6.死後の世界
ここはとても静かな場所だった。
真っ暗闇で、無音で、何もない。余りに虚無的で、今こうやって思惟してる自分自身の存在さえ曖昧になっていく場所。
なるほど、いかにも「死後の世界」だ。
実際には、俺は死んではいないのだが。
ここが右なのか左なのか上なのか下なのか立っているのか寝ているのか浮いているのか、沈んでいるのかさっぱり分からない。
分からないし、動くどころか身体の手応えも全く感じない。しかし「我思う故に我有り」という意味で、少なくとも完全には死んでいないことだけは分かっている状態。
恐怖は感じなかった。というより現実感を感じなかった。こんな場所の一体どこに「現実」が存在するのだろうか。
俺の「身体」、「みぞおち」の辺りに大きな穴が空いたのはその時だった。穴。例の屍肉の怪物に空けられた穴。
――ドッ!
それと呼応するように、俺の「心臓」が一つ高鳴った。高鳴る、というのは、俺の心臓の鼓動音が辺り一帯に響き渡る、という意味だ。身体が大きく振動し、高く跳ね上がる。
その一回を皮切りに、心臓が鼓動を始める。
それは、鼓動という形を取った暴力だった。
一回一回の鼓動が巨人の足音のようであり、タガが外れたように速い。俺の身体が暴力的に揺れる震える跳ね上がる。常軌を逸脱した痛みが全身を駆け巡る。
この時点で、俺の「身体」ははっきりと存在感を顕わにした。
「みぞおち」に空いた穴を起点に、俺の身体が、細胞の一つ一つが、心臓の鼓動に合わせて変質する。俺の肉体がゲル状になり、それが絶え間ない伸縮を繰り返して徐々に膨張していく。その変質には、明確な悪意があった。
まず始めに恐怖があった。
しかし、俺の胴体が巨大な風船のように膨れ上がった頃には、そのような激痛を受ける自分自身に快楽しか感じなかった。
俺の身体に死が迫っている。
こンなのは、間違っている。
それどころか、狂っている。
にも関わらず、自分の身体が死に近づいていることが、気が狂うほどに嬉しくてたまらなかった。
死かもただ死ぬのではなく、自分の中に生まれ出つつある威容なるものに飲まれるようにし手、自分の存在そのものが滅死ていく。
自分というちっPOけ那存在が、偉大なる存在によって、至上の絶望感に踏みにじられて死ヌこt。
これこそが俺の望みであって、コれ以外に俺がイきている意味なんてなに一tなかっタノdハナイカ?
デも、
そレh、
――イっタ異なンデ?
急激に俺の意skg――メテ! 意 シk g ――サン、オカ――! ナンデ 芽ツれ突 イヤダ コ0イy 4ヌ 解仏 狂馬ニ シヌ オ÷ 大奇異 シニタイ オネエチャン シ塗 ヤメテ ヤメテ
大丈夫だよ。
俺の意識に少女の声が微かに触れた瞬間、俺の意識が嘘みたいに明瞭になる。
「狹間田遊里は、死にたがりのいけない子なんだから」
霞んでいるはずの視界に、一人の少女の姿が明確に浮かぶ。
銀髪の少女。
現実味をまるで感じさせない、異界からの使者をさえ思わせる、美しい少女。
その肌も白くきめ細やかで、その姿形は現実離れをさえ思わせたが、俺にはその少女がとても近しい存在のように思えた。
まるで、自分と血を分け合った兄妹であるかのような。
そしてその超常的な美貌の全てを破壊する、頬に浮かぶ爛れた傷。
傷と共に微笑む少女は、まるで俺を貫いた屍肉の怪物のように醜いはずだった。
しかし、どういうわけか――いや、だからこそ、この少女の存在が、いよいよもって、至高の存在のように思えた。
可能であれば、俺はこの少女に跪き、彼女の醜い傷に口づけを施したかった。
この感情を理解することは、きっと何者にも不可能であるに違いなかったが、
それ故に、異教徒のように世界中から排斥される自分自身を自覚できたが、
だからこそ、俺は、この感情を、そしてこの少女を、何者にも代えがたい、至上の存在なのだと確信した。
少女は、軽やかに俺の下に近づき、その小さな両腕で俺の醜く肥大化した身体を抱擁する。少女の両腕は、背中に手を回すどころか脇腹にすら届かなかったが、少女の体温は心地よかった。
少女は、そっと、俺の身体に口づけをした。唇の触れたところが、微かに熱を帯びる。まるで愛のように、心地のよい熱。
「だから、わたしが満たしてあげる――狹間田遊里の、いけない、いけない、欲望を」
囁きが、角砂糖のように俺の意識に溶け、変質し肥大した俺の身体を震わせた。
少女は、俺の身体に幾度も口づけを施す。
俺の、足元に、脚に、臍下に、指先に、脇下に、首筋に、耳に、頬に、額に、瞼に。
少女の薄い唇が触れて、その体温が身体に浸透していく。時に少女は口づけとともに小さな舌を絡めた。少女の感触を、俺の身体に刻みつけるように。
俺の身体が徐々に体温を上げていく。
静まっていた俺の心臓が再び、俺の身体を大きく揺らすほどの速く激しい鼓動を打ち始める。それに合わせて身体の変質も再開する。ゲル状と化した身体が絶え間なく伸縮する。
今度は痛みはなかった。
圧倒的な快楽だけがあった。
俺の身体の変質に、悪意は欠片も感じない。この全身の熱は、躍動は、俺自身の中に眠る本能の産物なのだ。
それは、俺の存在の何もかもを肯定する歓喜だった。
ああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!
俺は叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!
最早俺の存在は完全に定義された!
熱い!
あつい!
アツイ!
身体が熱い!
この熱に身を任せたくて仕方がない!
はちきれそうになる俺のこの情動を、この甘美なる情動を、開放せずにいられるか!
瞬間、この真っ暗い世界が、足元から粉々に砕け散った。
「いってらっしゃい、わたしの愛しい、いけない子」
俺の意識が真っ白にはじけ飛ぶその瞬間、俺の意識を震わせたのは、少女の、まるで聖母の福音のような声だった。