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こほり、と一つ咳をして、女性と見紛う程酷く小柄で血の気が失せたかのように色の白い男――宗次郎は、辺り一面に広がる惨状に顔をしかめた。
周囲はさながら地獄絵図。地面に広がる臓物はまるで真っ赤な彼岸花。
物言わぬ幾つかの死体を一瞥した後、宗次郎はまるで羽毛のように軽やかに、傍らで鼻息を荒くしていた裸馬に飛び乗った。
「それにしても、この辺りは野盗が多い。流石にそろそろ疲れてきました」
軽い調子で呟く宗次郎は、腰に下げた剣――彼の故郷では刀と呼ばれる――の柄を一撫でした後、幾分うんざりした様子でため息を吐いた。
「そろそろ一度休みましょう。お馬さん、もう少しだけ頑張ってくださいね」
大人しく街道を歩く馬のたてがみを撫でながら、宗次郎は休めそうな場所を探す。
斬殺された山賊があちこちに転がっている場所で楽しく休憩をする程、宗次郎は博愛主義者ではなかった。
「うぅむ、大陸は凄い所だなぁ」
呑気に呟く彼は、ここ数時間で既に二十人程の野盗に襲われていた。
幸いにも大勢で襲ってくることはなかった上、今現在の足である茶色い馬や当座を凌ぐ為の通貨まで頂けたので、彼からすれば襲撃は喜ばしい事ですらあったのだが。
「お、この辺りなんて良いんじゃないですか? 飲めそうな水もあるし、なにより暖かい」
嬉し気に呟きながら馬を停止させた宗次郎は、ひらりと馬から飛び降りて手近な木の幹に手綱を括りつけた。
ぐっと一つ伸びをして、彼はけほりと咳をした。
「体調も落ち着いているし、出来れば今日中にはなんとかという町に辿り着きたいなあ」
小川に顔を突っ込んでいる馬を眺めながら、宗次郎は先程出立した港町にあった地図を思い返す。
聞くところによると「歩いて一日」との事なので、自分の身体を勘案すれば三日はかかると踏んでいた宗次郎だったが、望外にも手に入れた馬のおかげでなんとかなりそうだと安堵した。山賊様様である。
まだ日も高い。自分の半羽織とよく似た群青色の空を見上げた宗次郎は、少々の思案の後、昼寝でもしようかと木陰にとさりと転がった。
「大陸は暖かいなぁ……。日ノ帰もこれ位穏やかな気候だったら良かったのに……」
彼の故郷の日ノ帰と呼ばれる島国は季節による寒暖の差が激しく、幼いころの宗次郎は季節についていけずしょっちゅうのように寝込んだものだ。
だらしなく寝転ぶ宗次郎は、幼き頃を回顧しながら嘆息した。
嗚呼、どうして僕の身体はこんなにも脆いのだろう。
一度で良いから自由に剣を振るってみたい。それさえ出来れば、僕はきっと遍く総てを斬れるのに。
そんな子供染みた想いは、齢十八を数えるに至り妄執とも呼べる次元の狂気を孕んだ。
一見穏やかな気風を纏う宗次郎の根底には、『斬る』という行為への常軌を逸する程の願望が渦巻いている。
こほり。口元を抑えた宗次郎の掌からは、まるで彼の内心を水に溶かしたようなどろどろとした血潮が零れ落ちていった。
「あぁ……」
右手に付着した血液を無感動に眺めながら、宗次郎は空いた左手で刀の柄を撫でる。最早癖にもなりつつある、彼なりの『確認作業』。
自らの存在を点検するかのような行為は、遠くから聞こえた女の声によって遮られた。
「……三里程、でしょうか。全く、流石に多すぎやしませんか?」
のんびり呟く宗次郎の眼は、十キロ程離れた地点を捉えて剣呑な光を帯び始めた。
少女が一人、粗野な格好の男が五人。どうやら女性に抵抗の手段は無いようで、男たちの成すがままにされている。このままいけば簀巻きにされて男たちのねぐらへご招待されることになるだろう。
「うーん、今から行っても間に合わないかなぁ」
如何せん距離が距離である。幾ら馬を走らせても、現場に到着する頃には彼らは女の拉致に成功してその場を後にしているだろう。
そこまで考えた後、唐突に少女が宗次郎の視界から消え失せた。
「はて?」
何が起こったのかを把握しようと目を凝らした宗次郎だったが、次の瞬間にはその行為を終えて背後へと横薙ぎに刀を振るった。
