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ラプソディオ王国に属する殆どの街には、冒険者ギルドと呼ばれる組織の建物が少なくとも一つは建造されている。
宗次郎とノエルがたどり着いた、ラプソディオ王国最東部に位置する、王国の中でもかなり大きな規模を誇る『カプリス』と呼ばれる都市にも、当然冒険者ギルドは存在した。
カプリスは海から最も近い都市である為、人も物も酷く流動的で捉えどころのない、大層賑やかな場所だ。
そんな、ならず者の類でも基本的には大らかに受け入れられるカプリスの冒険者ギルドにて、宗次郎とノエルの二人はとんでもなく浮いていた。
「ノエルさんノエルさん。どうして僕たちはこんなに注目されているんですか? もしかして僕たち、変なことしてました?」
キョロキョロと周囲を見回す宗次郎が、不思議がって傍らのノエルに尋ねる。
そんな宗次郎の様子を見たノエルは、彼にも多少の社会性は備わっていたのかという感動を覚えていた。酷い話である。
「まあ、私たちみたいな子供が二人でこんなお世辞にも柄が良いとは言えない場所に来たら、ジロジロ見られてもしょうがないでしょ。気にしてたらハゲるわよ、ソージロー」
気を取り直したノエルの冷めた物言いに、宗次郎はそういうものかと納得する。自分は子供ではないと訂正しようと思った宗次郎だったが、面倒になってやめた。
「おーおーお熱いねぇ! カップルで冒険者の真似事かぁ!?」
そんな二人に、筋骨隆々な赤ら顔の男が野次を飛ばす。彼の連れであろう男たちも、後ろでヒューヒューと指笛でそれを囃し立てた。
「……ソージロー、煽られてるけど」
「はぁ、そうなんですか?」
「気付いてないならそれで良いわ。くれぐれも刀は抜かないでね。くれぐれも、よ」
念押しするかのように宗次郎に釘を刺したノエルは、依頼の報告をしてくると言ってその場を離れた。
「おうクソガキ、見たとこ異国人みてーだが、どうやってあんな上玉と知り合ったんだ?」
先程宗次郎たちに野次を飛ばしてた男が、酷く粗野な笑みを浮かべながら宗次郎へと近付いてくる。
男の口臭から酒を飲んでいる事を察した宗次郎は、どうやら自分は酔っ払いに絡まれているようだと遅まきながら理解した。
「なんか喋れやクソガキ。あ、もしかしてラプソディオの言葉が分かんねえのか? お?」
ゲタゲタと笑う男の顔を一瞥して、こういう手合いへの適切な対応を考える宗次郎だったが、残念ながら彼はタチの悪い人間とのコミニュケーションどころか、一般市民相手とのそれにも苦心する人間な為、適切な対応など思いつこう筈もなかった。
「えーと、言葉は分かります。僕は神楽坂宗次郎という人間です。でぃーばの泉とやらを求めて、つい先日日ノ帰からやってきました。ノエルさんとは、道中たまたま」
故に宗次郎は、取り敢えず自己紹介と質問への返答を行った。傍から見れば酷く間抜けな構図だが、宗次郎は至って真面目である。先述した通り、彼はコミニュケーション能力に大きな問題を抱えているのだ。
「……おい、お前もしかして俺をバカにしてんのか?」
そんな宗次郎の様子に、いよいよ男は怒りの感情を露わにし始めた。
どうやら自分は失敗したようだと悟った宗次郎は、次の手を模索する。
斬るか? いや、こんな衆人環視の下で人を斬ってしまうのは今後のことを考えると不味い。では、どうする?
