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目にも止まらぬ速度で走り去った宗次郎を見送ったノエルは大きくため息を吐いた。
一体私は何をやっているのだろう。
「あいつが言った通り、確かに早計だったわ……」
何が悲しくてあんなクレイジーな殺人鬼に同行を申し出たのだろう。後悔がグルグルと駆け巡る。あんなイカれた異国人と旅なんてしようものなら、行く先々でお尋ね者になってしまうのは確実だ。
お先真っ暗。予測不可能。五里霧中。いっそ一人でコソコソと逃げ隠れしながら泉を目指した方が生存率が上がるのではないだろうか。
そんな考えをつらつらと脳内に垂れ流すノエルの目の前に、噂の狂った人斬りが現れた。
生首を携えて。
「うぎゃああああああ!!!」
ノエルは叫んだ。恥も外聞も投げ捨て、あらん限りの絶叫を上げた。
イカれた奴だとは思っていたが、此処まで来ると最早サイコ野郎だ。彼女は宗次郎への評価を地の底まで落としながら、全力で転移魔法を使用した。
不発だった。
「ノエルさん、戻りました」
先程よりも幾分か血色の良い宗次郎がにこやかに帰還を告げる。見るからに上機嫌な彼を見て、魔力が異常に少ない自らの体質への罵声を堪えるノエルはいよいよ卒倒寸前だ。
「ついでに、良いお土産があるんですよ」
相変わらず快活に喋る宗次郎に、ノエルは思考を遥か彼方へ投げ捨てた。最早何も思うまい。こいつはこういう奴なのだ。
「へぇ、お土産。楽しみね」
その作り物のように美しい顔を引き攣らせるノエルは、さも「なんでもありませんよ」と言った風を全力で装いながら軽口を叩いたが、そもそも顔面がヒクついているのだから無意味な努力である。もっとも、宗次郎にはノエルの表情の変化を認識出来る程の能力など当然無い為、この場限りで言えば彼女の頑張りは無意味ではなかった。
「それはどうも。では……射手さーん! 出てきて下さーい!」
大きく息を吸い込み、宗次郎は平時よりも大きな声で背後へと呼びかけた。
暫くして、宗次郎の後ろの茂みがガサガサと揺れた。
「……ガイヤールだ。先程も名乗っただろう」
ガイヤールと名乗る、褐色の肌をした筋肉質な男が、茂みからのっそりと現れる。
前と後ろに真っ二つに分かれた死体を引き摺りながら。
ノエルは吐いた。全力で嘔吐した。今朝食べたステーキどころか、昨晩食べた子豚の丸焼きまで総て戻した。
流石のノエルも、まさかこんな場所でここまで出来の良いリアルな人体模型を見せられる羽目になるとは思っていなかったのだ。
「うお。……ノエルさん、流石に無作法ですよ?」
顔を顰める宗次郎に、ノエルとガイヤールの心境がシンクロする。
無作法なのはお前だろ、と。
「で、このガイヤールって男は何なのよ」
猟奇殺人の現場じみた場所を離れた一行は、全方位に開けた草原のど真ん中にいた。
「先程の第一射を放った人です。凄腕ですよ、彼」
一人寝転ぶ宗次郎が、ぼんやりと空を見ながらノエルの問いに答えた。
流石の宗次郎もガソリン切れか、と考えたノエルだったが、彼は出会った当初からこんな風にのんびりとした喋り方をしていた事に気付いた。彼女の脳内に、また一つ知りたくもない宗次郎の情報が追加された。
「……こいつに凄腕って言われるのは気に入らないがな」
複雑そうな表情を浮かべるガイヤールが、宗次郎に剣呑な視線を向ける。
「そうなんですか」
そんなガイヤールの視線を、興味がないと言わんばかりに完全に無視した宗次郎は、適当な相槌と共にむくりと起き上がる。
ガイヤールの目元がヒクリと痙攣するが、残念ながらこの場に彼の心情を汲んでくれるような人格者はいなかった。
「まあ、そんな事はどうでも良いじゃありませんか。それよりもですね、射手……あー、ガイヤールさん」
起き上がった宗次郎が、にっこりと笑顔を見せながらガイヤールに向き直る。ガイヤールは直感的に、碌な事を言われないだろうと予測する。
「えーとですね、僕たちにあなた方の根城を教えていただけませんか?」
「言えない」
あっさりと言い放つ宗次郎に、薄々そうではないかと勘づいていたガイヤールは特に焦ることも無く決まりきった答えを返した。
「こう見えて俺は義理人情に厚い人間でな。残念ながら仲間を売るような真似はしねえよ。とっとと殺せ」
一息で言い切ったガイヤールは、最早何も言うことはないと言うかのように黙りこんで目を閉じた。口元には微笑を浮かべ、右手はここを斬れと指図するかの如く首元をトントンと指し示した。