鞘鳴りが心地良く宗次郎の耳に響く。抜刀と同時に振るわれた刀は、突然現れた背後の人間の首元を正確に捉えていた。
「驚きました。ついさっきまであんな遠くに居たのに」
宗次郎の刀は薄皮一枚の所でピタリと止まり、彼の中で爆発的に生じた殺意が霧散していく。
背後に居たのは、どこか人形染みた顔の造りをした小柄な少女。歳の頃は十三、四といったところだろうか。
宗次郎の振るった刀が生んだ風で金色の髪と真っ赤なドレスをふわりと浮かせ、その翡翠のような目を丸くしながら彼女はまるで陸上に吊り上げられた魚のように口をパクパクさせていた。
「い、いきなり剣を振り回すなんて、相当躾のなってないお子様ね」
冷や汗を垂らしながら呟く少女は、間違いなく先程まで山賊に襲われていた女だった。
これだけの距離、一体どうやって彼女は一瞬のうちにここまで移動したのだろうか。
強者の匂い。彼女から発せられたそれを感じ取った宗次郎の胸中に、一度は霧散した殺意が再度形を帯びて去来する。
「宗次郎。神楽坂宗次郎と申します。貴女は?」
髪の毛程の殺意を漏らしながら宗次郎が名乗る。当然刀は少女の首元に添えられていた。
「……驚いた。日ノ帰のお猿さんが、まさかラプソディオの言葉を喋るなんて」
「郷に入っては郷に従えという言葉があります。幸い物覚えは悪くないもので、然程苦労はしませんでした」
馬鹿にされているにも関わらず、一切頓着した様子も無く流暢に喋る宗次郎に、少女は勢いを削がれたかのように一つ大きく息を吐いた。
「……ノエルよ。ノエル・リチェルカーレ。あなたの好きに呼んで良いけれど、先にこの剣を首元から離して頂けないかしら。落ち着いてお話も出来ないわ」
毒気が抜かれたように問いに答えた少女は、宗次郎の納刀を見届けてからどさりとその場に座り込んだ。
「いきなり斬りつけてすみませんでした。悪意は無かったのですが……」
「いえ、急に後ろに『跳んだ』私が悪かったわ。びっくりさせてごめんなさい」
「跳ぶ?」
彼女の言葉を復唱しながら宗次郎は首を傾げる。まさかこの女は一瞬でおよそ十キロもの距離を跳躍で移動出来るのだろうか。
「あー、移動魔法って奴なんだけれど、知ってる?」
魔法。それは宗次郎にとっては殆ど馴染みの無い言葉だったが、概念だけはある程度知っていた。自らの中で生成される魔力に方向を持たせて放出し、望んだ現象を引き起こす技術、だったか。
「魔法、という言葉は知っています。日ノ帰では己の気を使うより、大地を走る気を用いた呪術の方が主流ですが」
「へぇ、お猿さんにしては良く知ってるわね。褒めてあげるわ」
「ありがとうございます」
淡々と話す宗次郎に、ノエルの整った眉がぴくぴくと痙攣する。
「……貴方、自分が馬鹿にされてるって分かってる?」
「生殺与奪の権は此方にありますので」
皮肉を言われていた事にたった今気付いた彼だったが、そんな事はおくびにも出さずに素っ気なく答える。
宗次郎は他人から向けられる殺意以外の感情に対して、全くと言っていいほど無関心だった。
「中々言うわね……」
「貴女からは強者の匂いがします。でも、この距離なら僕が『疾い』」
宗次郎の、己の能力への絶対的な自負。それが唐突な邂逅を果たした彼らの会話を成立させているたった一つの要因だった。
「ま、良いわ。確かにこの状況でドンパチやったら私の勝ち目はゼロよ、ゼロ」
あっさりと敗北を認めたノエルに、宗次郎は少々拍子抜けする。ならどうしていきなり背後を取るような真似をしたんだ、という言葉は飲み込んだ。
「警戒しなくていいわよ、ソージロー。今の私、魔力すっからかんだから。今の『テレポ』で打ち止め」
あっけらかんと言い放ったノエルに、宗次郎は困惑した。この女は一体何を考えているのだろうか。それを僕に伝える意味は? というか『てれぽ』って何だ? 疑問符が彼の頭を埋め尽くす。
「えっと、まあ簡単に言うと、私はあなたに助けを求めに来たの」
「助けを求める態度では無かったように思えますが」
「性分なの、許して頂戴」
「はい」
「はいじゃないが」
取り敢えず話を聞こう。そう結論付けた宗次郎は、こほりと一つ咳をしてからノエル同様にその腰を地面へと下した。