼット以上に分からない。
「リゼットにキスしてみて。」
「意味不明だよ。」
サキュバスは一体何をしたいのだろうか。
「眠れる庭園の少女の目を覚まさせようと思わないの?」
「眠ってないし、そんなことをしたら後が怖いから。」
「ちなみに、彼女が今履いている下着は白よ。」
「教えなくていい。ていうか、何故教えようとする?」
「リゼットを楽しませたいの。」
「明らかにただの迷惑じゃ?」
「そういうラブロマンスも時には重要なのよ。」
少なくともただの変態でしかないが。
そもそもそんな行為でこの結界から出れるのだろうか。
「君がやれば?」
「試したけど、キスする前に電撃をくらったわ。以外と刺激的な女の子なのよね。」
ぽっと顔を赤らめるが、彼女の性癖はあまり追及したくない。
「試したのかよ。」
この悪魔をリゼットの監視役にした人は一体なんだろうか。変態でないことを祈るばかりだ。
「一緒にお風呂入ろうとしても怒られるし、彼女の人間性を取り戻す王子様は貴方しかいないの。」
「いや、十分人間性残ってるだろ。」
やっぱりただの迷惑な悪魔としか思えない。
「彼女はれずじゃないのよ。」
「クールに発音してもかなり馬鹿にしか聞こえないからな。」
ていうか、この悪魔と会話しないといけない状況が地獄だった。
向かい側にある椅子に座っているサキュバスは少し体を動かすだけでも恰好のせいで目のやり場に困る。
「ちなみに、私の下着の色は・・」
「教えなくていい。」
「知りたくないの?少女の下着の色を貴方は求める情が無いの?」
「お前は一体何を求めてるんだ?」
「私はサキュバスとして人の欲求である性欲を守護しているの。」
「変態の間違いだよね。」
何で守護天使みたいな言い方をするのか。明らかにからかってるだけだろう。
「リゼットの3サイズ、誕生日、その他趣味、好きな食べ物、性癖。どれが知りたい?」
「今は知らなくていい。」
もし彼女から何かしら聞いたら、リゼットに殺され泣けない。
「何で?」
「お前、本当はリゼットをどうしたいんだ?」
「私は愛が知りたいの。」
「適当に元の世界でそういう宿にでも行けば?」
「わ、た、し、は、処、女、が、い、い、の。」
今すぐにでも机を蹴り飛ばしたいが、相手は一応女の子なので無理だった。
「リゼットのことが好きじゃないの?」
今僕はサキュバスと何の話をしているんだっけ?
大切な話がまだ終わっていないのだが、サキュバスは脱線した話を戻すつもりはないようだ。
「恥ずかしがってるのね。」
「リゼットが問答無用で電撃を食らわした理由がわかってきた。」
なんだ、この気持ち悪い悪魔は。
「それでこの結界から出れるのか?」
「さあ?」
「リゼットを本当はどうしたいんだ?」
「私は彼女を守護する悪魔。だから純粋に私は役目を果たそうとしてるの。」
「お前が一人で頑張れ。僕は知らないから。」
「何て冷たい人なの。少子高齢化も仕方ない精神だわ。」
「女の子同士でも頑張れば子供の1人や2人できるだろ。」
「じゃあどうしたらリゼットが私を受け入れてくれるか教えなさいよ!」
何で僕が怒られるのか。もしかしたらサキュバスとしては真面目に会話しているつもりなんだろうか。
「大体、お前にそういう経験あるのか?」
「はぁ、このサキュバスに向かってその質問はないんじゃない?私がその気になれば普通の女の子をレズに芽生えさせられる自信はあるわ。」
男性経験はないらしい。
「えっと、もし男の人が迫ってきたらどうするんだ?」
「え?わ、私は、ビッチだもの。そんなことしたら童貞じゃない男なんて居なくなるわ。」
何で僕はこんな話をしているのかさっぱりなのだが。
結局、サキュバスが何をしたいのかよくわからないまま時間が過ぎた。精神的に消耗するだけで、この世界が一体何なのか理解する事ができない。
この世界の天候は変わるが、この庭園より外は存在しない。
無理に出ようとすると、虚数空間に落ちて本質的な死を体験するらしい。
サキュバスはリゼットの部屋の掃除を現在しているが、かなり不安しかない。
「私が書き上げた美術品を本と入れ替えたわ。さぁ、我が芸術で脳を焼くがいいわリゼット。」
「焼かれるのは貴方よ。」
掃除しているはずのサキュバスは勝手に部屋の物を別の物に入れ替えていたが、リゼットに見つかり彼女は消し炭にされていた。
ナツキもその後自分が寝ていた部屋にもその本は置いてあり、その本を見ると淫夢にかかってしまう。
とりあえず本を焼却処分し、リゼットと同じようにサキュバスの暴走を止めるしかなかった。