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 宗次郎は酷く混乱した。目の前の女が一体何を言っているのかまるで理解出来なかったのだ。


 宗次郎は特段聡明という訳ではなかったが、かと言って愚かと評される事はない程度の知性を持ち合わせている。

 なので、話の流れからしてノエルも伝説の泉を目指しているであろうということはちゃんと理解していた。エチド症なる病を治すのが目的だろう。そこまでは分かる。


 しかし、その道中にわざわざ自分の様な会ったばかりの人間を誘うのは理解出来ない。なにせ宗次郎はノエルの前で何一つ自分の『価値』を証明していない。

 よしんば彼女がどうしても同行者を欲していたとしても、役に立つかどうかも分からない見ず知らずの男である必要は全くない筈だ。



 「ノエルさん、お誘いはとても有難く思います。ですが、その誘いは些か性急に過ぎるのではないでしょうか」


 落ち着いた声音で、まるで諭すかのように宗次郎は続ける。


 「僕からすれば貴女の申し出は、正直とてもありがたい。なにせ僕はこの大陸の常識どころか大まかな地理すら知らないのですから」


 ノエルの目を見据え、彼女に喋り出す様子がない事を確認して、宗次郎は更に続けた。


 「しかし貴女には道案内など不要な筈。護衛が必要だとしても、貴女は僕の戦っている姿を一度も見ていない以上、もしかすると僕の話は全てハッタリで、実は何一つ役に立たない木偶の坊という可能性もある筈です。そんな相手を、どうして旅の道連れに選ぶのですか?」



 朗々と、先程の誘いが如何に愚かなのかを指摘する宗次郎に、途中から地面を睨み始めたノエルの顔がどんどん赤みを帯びていく。


 流石に少し言い過ぎたかと反省する宗次郎だったが、ブルブルと震え始めるノエルを見て考えを改めた。


 どうやら少しどころかかなり言い過ぎたらしい。大層ご立腹の様子だ。


 しかし、怒っているのは理解出来たが、何に腹を立てているのかがまるで分からない。何度も言うが、宗次郎は人の感情の機微に相当疎かった。


 宗次郎が当惑していると、ノエルはようやくその面を上げた。彼女はその翡翠に薄く涙を浮かべている。


 宗次郎は瞬時に、面倒な事になったと頭を抱えたい気分になる。女性を泣かせた経験などない彼は、こういった時にどうすれば良いのかまるで見当もつかないのだ。


 関係修復など最早不可能。こうなったら、無視して逃げよう。


 戦略的撤退を選んだ宗次郎がジリジリと山賊から奪った馬へとあとずさる。



 「そんな事言ったって、仕方ないじゃない! さっきも言ったけど、ディーヴァの泉なんてお伽話、大陸の人間はもう誰も信じてない! 一緒に行ってくれる腕利きなんて、どこ探してもいる訳ないでしょ!? そうじゃなきゃ誰があんたみたいな見るからにアタマのネジ緩そうな奴誘うってのよ!」

 それを見咎めたノエルは、眦を決し声を荒げた。


 ああ、やっぱり怒ってる。しかも、割と理不尽に。だから人と話すのは嫌なんだ。


 ペラペラと喋ったせいか咳が止まらなくなった宗次郎は、彼女の怒声を軽く聞き流しながら何故自分はこんな後味の悪い思いをしてまで彼女に忠告などしたのだと激しく後悔し始める。

 彼はその虚弱さ故か、割とペシミストだった。


 止まらない咳が、だんだんと湿り気を含んだ音になっていく。背中から、はまるで突き刺すように冷や汗が噴き出していた。

 流石の宗次郎も不快感に顔を顰め、ちょっと不味いかもしれない、とどこか他人事のように捉えていた。こういったことには耐性のある宗次郎だったが、いくら慣れていても気持ちの良い物で無い事は確かである。



 「……ね、ねぇ……、ちょっと、大丈夫なの? なんか尋常じゃないくらい噎せてるけど……」

 「大丈夫、です。……少し、喋り過ぎただけですから」


 流石に心配になってきたのか、先程までの勢いの失せたノエルがおろおろと尋ねると、宗次郎は息も絶え絶えに短く告げた。


 言い終えた直後、彼の喉からゴボリと音を立てて赤い塊がせり上がる。


 「……ぐえ」


 宗次郎はなんとも間の抜けた声を上げながら、口内を蹂躙する鮮血を吐き出した。鼻腔をくすぐる鉄の臭いを酷く不愉快に感じながら、彼は近くの水場へとふらふらと近付く。


 何度か口をゆすぎ、幾分か楽になった様子の宗次郎がノエルを振り返った。平時から健康とは程遠い青白い肌をした彼は、その皮膚を殊更白くしながらノエルを見つめた。


 「……なるほど。無いかもしれないものを目指す旅になど誰も同行してくれない、と。そういう訳ですね」

 「いやまあそうなんだけど……。ていうかホントに大丈夫なの……? さっき血吐いてたわよね?」


 のろのろと近付いてくる宗次郎に、今度はノエルが後ずさる番だった。

 何せ、いきなり滝のような冷や汗をかいて目の前で喀血されたのだ。彼女が宗次郎を不気味に思うのも無理のない話だろう。


 思えば散々な状況である。たまたま遠くに見えた男に助けを求めたらいきなり首筋に刃物を突き付けられるし、勇気を振り絞って同行を申し出たらにべもなく断られるし、挙句の果てに目の前でいきなり血反吐を吐き始めた。このままだともしかしたら彼を介抱しなければいけない流れになるかもしれない。


