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臙脂色の謝肉祭(ファスナハト)  作者: 空箱零士
1.爛れた傷の銀髪少女、屍肉の怪物。
4/10

3.「だから、ユーリがこれ以上体調崩さなきゃいいんだよ」/「やっと見つけた、いけない子」

 ――ドウシテ、ウソヲツクノ?


 微かに聞こえたか細い声と共に、ざわりっ、と妙な胸騒ぎがした。

 視線を向けると、そこには俺の前を横切ろうとする一人の少女。

 俺より頭一つ分小さな、銀髪の少女。

 少女は灰色のブレザーを身に着けていたものの、その風采から挙措まで、完全にその場の空気からかけ離れていた。さながら、学園マンガの一場面に、異国の画風で描かれた少女の絵を無理やりコラージュしたかのような。

 奇妙なことに、この時、時間が止まったような気がした。この場で動いているのは俺と、その少女だけのように思えた。

 横切る瞬間、少女はこちらを一瞥する。銀髪が揺れ、少女と俺の視線が重なる。

 しかしその一瞬で、この瞳に、一枚の写真のようにはっきりとした像が結ばれる。

 笑う少女。まるで天使のように。

 そして少女の右頬に浮かぶ臙脂色の「何か」。

 それが、踊った。

 まるで水面で広がる波紋のように。

 次の瞬間、その「何か」は膨張した。

 水面の波紋であった「何か」は海原の津波のように押し寄せ、俺はなす術もなく飲み込まれた。


 ――リ……ユーリ!」


 俺を呼びかける声。

 ハッとして気づいた時には、犬山が俺の肩を掴んで真っ直ぐに俺の目を見据えていた。

「……ユーリ、今まさにフリーズしてたわけだけど、自覚はある?」

「へっ?」

 確かに、「気づいたら」犬山が肩を揺すっていたのは事実、だが……。

「うーん、その分だと本当に自覚なしっぽいんだよねー……正直、マジかーって感じなんだけど……」

 うーん、と首を傾げ、犬山は考えこんでしまった。重くなる眠気と頭痛も相まって、いよいよ気まずさが耐え難くなっていく。

 水木を見ると、どういうわけか、廊下を見つめていた。その表情に浮かぶのは相も変わらず困惑のそれだが、その対象は明らかに俺ではなかった。

 廊下の奥――あるいはそちらにいる、あるいはいた「何か」に向けられていた。

 誰か知り合いとすれ違ったのだろうか? しかし、それにしては……。

 困っている女の子に率先して声かけるのは男の子の義務なのよ、とはお姉ちゃんの金言。

「おい、どうした水――」

「――えいっ!」

 水木に声をかけかけたその時、犬山が力一杯に俺の身体を引き寄せた。

 それからガッチリと両手でホールドした上で、俺の顔を犬山自身の顔の方に引き寄せて――次の瞬間、犬山の人肌の感覚が、俺の額に伝わってきた。彼女の額に、俺の額を当てているのだ。

「うーん……意外と本気で平熱っぽい……」

 要するに犬山は、俺の熱を測っている。

 しかし、何しろ学年屈指の美少女と言っても過言ではない犬山の顔が、キスが出来そうなくらいに近づいているのだ。犬山の吐息も感じるし、思わず顔が赤くなってしまう。

 やがて何事もなかったかのように離れると、改めて犬山は俺に向き直った。

「顔色は悪いっちゃ悪いけど、熱はなさそうなんだよねえ……フリーズはちょっと尋常じゃない感じだけど、それ以外は普通の寝不足っぽい感じだし……案外、本当に寝不足が祟ってボーッとしちゃった感じなのかな……?」

 どう思う、ふーちゃん? 

 と声をかけた犬山だったが、水木は未だに廊下の方に顔を向けていた。

「おーい、ふーちゃん?」

「えひゃい!?」

「え、何その声? 萌えて欲しいの?」

「い、いや、ごめんね、今ちょっと考え事しちゃってて、あははっ」

「ちょっとー、話を聞いてくれないふーちゃんにはジェネリック医薬品服用の刑を……って、あれ? なんかふーちゃんめっちゃ顔色良くなってない?」

 そう言われてみると、確かに水木の顔色はかなり良くなっていた。いや、良くなった、どころの騒ぎではない。体調不良特有の気だるそうな雰囲気が一切なくなり、言動もかなりイキイキと軽やかになっていた。

 素人目にも、水木の体調は快復していた。

「そうなんだよねー、なんか急に気分が良くなってビックリしちゃった」

「いや、ビックリしちゃったって……でも、確かに良くなったようには見えるし……」

「でしょ? これで今日は大丈夫だよね?」

 訝しげに首を傾げる犬山に、水木はさっぱりとした笑顔を浮かべる。先程までの体調不良が嘘のような、いつも通りの気持ちのいい笑顔。しかし、その視線が時折、廊下の奥に向けられているのを俺は見逃さなかった。