宗次郎はそこまで考えたのち、そもそも自分に出来ることは斬る事以外に無かったことに気付いた。
考えるだけ無駄だと悟った彼は、なるようになれと言わんばかりにケホリと一つ咳をする。荒事の前兆を感じた時の、彼の一つのルーティンだ。
「あー、もし僕の事を殺そうとしているなら、悪い事は言わないのでやめておいた方が良いですよ。あと、本当にやる気なら、出来る限り人目につかない所の方がお互いの為になるのではと思います」
無自覚ながら的確に相手のプライドを傷付けるような物言いをする宗次郎。場を鎮めるには全くの逆効果だったが、最早何でもいいから早く終わらせてほしい宗次郎としてはそれなりに考えて発せられた言葉だった。
彼の嗅覚は、目前の男たちに何一つ反応していない。宗次郎からすれば彼らは、敬意を持って接するに値しない雑魚だった。
「……おいクソガキ、今すぐ表出ろや」
そんな宗次郎の態度に、いよいよ男の理性は弾け飛んだ。
冒険者は舐められると終わり。大抵の冒険者は、このような極道やらマフィア的な考えに基づいて行動する。つまり、今の宗次郎の発言は流石にラインを軽々と飛び越えていたという訳である。
こめかみに血管を浮き出しながら怒りを露わにする男を見つめる宗次郎だったが、実際のところは周囲の人間の把握に努めていた。
……本気で振れば、誰にもバレない……かな?
周囲にたむろして此方の様子をニタニタしながら見つめる人間たちの粗方の実力を計り終えた宗次郎は、取り敢えず目の前の男と取り巻きの三名ほど、計四名を再度意識する。
可哀想ですが仕方ないでしょう。ごめんなさいノエルさん。
心の中でノエルへの謝罪を終えた宗次郎は、久々の『全開』で刀を振るった。
ともすれば音をも置き去りにするような抜刀。今この場に、彼の抜刀をしかと視認出来る人間はいなかった。
彼が一振りで四人を斬り伏せ納刀する頃には、絡んできた男たちは首元から血の噴水を噴き上げていた。
「いやぁ、すみませんでしたノエルさん。どうにも騒ぎが大きくなってしまって」
「私言ったわよね? 刀は抜くな、絶対に、って」
「ま、まあ、僕がやったとは誰も分かってないと思いますので……」
クエストの報酬を受け取ったノエルが見た光景は、無残に首を斬られ血を噴き出す男たちと、その真正面でオロオロと下手くそな演技をカマす宗次郎の姿だった。
曰く、僕は何もしていません。らしい。
そんな訳あるかと大声でツッコミを入れたい衝動に駆られかけたノエルだったが、そこはグッと堪えて宗次郎の腕を引っ掴み、出来るだけ早々とその場を退散した次第である。
「あのねソージロー、アンタの国じゃどうだったかは知らないけど、大体の国じゃ殺人は犯罪よ。知ってる?」
「はい。日ノ帰でも殺人は犯罪でした。急にどうしたんですか?」
トボけた様な宗次郎の物言いにノエルは自分の表情が引き攣っていくのを感じた。
「なら、どーしてこんなアッサリ斬っちゃうのよ!?」
「そうですね……うーん、あー、いや、難しいですね、その質問。……僕はこれまで、特に動機を意識する事なく斬ってきたので、今更そんな事を聞かれても、正直困ります」
抜け抜けと言い放った宗次郎は、これ以上問答をするつもりはないと言わんばかりに目を伏せ、周囲への警戒に気を移す。
そんな彼の様子を諦観混じりに眺めたノエルは、この男と旅をすると決めた己の判断をひたすらに呪うのであった。
「それでですねノエルさん。僕たちはこれからどうするんですか?」
とっぷりと日も暮れた頃、宗次郎とノエルは二人揃って宿屋の一室にいた。
路銀節約の為同室と相成った二人であったが、未だに宗次郎はその事に関し不満気な表情を浮かべていた。
曰く、男女七歳にして席を同じゅうせず。らしい。相変わらずそういった事柄には口煩い宗次郎だった。