 そこまで考えたノエルは、どうして自分はこんな罰ゲームじみた事態に直面しているのだろうと己の不運を嘆き、先程までの羞恥からの涙とは別の意味で瞳を潤ませた。

 強気な風を装ってはいるが、基本的にノエルは悲観主義者だった。


 「問題ありません。……まあ、このままだと問題があるから泉を目指しているんですが」

 自虐的にそう言った宗次郎は、目を伏せながら左手で腰に下げた刀を弄ぶように撫で回す。


 大丈夫、まだ斬れる。

 まるで自己暗示のように、宗次郎は何度も心の中でそう呟いた。


 口内から段々と血の味が失せていく頃、彼は伏せていた目の焦点をノエルに合わせる。

 その鋭い眼光にゾッとするノエル。宗次郎は別に彼女を睨んだ訳ではなかったのだが、その幽鬼のような立ち姿と射貫くようなまなざしが合わさり、今の彼は世にも珍しいと言われる魔人か、もしくは人の怨念が具象化した化生の類と判断されても無理からぬような出で立ちをしていた。


 「それで、ですね。ノエルさん」


 自らの容貌にかなり引いているノエルを完全に無視した――恐らく気付いていないだけだが――宗次郎は、まるで名案を思い付いたと言わんばかりの明るい調子で言葉を紡いだ。


 「取り敢えず、今から野盗さん達を斬りに行きましょうか」

 





 ぽくぽくと愛らしい足音を立てながら歩く馬に跨った宗次郎は、つい先刻まで今にも死にそうな程青ざめた顔をしていた筈が、何やら上機嫌な様子。

 一方ノエルは、まるでこの世の終わりのような顔をしながらその馬の後ろを黙々と歩いていた。


 ――山賊さんを沢山斬ったら、僕がどれ位出来るのかノエルさんに教えられるでしょう?――


 なるほど、確かに宗次郎の言う通りだ。元よりノエルは山賊を退治しに来ている身、これを断る必要は何処にもない。

 しかし、出来れば血を見ずに済む様、彼らの住処を魔法で一撃の元吹き飛ばす作戦を立てていたノエルからすれば、この提案は正にありがた迷惑な話だった。


 しかも提案をした宗次郎はというと、まるで以前から楽しみにしていたパーティーに行く貴族の娘のような浮かれっぷりである。

 これから行く先でどのような惨状が起こるのかを想像してしまったノエルは、今朝町を出立する前に食べた牛のステーキやパンを戻さない様にすることに全力で努める。ちなみに彼女はガッツリ朝食を食べるタイプの人間だった。


 「先程ノエルさんを襲っていた山賊さん、確かこの辺りに隠れましたよね……」


 誰に言うでもなく小さな声で一人ごちる宗次郎は、左手でひさしを作りながらキョロキョロと辺りを見渡す。当然演技であり、既に彼は野盗たちから向けられる目線に気付いていた。


 宗次郎は、敢えて向こうから仕掛けてくるのを待っている。その事に気付いたノエルは、自分の身を守る意味を込めて宗次郎が跨る馬にくっついた。


「ね、ねえ。いきなり弓矢とか魔法とか飛んで来たらどうするつもりなの?」


 馬に身を寄せながら、ノエルが小声で尋ねる。もし飛び道具の類で宗次郎に死なれでもしたら、「大口叩いた割に弱かったな」などと嘲笑う間も無く自分も殺されるか拉致されてしまうのだから、彼女が心配になるのも仕方ない。


 念の為自分の現在の魔力量を把握しようと彼女が目を閉じると、どうやらもう少しすればギリギリ一度は転移魔法を使える程度には魔力が回復しているのが分かった。宗次郎と長話をしていて良かったと、複雑な感情を抱きつつも安堵するノエル。



 瞬間、宗次郎の腰から抜き放たれた刀が、甲高い鞘鳴りの音を置き去りにしながらノエルの頭上を横薙ぎに振り払われた。


 カキン、と彼女の頭上で音を鳴らしたのは、果たしてノエルが危惧した通り、弓矢による遠距離攻撃。

 言わんこっちゃない、このままじゃハリネズミ一直線だ。そんな絶望にも似た予測にノエルは眉間に皺を寄せる程強く目を瞑る。残念ながら転移魔法は現在使えない為、彼女は最早運否天賦に身を任せる他なかった。