それを見た宗次郎は、心底つまらなさそうにため息を吐いた。彼にはそもそも殺人に対する拘りや執着があるわけではないのだ。
「そうですか。それではこれで」
故に、彼は退屈をまるで隠さない声音で以て、あっさりと別れの挨拶を告げる。
「……え?」
困惑するガイヤール。死を覚悟したというのにも関わらず余りにも軽く見逃されてしまったという状況を上手く呑み込めなかったガイヤールは、あっけにとられて酷く間抜けな声を上げた。
そんな彼を気にも留めない宗次郎がノエルの方へと向き直る。
「まあ、取り敢えずそれなりには役に立つ所を見せられたと思います。彼らの居場所を聞くことには失敗しましたが」
「いや、ちょっと待てよ……」
「あぁ、ガイヤールさん。もう行ってくださって結構ですよ。……あ、仲間の所に行くのはもうやめた方がいいと思うので、町に戻って真っ当に暮らすことをお勧めします。貴方の腕なら、護衛とか出来るんじゃないですか?」
爽やかな表情を浮かべながら言う宗次郎にガイヤールは言葉を失う。まさか殺されないどころか助言までされるとは思っていなかったのだ。
「それではお元気で。さ、ノエルさんもお別れの挨拶を」
「え? ええ、そうね……まあ、運が良かったと思って諦めなさい。それじゃ、ごきげんよう」
突然話を振られて焦ったノエルだったが、あらん限りの羨望を込めてガイヤールに別れを告げる。正直なところ宗次郎から離れられるガイヤールが心底羨ましい彼女だった。
町へ向かってとぼとぼ歩き出したガイヤールの背を見つめる二人の間に、ノエルからすれば永遠とも思えるほどの長い沈黙が生まれた。
宗次郎からすれば気にも留めない程度の事であったが、ノエルには余りにも気まずく、また一歩間違えればバッサリ斬られてしまうのではないかという疑念からか、最早己の呼吸音ですらいやに気に障る。
このままでは斬られる前に発狂しそうだ。何か喋らなくては。話題などどうでも良い。とにかくどうにかしてこの沈黙を打破せねば。
「ところでノエルさん」
意を決したノエルがその口を開こうとしたその瞬間、相変わらず間の抜けた宗次郎の声が発せられた。
「な、何かしら?」
折角の決意がふいにされたような気がして少々不機嫌な声音のノエルだったが、そこは宗次郎、まるで頓着せず、というか気付かずにマイペースに話を続けた。
「いえ、これから僕たちはどこへ向かうのかが気になって。……やはり、野盗の退治に?」
少々面倒臭そうに最後の言葉を付け足す宗次郎。彼からすればガイヤール以上の名手が居ないらしい山賊は、既に興味の対象から外れていた。
斬りに行くと言うなら特に反対はしないが、出来れば山賊など無視してさっさとディーヴァの泉へと向かいたいというのが彼の本心だ。
「それは、ええ。当座のお金がないのは私も同じなの」
あっさりと肯定したノエルの発言に、珍しく宗次郎が驚いた。明らかに上等な衣服を着用しているノエルがまさか金欠だとは思っていなかったからだ。
正直なところノエルと共に行動する事となって一番嬉しかったのが、金銭面の問題を心配せずに済むという点だった宗次郎からすれば、彼女の発言ははっきり言って驚愕の展開だ。彼は割と即物的な男なのだ。
「……なるほど。ノエルさんにも事情があるのですね。分かりました、宗次郎は貴女に従います」
しかしそんな内心はおくびにも出さず平時より少し目を見開くだけに留めた宗次郎は、シレッとノエルに従う旨だけを伝えた。案外嘘は得意な宗次郎である。
「しかし、僕たちは彼らの居場所を知りません。どうやって見つけ出すつもりですか?」
出来ればこの下りにはあまり時間をかけたくない宗次郎が、結論を急かすかのようにノエルへ問いかけた。
「え、知ってるけど」
「……え?」
「知ってる」
「はい?」
「だから知ってるって言ってんでしょ! 何回言わせんのよバカなのあんた!?」
キレやすい若者、ノエル。彼女に同じ問答を繰り返すのは厳禁なのだ。
しかしそうなると、先ほどのガイヤールとのやりとりは一体なんだったのだろうと思わずにはいられない宗次郎であった。
「ここがあいつらのハウスね……」
山賊のアジトである洞窟を遠目に確認出来る地点へ辿り着いたノエルが開口一番に言い放った。宗次郎がぽかんとしていると、手近な木の枝を拾った彼女はそのまま地べたに座り込み猛烈な勢いで地面に模様や文字を書き込み始めた。
「ノエルさんノエルさん、何をなさっているんですか?」
彼女の行動の意味が分からない宗次郎が思わず疑問を口にした。はたから見れば完全に奇行、もしくは幼児退行を起こしたかのような一見すると意味不明な行動である。幾ら宗次郎と言えど不思議に思っても仕方のない光景だった。
