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 宗次郎が外へ出ると、カプリスの街は狂乱の坩堝と化していた。


 宗次郎は呑気にテクテク歩いているが、街の住人たちは宗次郎とは逆の方向へ向かって各々の全力を尽くして駆けていく。まるで天変地異でも発生して集団パニックを起こしたかのような異様な光景である。


 そんな恐慌状態に陥った彼らを尻目に、宗次郎は相変わらずのんびりと騒ぎの中心部を目指して歩いていた。


「いやぁ、すごい騒ぎですね……。物の怪の類でしょうか……」


 気楽な調子で呟く宗次郎ではあったが、纏う雰囲気はそんな様子とは真逆の臨戦態勢。例え背後から急襲されたとしても即座に反応出来る程、彼の感覚は研ぎ澄まされていた。


「……あ、ノエルさん置いてきてちゃいましたね。彼女、大丈夫でしょうか」


 彼の脳内にぐーすか寝息を立てるノエルの姿が浮かんだが、彼女は何故か大丈夫な気がした為、宗次郎はすぐさま思考を暫定物の怪に切り替えた。


 現時点で宗次郎が認識出来た事としては、暫定物の怪は恐らく相当強大な力を持っていて、空から落下するだけでかなりの規模で街を破壊できるような存在である。ついでに言えば飛行能力を持っている可能性も高いだろう。


「いや、考えるだけ無駄ですね……。早く行って、実際に対面してみないと分からないことだらけだ」


 幸いな事に、暫定物の怪がいる場所は大火災が発生しているらしく、空は煌々と赤く輝き自ら場所を教えてくれている。ここからならばそう時間はかからないだろう。


「少し、急ぎましょうか」


 そう呟いた宗次郎は軽やかな身のこなしで見繕った家屋の屋根へと壁を蹴って上がり、そのまま屋根を伝って現場へと向かった。







「いや、どうなってんのよ、これ」


 目を覚ましたノエルは開口一番憂鬱そうに呟いた。

 最初の爆音では起きなかった彼女だったが、続く群集たちの阿鼻叫喚の嵐のせいで流石の彼女も目を覚ましたのだ。淑女の眠りは深いのである。


「ていうかソージローはどこ行ったのよ。せめて起こしてから行きなさいよね、全く」


 ぶつくさと文句を言いながらのろのろと起き上がったノエルは、状況を確認する為とりあえず窓の外を眺めた。


「……なにこれ、隕石でも落ちた訳?」


 見れば町の空は明々と輝き、炎上する家屋の群れはバタバタと倒壊していく地獄絵図。気の弱い人間が見ればひきつけでも起こしてしまうような光景である。


「ていうかこれ、もうちょっと寝てたらこの宿屋も燃えてたじゃない」


 いやーヤバかった、と呟きながら身支度を進めるノエル。

 自分の荷物を纏めてから思い出したかのように宗次郎の持ち物を自分の鞄の中へと乱雑に突っ込んだ彼女は、ふうと一息ついた後、真っ赤に輝く空に意識を集中させる。


「座標は……大体この辺りでしょ。それじゃ行きますかね」


 その言葉と同時に、ノエルの身体が白く輝き、次の瞬間部屋から彼女の姿が忽然と消え失せたのだった。






 現場に到着した宗次郎は、その圧倒的な巨体に自らの目を瞬かせた。

「……大きな、蜥蜴?」


 明らかに縮尺が狂ったとしか思えないような巨大なトカゲがそこには存在した。


 全身をくまなくびっしりと覆うその鱗は、燃え盛る業火の如き赤。

 口から覗く鋭い牙は、宗次郎の目算が正しければ自分の二倍ほどの長さである。

 時折動く背中の羽根は、微細な動きですら突風じみた風を起こして周囲に散らばる瓦礫を跳ねあげていた。


 しかし何より宗次郎の目を惹いたのは、その巨体の頭上に悠然とそびえ立つ、まるで腕の良い建築家の建てた建造物のように美しい紋様を持つ透明な角である。

 角だけでそこらの建造物の倍以上の高さを誇るそれは見事な湾曲を描き、まるで天を衝かんばかりの威容を誇っていた。



「とんでもない大きさですね……。僕の何倍あるんですか、あれ」


 屋根の上に立っているにも関わらず巨体を見上げる宗次郎が、半ば呆れたような声音で呟く。

 常人であればまず間違いなく恐怖に慄きすぐさまその場を離脱しようと試みる程の威圧感を前に、宗次郎はと言えば普段と変わらぬ涼やかな笑みを浮かべ、まるで見物するかのようにその巨体を観察している。




「確かに肉自体は強靭なようですが……人と戦うカタチをしてはいませんね」


 暫くの間黙って巨大なトカゲを眺めていた宗次郎だったが、ふっと気を抜いたかのように全身の力を弛緩させる。油断からではない。いよいよ今から目前の脅威と踊るのだ、緊張はエスコートの邪魔になる。


 余計な力を削ぎ落とし、いよいよ宗次郎は巨大なトカゲの目前へとひらりと躍り出た。


「こんばんは、大きな蜥蜴さん。今宵は良い夜ですね」


 あくまで紳士的に話しかける宗次郎だったが、その口角は吊り上り、犬歯を剥き出しにした野生的な笑みを浮かべている。これから始まる闘いへの興奮を隠せないような、そんな表情だった。