 「ノエルさん! 来ましたよ!」

 そんな彼女に、宗次郎は新しい玩具を受け取った子供のようにはしゃいだ声音で敵襲を告げ、馬上からノエルの前へヒラリと飛び降りた。

 大声で罵声を上げたい気分だったが、ノエルの淑女としてのプライドがギリギリの所でそれを防ぐ。


 「でも、僕の剣を測る物差しにはなりませんね」


 ブツブツと気配の数を数え終えた宗次郎が、すこぶる残念そうな声音で呟く。

 内心では何言ってんだこいつと思うものの、ハリセンボンのような姿になる未来への恐怖からか、ノエルの口は意味のある音を一つとして発せずただただ開け閉めされるだけに留まった。








 翻って山賊の側はと言うと、何とも微妙な空気が流れていた。

 今しがた宗次郎に防がれた矢は、現在行動を共にしている五人の中で一番の名手が放った物だ。まさかあの見るからに不健康そうな子供に防がれるとは誰一人思いもしなかった。


 「……引くか?」


 弓を放った男が、仲間たちへと冷静に問いかける。

 幸い、自分たちの居場所はまだ正確には補足されていない筈。機を見て再度攻勢を仕掛けるというのも、悪く無い選択肢ではある。しかし、どうしてか彼の背中に走る悪寒は、即刻の撤退を叫んでいた。


 しかしそこは何といっても荒くれ達。まさか子供相手に尻尾を巻いて逃げるなど自分たちのプライドが許さない。彼の仲間たちは何を馬鹿な事をと言わんばかりに血気を滾らせ宗次郎を睨む。


 残念ながら撤退は無理そうだ。であれば、生き残る為にすべき事を。

 しばし考えたのち、場所を変えようと仲間を見渡しながら小さな声音で提案した射手の男は、直後、信じられない光景を目の当たりにする。


 目の前で、突然仲間の首がぼとりと音を立てて転がった。


 思考が完全に凍り付く。冷静だった男の思考は、瞬く間に疑問符と恐怖で埋め尽くされた。


 「……いやあ、貴方、良い腕してますねぇ」


 けほりと一つ咳をしてからぬけぬけと言い放つ、妙な服を着た小柄な異国人は、射手の目にはまるで物語から抜け出した死神のように映った。


 「まさか三十三間から狙ってくるとは……。貴方、どうして野盗なんてしているんですか?」


 心底不思議そうに首を傾げながら、異国の少年はのんびりと尋ねる。 

 そう、射手は距離にして約五十五メートル、弓で狙える限界に近い遠距離からの狙撃を試みた筈だった。

 しかし目の前の少年は、それ程の距離を自分が仲間を見渡しただけの時間で詰めてきたのだ。一秒か、はたまた二秒か。どちらにしても常人で無い事は確かだ。

 

 冷や汗を垂らしながら、射手は小さな声で化け物めと呟いた。その両手は降参を示すように挙げられている。


 射手の観念したかのような表情を見た少年は、つまらなさそうに鼻を鳴らしてから残る三人を見渡す。左手は、いつの間にか鞘に納められた刀の柄を握っている。


 「少々の間、お相手願います」


 ぐっと身を屈めた異国の少年の口元が弧を描き、その姿がまるで蜃気楼のように立ち消える。


 次の瞬間、少年は雄叫びと共に目前の敵へと駆け出していた野盗の『頭上』に現れた。

 軽やかに浮かび上がった少年は変わらず口元に微笑を浮かべながら、右腰から刀を抜き放つ。涼やかな金属音が周囲に響く頃には、断末魔を上げる猶予さえ与えられずに野盗は前半身と後半身に分かたれた斬新な死体と化していた。

 辛うじて脛の当たりで止まった刀をすぐさま引き抜いた少年が、その反動で空中に浮かぶ己の身体をくるりと回転させて着地する。同時に射手の仲間だった物体が、尋常ではない勢いで血を噴出しながらパックリと『開いた』。


 「ははぁ、なるほど。弓矢の射手さんがすごいだけだったんですね」


 再度納刀する少年は、残る二人を見やってつまらなさそうに呟いた。


 圧倒的な暴力。それを目の当たりにした二人は、戦意を喪失させたのか武器である剣を投げ捨てて口々に命乞いをしながら少年に背を向けて走り出した。


 「それにしても、やはりどうやっても僕じゃあ綺麗に開けませんね」


 逃げる男たちを追いもせずに死体を眺める少年が不満を募らせるかのように顔を歪めた。


 「やっぱり、僕は泉に行かないとダメなようです」


 言うが早いか、少年が背後を見もせずに刀を振るう。

 凛とした金属音が響き渡る中、ゆるりと、しかし無駄なく流麗になされたその動きに、射手の男は一瞬目を奪われた。


 次の瞬間、走り去る二人の首が、美しい放物線を描きながら飛び去った。


 「と、言う訳でですね。射手さん、少し一緒に来て頂けませんか?」


  そう言って、こほりと一つ咳をした異国の少年はその不健康なまでに青白い顔ににっこりと笑みを浮かべた。


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