「魔法式……って言っても理解出来ないわね」
言いながらも猛然と地面をガリガリ削り続けるノエルは、そのまま手は止めずに宗次郎の問いに答え始める。
「さっきも言ったけど、私は普通の魔法使いに比べて使える魔力が絶対的に少ない。ここまでは大丈夫?」
「ええ」
短く相槌をうった宗次郎は、ようやく彼女の行動の意味を朧げながらに理解し始める。おそらく、魔法の行使に必要な事なのだろう。
「だから、こうして魔法式を実体化する事で魔力効率を上げているの」
病気さえ無きゃしなくて良いんだけどね、と自嘲気味に呟くノエルに、宗次郎はなんとなくシンパシーのようなものを感じていた。
彼女もまた苦しんでいる事をようやくはっきりと認識した為だろうか。自分でもよく分からない感情を持て余した宗次郎が、ノエルに倣って地面へと腰を下ろす。
「普通は頭の中に思い浮かべるだけで事足りるんだけれど、こうして実際に描くことで魔力効率がマシになるって訳。因みにテレポの魔法式は紙に描いて常備してるわ」
そう言ってノエルが左手をポケットに突っ込み一枚の紙片を取り出す。
これでもかと言うくらいビッシリと文字や模様が詰まったそれを見た宗次郎が、あからさまに顔を顰めた。彼からすればまるで理解の及ばない世界である。変な顔の一つや二つは許されるだろう。
「ま、ショボい術式だと誤差程度なんだけど、こういう大型術式の場合は……ほい完成!」
パンと手を叩いたノエルは満面の笑みを浮かべ、懐から取り出したナイフで自らの指先を軽く切り、今しがた完成した魔法式の中心点に血液を垂らす。
「必要魔力が多ければ多いほど、カットできる魔力が多くなる。理由の説明は必要?」
宗次郎の方へ向き直ったノエルが得意げな顔で問いかける。
生まれつきそこまで知的好奇心が強い方ではない宗次郎は軽く首を横に振ったが、それを見たノエルがあからさまに残念そうな顔をしたため、諦めて話を聞くことにした。面倒は避ける性分なのだ。
「……そうですね。後学の為、聞かせて頂いてもよろしいですか?」
幾分うんざりした声音だったが、それを聞いたノエルは、そのあどけない顔をパッと明るくして説明に入った。外面では淑女を気取ってはいるが、彼女はまだまだお子様なのである。
「あーノエルさん、その辺で結構です。頭が痛くなってきました」
そんなノエルの講義が魔法の成り立ちの説明へと移ろうとした所で、いよいよ宗次郎は我慢の限界を迎えた。なんでもいいからとっととご自慢の魔法とやらを見せてくれという気分だった。
「そう? じゃあこの辺りにして……そろそろ撃っちゃいましょうか」
軽い口調で説明を切り上げたノエルは、そのまま右手を魔法式の中央にかざす。
目を閉じたノエルが短く息を吐き出した瞬間、描かれた魔法式が真紅に輝いた。
へえ、と宗次郎が感心の声を上げる。確かに尋常ならざる気配を感じる。これならば洞窟など余裕で吹き飛ばせるだろう。
「お仕事には迅速正確がモットーなの。……だから、塵も残さない」
冷たく言い放ったノエルが目を開くと、真紅の光が一層の輝きを示す。
最早地面が爆発したのではないかと思える程の輝きに、宗次郎は思わず後ろに跳び退り無意識のうちに左手を刀へ添えた。
「エトワール・フォルム・ルージュ……!」
そんな宗次郎をまるで気にせずに放たれた呟きと同時、魔法式がひときわ強く輝いた。
上空に生み出されたのは、破壊そのもの。
赤く、紅く輝くそれは、ノエルの自信の源となるには十分過ぎる程の圧倒的な威圧を放ちながら青空に鎮座していた。
宗次郎が、太陽がいきなり二つに増えたのではないかと錯覚する程の暑さに、卒倒しそうになるのを辛うじて堪える。彼は生まれつきの虚弱さ故に暑さ寒さに滅法弱かった。
そんな宗次郎はお構いなしに、ノエルの放った紅い彗星は想像を絶するような速度で以て洞窟へと落ちていく。
着弾の瞬間、洞窟は文字通り『溶けた』。
「……いやあ、本当に、何と言えばいいのか……」
遅れて響いた轟音が、朦朧としていた宗次郎の意識を強制的に引き戻す。
アレを撃たれて生き残る方法があるのだろうか。そんな事を一瞬考えた宗次郎が、肝を冷やしながらもどうにか称賛の言葉を探していると、魔法式に手をかざしたままだったノエルがその身をぐらりと傾けた。
そのまま地面へと倒れていく彼女をどうにか受け止めた宗次郎ではあったが、残念ながら彼にはノエルを支えきる程の筋力が無い為、そのまま二人してどさりと音を立てながら地べたに倒れ伏したのだった。