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臙脂色の謝肉祭(ファスナハト)  作者: 空箱零士
1.爛れた傷の銀髪少女、屍肉の怪物。
8/10

7.〈肉塊〉・〈高き者〉

 空間が、割れる。

 この世ならざるものの咆哮が轟き渡る。

 触手を振り回し、狹間田遊里を「殺した」屍肉の怪物が君臨する、駅周辺。

 屍肉の怪物の正面、およそ五〇メートル先の宙空に突如としてひび割れが生じ、それがガラスのようにはじけ飛んだ。

 粉々に砕け散った粒子が舞うその中心に、狹間田遊里だったものが宙を浮く。

 人間で言うみぞおちの辺りに大きな穴を空けたそれは、全身を赤く染め上げ、秒刻みで激しく膨張を繰り返す。

 やがて狹間田遊里だったものは膨張を終える。形を成したそれは浮いていた宙から地面へと降り立つ。計り知れないほどの重量を含んだ音を響かせ降り立ちそれでもなお、絶えることのない咆哮を続ける。叫ぶことそのものが存在証明なのだと示しているかのように。

 こうして形作られた姿は、一見すると目の前の屍肉の怪物そのものだった。少なくともまず間違いなく同種だった。

 その全身は、禍々しい臙脂色にギラつく生の肉で覆われている。全長は目の前の怪物よりも少しだけ低いくらいだが、それでもオフィスビル三階分の高さは誇っていた。

 しかしそれは、叫んでいた。

 まるで、獣のように。

 あるいは――獣のような、人間のように。

 そう、狹間田遊里だったものは、目の前の屍肉の怪物よりはるかに「生物」らしかった。

 例えば、目の前の屍肉の怪物は、無造作に積み重なった肉が人智を越えた悪意によって不自然に生命になったという様相を呈している。それこそ、まともな人間なら、誰しもが生理的嫌悪感を抱かずにはいられないような、ただただ悍ましい怪物。

 いわばそれは〈肉塊〉。

 しかし、それに対する狹間田遊里だったものは、不完全ながらも確かに四肢があり、五体があった。ところどころ形が崩れたその姿形こそ怪物めいていたが、少なくともその姿から人型を連想することは不可能ではなく、不自然ですらなかった。

 そしてなにより、それには確かに「意志」が、「感情」があり、現に今、思いきりその激情を叫んでいた。


 要するに、その二体は、同種ではあった。

 ただし、その二体は、明らかに異質だった。

 まるで、姿形だけはそっくりに作られた、天敵同士のように。


 この世の理から外れし〈肉塊〉。

 その怪物に、〈肉塊〉の怪物性を全身に纏い、意志を、感情を以って立ちはだかるもの。


 いわば、それは――


 ※


 ――〈高き者〉。

 駅周辺に建つオフィスビルの屋上で、銀髪を風に揺らす少女が眼下の対峙を見つめる。

〈肉塊〉と、狹間田遊里だったもの、すなわち〈高き者〉の闘争を。

 頬に爛れた傷を持つ少女は、表面的な醜悪さとは裏腹の、母性的な微笑みを湛えていた。

 少女が見下ろす周辺一帯。

 超常的な存在同士で対峙する一帯は、それとはまた別の意味で異様な空間と化していた。

〈肉塊〉と〈高き者〉を残して、この空間から、全ての生物の存在が消えていたのだ。

 触手に巻き込まれて消えた人間はもとより、その怪物から逃れていた者、そして――例えば、窓のない部屋にいたなどで――外の状況に気づくことなく普段通りにしていた者。

 その全てが。

 それこそ、この少女という例外を除いて。

 まるで周辺全体が、〈肉塊〉と〈高き者〉が死合うためのコロッセウムと化したように。

「かわいい子……あんなに喜んじゃって」

 しかし、恍惚と呟く少女に、その現象に対する疑問は一切存在しない。

 少女にとってそんなことなど自明であったし、そしてそんなことよりも重大で、喜ばしいことがあったからだ。

「〈叫ぶ歓喜〉」

 そして少女はその名を呼ぶ。

〈高き者〉――再び誕生せしめた〈再誕者〉としての、新たなる名を。

「こんな醜いだけの〈肉塊〉なんて、生まれ変わるだけで、十分だよね」

 一捻りするには、十分だよね。

 だから――

「産声の時間はもうおしまい」

 少女は、呟く。

 命ずるように。

 あるいは、あやすように――

 我が子に対して。

「その〈歓喜〉を見せつけちゃえ。目の前の、〈肉塊(お人形さん)〉に」


 ※


〈高き者〉の叫びが終わる。

 そして、目の前の〈肉塊〉と対峙する。

 人一人、犬一匹さえ残さず消え去った静寂の空間で、〈肉塊〉と〈高き者〉は、しばし向かい合う形で静止した。

 ゲル状と化した肉が泡立つ音が、いななきのように鳴り渡く。

〈肉塊〉の突進は、いななく泡立ちと共にやってきた。

 ナメクジのように這いよる動きで、猪のように突進する。風を切る速度で突き進む巨体は、まさしく質量をもった竜巻だ。

 立ちどころに〈肉塊〉は〈高き者〉に激突する。肉と肉との衝突とは思えないほどに、硬く重い衝突音。

 五体の全てを使いそれを受け止めた〈高き者〉は、コンクリートを砂のように削りながら、十数メートル後ろに引きずられる。

 動きが止まったところで、〈高き者〉は右膝で蹴りあげる。浮き上がった〈肉塊〉の巨体に、すかさず追撃の前蹴りを見舞う。〈肉塊〉は吹き飛び、突き当りの建物に衝突した。落雷めいた轟音と共に、木製の建物の壁が破壊される。

〈高き者〉はただちに眼にも留まらぬ俊足で、〈肉塊〉にぶち当たるべく駆ける。いわゆる、ショルダータックル。

 ――バチィ!