『…………トカゲ、だと?』


 そんな宗次郎の声に答えるかのように、まるで地の底から響くような低音が彼の目前の存在から発せられた。


『我はオラトリオの血統に連なるエルダードラゴン、カノン・オラトリオであるぞ。……嗚呼、成る程。我の眠りを妨げたのは貴様か……』


 値踏みするかのような視線が、一瞬にして嫌悪、或いは殺意のそれに変わったことを敏感に察知した宗次郎は、思考を更に戦闘の為のものへと寄せていく。


「貴方を起こした覚えはありませんが……まあ、そのおかげで貴方と出逢えたのであれば、喜ばしい限りです」


 言葉が通じる事に多少の驚きを感じつつ、宗次郎は目の前の巨大トカゲ改めエルダードラゴンとやらへ楽しげに話しかけた。


「えっと、カノンさん、でいいんでしょうか。もし良ければ、一つ僕と……」


 そこまで言って一旦言葉を切った彼は、その身を沈めて左手を腰に差した刀へと添わせる。

 宗次郎は、平時の彼を知る者であれば寒気すら感じさせる程の鋭さを纏わせながら、普段であれば表出させることのない殺意を噴出させた。


 そんな宗次郎の殺気を受け止め、エルダードラゴン——カノンは成る程と目を細める。


 元来彼のドラゴンは、滅多な事では人間の前に姿を現さない。カノンが今回のように人間と相対したのはかれこれ三百年ぶりである。

 そんなカノンが、現在カプリスの街にいる理由。その一端が眼前の異邦人にあるという事には一目見て気付いていた。


『確かに、此奴は危険じゃの。放っておけば、何人殺すか知れたものではない』


 ならば、ここで消す。



 ここに、両者の目的は完全に一致する。


 今や彼らの瞳には、互いの姿しか映らない。

 宗次郎の瞳は強者への歓喜をたたえながら、カノンの瞳は殺人鬼への侮蔑をたたえながら、互いに視線を交差させた。



「死合いましょう……っ!」

 

 先に動いたのは、宗次郎。

 先程途中で止めた言葉を言い切った彼は、その言葉通り互いに死を交わす事の出来る距離、つまりカノンの目と鼻の先へ降り立った。


 宗次郎の武器は刀一本。いつだって彼は、先ず刀の届く距離へと近づく必要がある。


 降り立った宗次郎、その身体を地面へと倒れさせながらカノンの喉元へと潜り込むように加速。


 一瞬にして急所へと辿り着いた宗次郎は、その口元を歓喜に歪めながら右腰の刀を居合の要領で抜き放つ。

 最早思考の介在する余地が存在しなくなるまで繰り返されたその動きは、人智を超越する程の速さでカノンの首を違う事なく捉えた。


 しかし。


「流石に、斬れませんよね。やっぱり」

 

 宗次郎の斬撃が生んだのは、髪の毛程の傷と、甲高く響く金属音のみだった。


 宗次郎の知る由も無い事ではあるが、ドラゴンの鱗というものは元来、刀剣の類で傷がつくような代物ではない。極僅かとは言えその鱗に傷を付けた彼の腕前は、十分驚嘆に値する。


 だが、斬れなければ何の意味もない。


 この場は演武を披露する場ではなく、命をやり取りする戦場なのだ。


 故に今この瞬間に意味を持つのは、宗次郎が千載一遇のチャンスをふいにした、という事実のみ。



 宗次郎は己の浅はかさを恥じる。


 相手を舐めていた? 違う。自らの能力を過信していたのだ。


 自分に斬れないモノなどないという思い上がりが剣気の練り上げを疎かにした。

 その事が、宗次郎には顔から火が出るほど恥ずかしかった。


 火照った顔に冷水をかけられたかのように一瞬にして素面へと戻った宗次郎は、すぐさま思考を死合へと引き戻す。


 眼前の敵は凄まじく大きく、硬く、強い。

 事実を再度考慮し、宗次郎は一旦カノンの喉元からステップを踏むかのように離脱する。


 そんな宗次郎の動きを、カノンは煩わし気に目の端で見送った。




 時間にすれば一瞬の交錯。しかしこの一瞬は、宗次郎に様々な情報を与えた。


 確かに目前の存在は強く、硬い。しかし事前の観察通り、このドラゴンの身体は人と戦う形をしておらず、加えてその巨体のせいか、宗次郎の動きに反応出来るほどの敏捷性も持ち合わせていなかった。


 詰まる所この死合は、宗次郎がカノンを斬れるか否か、唯それだけなのだ。


「体が大きいのも考え物ですね」

 

 値踏みするかのような視線をカノンに向けつつ、宗次郎は更に観察を続ける。

 鱗が斬れないならば鱗のない場所を狙うだけである。

 当たり前ではあるが、目と口内、そして角は鱗に覆われていない。恐らく四本ある足の裏にも鱗は存在しないだろう。


 であれば、そこを『突く』。


 概ねの指針は見えた。後は、自分の身が持つかどうか。


「……考えるだけ無駄ですね」


 持つかどうか、ではない。持たせるのだ。でなければ斬れない。斬れなければ、僕ではない。僕が僕でないのならば、それこそ。


「死んだ方がマシ、というやつです」


 そう言って、宗次郎はその美しい相貌を、獣の如き獰猛な笑みに染めるのであった。

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