5
気がつくと朝だった。
先程自分が魔法を行使した際はまだ青空が広がっているような時間だった筈だから、丸々一晩は気を失っていた訳だ。
「相当なオーバーロードだったみたいね……調子に乗って自信作撃っちゃったけど、一週間は魔力貯めとかないと使えないな、これじゃ」
そもそも初めて行使する魔法を実戦で使うなという話ではあるが、そこはノエル、若さと無謀さはワンセットなのである。
ノエルが状況を整理していると、今更ながら自分の腹部へ何者かの腕が回されている事にようやく気付く。
「誰……って、アイツに決まってるわね……」
投げやりに呟いたノエルは、自らの背後で未だにスヤスヤ寝息を立てる宗次郎へと寝返りを打った。
至近距離で宗次郎と向き合ったノエルは、不覚にも頬を赤く染める。心の中ではあれだけ罵詈雑言を並べ立てていたにも関わらず、黙って眠っている彼の顔を見ると、不本意ながらも胸の高鳴りを感じてしまったのだ。
まだ十五にも満たない上、生まれてこの方魔法の勉強ばかりしていた彼女にマトモな恋愛経験など存在する筈もない。
そんなノエルに、こんな超至近距離で異様なまでに整った異性の顔を見つめてしまうといったドキドキイベントを、サラリと躱すような高等テクニックの持ち合わせ等あるわけもなく。
「はぁ……顔面だけなら文句の付けよう無いんだけどねぇ……」
無駄に高鳴る心臓を深呼吸で落ち着かせ、どうにか平静を取り戻したノエル。
「ていうかこれどういう状況なの? なんで私、こいつの抱き枕にされてる訳?」
そうして冷静になったノエルは現状を訝しんだ。宗次郎が寝ている自分にわざわざくっついてくる程下半身に忠実な男には思えなかったノエルは、取り敢えず宗次郎を起こしてみる事に決めた。
取り敢えず両手で彼の身体を揺すってみた所、案外アッサリと宗次郎は目を覚ました。
「……おはようございます、ノエルさん。お身体の具合はいかがですか?」
しばらくぼーっと空を見上げていた宗次郎が、思い出したかの様にノエルへ朝の挨拶をする。手は相変わらずノエルの腰に回されていた。
「なんともないわ。それよりこれ、どういう状況?」
そう言ってノエルが宗次郎の手を指で突っつくと、彼はバツの悪そうな顔でノエルから目を逸らす。
なんだその反応は。もしかして、まさかとは思うが何か妙なことをしたのかと急激な不安に襲われたノエルだったが、宗次郎に限ってそれは無いと判断する。
彼女の中には、人を斬る事以外に丸っきり興味の無さそうなこのサイコ野郎が、そんな普通の人間っぽいことをするはずがないという歪な信頼が既に確固たるものとして存在していた。
「実はですね……倒れそうになったノエルさんを支えようと思ったんですけれども……支えきれずにそのまま一緒に倒れてしまい……打ちどころが悪く、失神していたようです……」
「……まだここの魔法式、生てるわよね」
ノエルは激怒した。必ず、この邪智暴虐の宗次郎を除かねばならぬと決意した。ノエルにはダイエットがわからぬ。ノエルは、村の魔法使いである。書を読み、魔法の試し打ちで家を壊して暮して来た。けれども自らへの罵倒に対しては、人一倍に敏感であった。
「ソージロー、貴方は今、女性に対して一番言ってはいけない事を言ってしまったわ。その罪を今ここで償いなさい。エトワー……」
しかし、ノエルの怒りは魔法式を起動させるには至らない。術式名を唱えようとしたノエルは、思い出したかのようにため息をついた。
「……冗談よ。流石にこの状態であの魔法使うと、私まで死んじゃうし」
過剰なオーバーロードは術者の命すらも危険に晒す。彼女の現在の保有魔力は、とてもじゃないが小規模な魔法ですら行使出来ない程微々たるものだった。ただでさえ莫大な魔力を必要とする先程の術式をこの状態で使用すれば、ノエルは間違いなくオーバーロードで命を落とすだろう。
そもそも宗次郎が至近距離にいるこの状況で彼女のとっておきを使えば、当然宗次郎だけでなくノエルもろとも蒸発してしまう。