 打撃音に空気が震える。

 例の泡立つ音と共に生成された〈肉塊〉の巨大な触手が〈高き者〉を鞭打つように横薙いだ。〈高き者〉は右方向に払われ、勢いよくオフィスビルに激突した。しかし咄嗟に左腕でガードしたらしく、ビルの壁には大きな穴が穿たれたものの、体勢は右膝立ちの状態で大きく崩れなかった。〈高き者〉はその状態のまま〈肉塊〉の方に身体を向ける。〈肉塊〉は無造作に五本の触手を生やし、牽制のように宙に踊らせている。

 ここまでの様子からも分かるように、〈肉塊〉と〈高き者〉の戦闘は対照的だ。

〈肉塊〉は、それこそ異形のもののように、原始的な突進や、身体のあちこちから生えた触手を振り回すようにして〈高き者〉を圧倒しようとしている。

 それに対して〈高き者〉は、はっきりと言えば、徒手空拳の人間の戦闘そのものだった。拳を振るい、脚を振り回し、〈肉塊〉を制する。少なくとも、〈肉塊〉のそれと比べれば酷くこの世のものらしい闘争の姿だった。

 これは紛れもなく、この世のものとこの世ならざるものとの戦いであった。

 そしてそれ故にこの闘争は――

 どちらかが滅するまで、決して終焉を迎えることはない。

〈肉塊〉が触手を展開した状態で前進を始め、態勢を整えた〈高き者〉もまた少しずつ距離を詰める。

 少しずつ、少しずつ――

 ――一〇、九、八、七、六――

 五メートル圏内。

 触手の制空権に触れる。

 ブリュリュッ!

 弾けるような音と共に触手が奔る。

 触手が狙うのは頭部。矢のように鋭く槌のように重い一撃。しかし〈高き者〉は読んでいたかのように身体を前に屈め、左手で触手を払った。〈肉塊〉の態勢が崩れる。

〈高き者〉が跳んだ。

 そして一気に距離を詰める。

 右脚を踏みしめ、右腕を振り上げ、一直線に突き進んだ。

 あるいは、それが決定打になった――

 はずだった。

 ――グチュリュッ!

 響いたのは、粘性のあるものが、勢いよく貫かれた音だ。

〈高き者〉の腹部、その上方中央。みぞおち。

〈肉塊〉の身体から生えた太い触手がそこを貫いていた。〈高き者〉の体内を貫いた触手の先から、ネバつき、腐敗臭がする血液が、大きな雫となって地面に落ちる。

〈高き者〉の巨体は悶え、叫び声をあげる。逃れる暇を与えることなく、残りの触手が一斉に奔り、〈高き者〉の右肩を、左胸を、右下腹部を、左大腿部を貫く。

 まさに針のむしろだった。

 粘着く音と共に触手の貫いた先が伸び、そのまま〈高き者〉の全身に絡みつく。

〈高き者〉を身体を高く持ち上げ、勢いよく地面に叩きつけた。

 地球を穿たんとばかりの破壊音。近くのビルの窓ガラスが、暴力的な振動に共振して爆散する。尋常の生物であれば、この一撃だけで肉片すら残すことなく、完全な血溜まりと化すであろう。

 しかし、〈高き者〉は死ぬことはない。

 身体の内部から硬質なものが砕けるような音が鳴り、〈高き者〉は身体を捩らせながら獣のように叫んだ。

 暴れ叫ぶ〈高き者〉を無理やり持ち上げ、先ほどの高さに達したところで叩きつける。

 持ち上げ、叩きつける。

 持ち上げ、叩きつける。

 持ち上げ、叩きつける――

 幾度となく破壊音が轟き、アスファルトはクレーターのように穿たれていた。

 削られ、千切れた肉は内部を露出して繊維を露出し、身体はあちらこちらが捻られている。臙脂色の身体は、全身の傷口から流れる、濃厚で腐敗した血液の赭色に染まっていた。

〈肉塊〉が、触手を解く。

〈高き者〉は横たえたまま動かない。

 グリュリュリュ……

 泡立ちの音と共に、〈肉塊〉はその姿を変える。溶けるように液状化していく。

 ドロドロに液状化した肉は、〈高き者〉の方へと動く。

 やがてそれは横たえる〈高き者〉、その脚部に接触する。

 ――ジュチュチュチュ……

 それは、〈高き者〉の肉が溶ける音だった。

 まるで胃液に浸かった食物のように、〈高き者〉の肉体が変色し、変形し、形そのものを失っていく。

 少しずつ、

 少しずつ。

 まるで舌鼓を打つように、肉を吸収していく〈肉塊〉。

 最早、雌雄は決したように思えた。

〈肉塊〉の「肉」が、脚部から下腹部に達しようとした、その時だった。

 寸毫ほども動かなかった〈高き者〉が、ピクッ、ピクッと微かに動きを見せ始めたのは。


 獣の咆哮じみた「歓喜」が、辺り一帯に轟いたのは。

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