因みにノエルは、宗次郎に限って何も起こる筈がないとタカを括っており、まるで頓着した様子を見せなかった。逞しい限りである。
「そりゃソージロー、オーバーチュアに向かうに決まってるじゃない。寧ろそれ以外何があるのよ?」
「まあそうなんですが……何か下準備のような……ああ、通行許可のようなものは取らなくても良いんですか? 聖地なのでしょう?」
至極真っ当な事を言う宗次郎に驚くノエル。彼女はこの男に、そのような人の世のルールを守る理性があるとは思っていなかった。
「そうね、必要よ。ただし、そんなもの取ってたら一年以内にディーヴァの泉になんて行けないわ。関所は全部無視よ、無視。」
宗次郎の側にタイムリミットがある以上、この旅はスピードが命だ。一々通行許可など取っていては、恐らく三年は優に超える旅路になってしまう。それでは困るのだ。
「……なるほど。ノエルさん、ご迷惑をかけてすみません」
そう言って宗次郎はノエルに深々と頭を下げた。
今の話だと、自らのせいでノエルに要らぬ罪を背負わせる事になるのだ。彼の中でそれは、感謝と謝罪を示すに値する献身である。
「殊勝な態度ね。これからも心掛けなさい」
頭を下げる宗次郎を見て、ノエルも悪い気はしない。むしろご満悦である。
実際のところ、ノエル的には罪は全部宗次郎に丸投げして、とっとと宗次郎との縁を切りたいというのが一番の理由なのだが、そんな事は宗次郎には想像する由も無い事であった。
「だから、私達はこれからひたすら北上して行って、関所やら国境やらは全部無視、或いは実力行使で無理矢理通っていくことになるけど……ソージローはそれで大丈夫?」
「構いません」
「よし。それじゃ、当面は冒険者ギルドで道中こなせそうな依頼を受けながら、ラプソディオを抜けることを目標にしましょうか」
そう言ったノエルは大きく息を吐き出し、そのままベッドへとダイブした。そのまま寝る構えである。
「それじゃおやすみー。ソージローも早く寝なさいね」
「ええ、おやすみなさい」
宗次郎が言うや否や、ノエルは寝息を立て始める。彼女は寝付きの良い娘だった。
宗次郎は彼女の寝付きの良さに多少驚いたのち、かぶりを振って姿勢を正した。寝る前の瞑想は、彼の習慣の一つだ。
正座をしながら目を閉じ、自らの体内に意識を沈ませていく。
相変わらず酷いものだ、と宗次郎は自分の事ながら何処か他人事のように己の身体を把握していく。
最早マトモに機能している臓器の方が少ないような惨状である。心臓は不意にリズムを変え、息をする度に肺は軋む。
常人であればとっくの昔に寝たきりになっているような器。しかし、街でゆっくりと休める状況だからか、平時に比べればずっとマシだ。
「……まあまあ、ですね」
ふう、と息をついた宗次郎は目を開いて腰に下げた刀を撫でる。何故だかこうしていると、何時だって彼の心は和らいだ。どうしてなのかは彼も知らないし、興味もなかった。動機や理由の言語化は彼の興味の範囲外なのだ。
そうやって宗次郎が心を落ち着かせていると、宿の外から爆発音じみたとんでもない音が聞こえた。
明らかに何かが落下して家が二つ三つ潰されててもおかしくない様な騒音である。
「何の音でしょうか……。それにしても、この気配は……」
小さく呟いた宗次郎の目が、剣呑な光を帯びる。
尋常ならざる強大な気配に、彼が獰猛な剣士の性を表出させていく。纏う雰囲気は普段の物とは打って変わり、殺意ただ一色。柔和さなど欠片も存在しない、抜き身の刀の如き鋭さを全身から噴出させていく。
斬れるか? 恐らく今のままでは斬れない。
「ま、斬れなければ死ぬだけでしょう。さて……」
そう言って宗次郎は刀を撫でて、楽しい『夜遊び』の為、街へと繰り出すのであった。