「……だから、その左手を早く剣から遠ざけて。ホント、お願い」
そうだった。こいつはそういう奴だった。こめかみを若干引きつらせながら、ノエルは宗次郎を押し退けて立ち上がる。
彼女は、もし自分が本気で魔法を行使しようとしていたら、間違いなく自らの首が飛ぶ事を正しく理解していた。
きっと宗次郎は、ノエルが何に怒っているのかすら分かっていない。キョトンとした顔で刀を握る宗次郎は、否が応でもノエルに彼の性質を思い出させた。
最早悟りの境地に達し始めたノエルは、宗次郎へ乙女の天誅を下すことを涙ながらに諦めた。
「分かりました。……ですが、ノエルさんは一体何に怒っていたんですか?」
刀から手を離した宗次郎が、心底不思議そうな顔をしながらノエルへと問いかける。
そういうところだぞ。ノエルは心の中で大声で叫んだ後、力なく首を横に振ったのだった。
「それで、これからどうするんですか?」
馬上の宗次郎がのんびりとした口調で、真横をてくてくと歩くノエルに問いかける。
男なら女性を馬に乗せ自らが歩くべきだと一般的には考えられるのだろうが、宗次郎はそんな常識などお構いなしに自分で馬を乗り回している。基本的に彼は紳士的な人間ではあるのだが、レディーファーストなんて言葉は彼の辞書には存在しないのだ。
そもそも宗次郎が歩くと行軍速度が格段と落ちるし、もっと言えばノエルには裸馬に乗る技術が無いというのが現状の一番の理由だった。
「これからって、そりゃクエストの成功報告しに街に戻るけど……」
当然のようにノエルが答えると、宗次郎はなるほどとしきりに頷いた。元々宗次郎も取り敢えずとは言え次の街を目指していた訳で、反対する理由は何処にもない。
「そんなことよりも、ねえソージロー」
そう言って立ち止まったノエルが、変わらないペースで馬を歩かせる宗次郎を見上げる。
「なんでしょうか、ノエルさん」
ノエルに合わせて馬を止めた宗次郎が、馬上からノエルを見下ろした。
「正直ね、私、貴方の事ちょっと……いやかなり頭のおかしい人だと思ってる」
衝撃の告白に宗次郎は憮然とした。流石の宗次郎も面と向かって頭のおかしい人と言われた経験は人生初だったからだ。
本当は言われていなかっただけで、彼と関わった人間の相当数は、頭がおかしいどころか彼を気狂い扱いしていたのだが、そんな事は当然彼の知る由もない。実際に言われなければ、人からの評価になど全く気付かない男なのだ。
「まあ……はい。少し傷つきましたが、別に構いません」
しかしそこは宗次郎。別に人にどう思われようと剣を振れれば問題は無いと即座に切り替える。体は病弱だが、メンタルは意外とタフなのだ。
「でもね、信用出来る人だとも思ってる。……だって貴方、人を斬る事にしか興味無さそうだもの」
なんて酷い信用の仕方なのだろうか。自分でも笑ってしまう。しかしノエルは、彼が金だの何だのの為に人を裏切るような人間ではないと、それだけは確信を持って言えた。別に、宗次郎の顔がカッコよかったという理由では無い。断じてない。
ちなみに宗次郎は、自分はノエルから斬殺にしか興味のない破綻者扱いされていると知り、再度傷付いていた。そこまでハッキリ言われると少々辛いものがあった。
「……だからね、改めて言うわ」
大きく息を吸い込んだノエルは、頬を紅潮させながらも、しっかりと宗次郎を見据えている。
彼女が何を言うのかおおよそ察した宗次郎は馬から降り、少々複雑な心境なれど佇まいを直してノエルへと向き直った。
「……ねぇ、ソージロー。私と一緒に、旅をしない?」
少し間を置いて、宗次郎がニコリと笑う。
その笑みは、人を斬る時とは違う、年相応の普通の男の子の笑顔だった。
「ええ。喜んでお供します、小さな魔法使い様」
もし書籍化したらここまでで10万字以上書かないとダメってマジですか?頑張りますので出版社さんお願いします。