「うーん、ふーちゃんは何か普通に体調良くなったっぽいし、ユーリもユーリで今日は帰りなよって強く言うにはいまいち決定打に欠けるし……」

 その時、始業五分前の予鈴が鳴った。

「だから、体調が悪くなったら帰ればいいんじゃない?」

 さっぱりとした調子で水木は言う。

 それ自体は最もな意見ではあるので、特に反論もなく「うーん」と唸る犬山に、

「じゃ、私そろそろ行くから、またねっ!」

 とだけ言い残してほとんど駆けるように行ってしまった。先ほどからがチラチラと視線を向けていた、廊下の奥の方へと。

「……まあ、ふーちゃんの言う通り、かな」

 そう言って一度頷くと、犬山は俺の方に向き直った。

「そんな訳でユーリ、今となってはユーリが体調不良レース単独首位な訳だから、眠気が寒気とか怖気とか惚気とかに変わったら、無理せず保健室の先生の胸でグッスリと眠るように! あと惚気の場合は直ちに私に申し出て、昼休みまたは放課後に私とふーちゃん立ち会いの下、恋愛大魔神ヒロブミン(草薙のこと)が成仏するまでぶちまけること!」

「ふあぁ……!」

「よろしい! 今回は体調不良に免じ、ユーリの脳内彼女のサンプリングに私を使うことを許可する! ので、とりまぐっすり寝て、夢の中で私、もとい私をモデルとした脳内彼女とイチャつきつつ、全快とまでは言わないからなんとかいい感じにまで持っていくこと、そして昼休みまたは放課後にその顛末を洗いざらい述べること、って感じで以上!」

 後、脳内でエッチなことをする時は、利用規約に則り、公序良俗の範囲内で、世間様に顔向け出来るかどうかを自分の良心とか良識とかに問いかけた上でことに及ぶこと!

 と、早口でまくし立ててきたので、思わず眠気と頭痛でクラっと来てしまった。

「とと、ごめんごめん、ちょっとかっ飛ばしすぎちゃった」

 慌てて俺の身体を支える犬山。

「……ったく、彼氏いた事ねーくせに……ふあぁ……エッチなことをする時は、とか言うなって……ふあぁ……」

「あれあれー? ひょっとしてユーリ、こんなお喋り大魔神に異性とか感じちゃってる系男子ですかー?」

「黙ってりゃ、可愛いからな、ふあぁ……」

「えへへー! 欠伸で台無しだけど褒められたー! 肩貸してあげよっか? プラス五千円でお姫様抱っこでもいいよー?」

「大丈夫だっつーの……ふあぁ……」

「まあでも、ホントに無理だけはしないでちょーだいね? 辛くなったらすぐに保健室に行くんだよ? 私が付き添ってあげるから」

「お前保健委員じゃ……ふあぁ……ねーだろうが……」

「だから、ユーリがこれ以上体調崩さなきゃいいんだよ」

 罪のない笑顔で言ってくるので、俺はちょっとだけ申し訳なく思いながら「ああ、悪いな」と返した。その後に、重たい欠伸と、頭痛の痛みが同時に襲った。

「大丈夫? きっついようなら、それこそ支えよっか?」

 と、言ってきた犬山に、俺は苦笑いで「いいっての」と返して、そのまま二人で教室に向かった。


 ※


 予鈴が鳴った、ちょうどその頃。

 教室の窓際の席に座る銀髪の少女が、窓の外に視線を向けていた。

 もっとも、ただ単純に視線がそちらに向いているというだけのようだ。むしろ、その灰色の瞳が映し出す光景を、その硬直した表情、瞳で、ちゃんと認識してるかさえ疑わしい。

 生徒たちが始業前の雑談を交わしている中、少女はいつもそうして過ごす。

 さながら少女は、クラスにおける薄気味悪い異邦人だった。

 事実、彼女の周囲だけ、明らかに違った空気が流れているようだった。

 さながら、学園もののマンガの一場面に、異国の画風で描かれた少女の絵を無理やりコラージュしたかのような。

 予鈴が鳴り終わって間もなく、一人の女子が教室に入って来た。

 入ってくるなりその女子は彼女に視線を向け、微かに悲しそうな表情を浮かべる。

 黒髪セミロングで、いわゆる大和撫子といった出で立ちの女子。

 その女子を見るなり「おはよー、水木。今日ちょっと遅くない?」と友人が声をかける。その友人に「おはよう藤田さん。玄関で友達と話し込んじゃったんだ」と和やかに返す。

 挨拶もそこそこに、彼女――水木楓乃は、再び窓際の少女に視線を向けた。そんな水木に、藤田さんと呼ばれた女子が「なあ、またそいつに構うのかよ?」と憚りのない声で言う。藤田は遠慮がない発言が目立つ生徒だ。

 そんな彼女に苦笑いだけ返すと、水木は自分の席に座る。窓際の少女の、前の席だ。

「おはよう灰庭さん。今日もいい天気だね」

「…………」

 席に着きながら挨拶をした水木に、無反応の少女――灰庭さんと呼ばれた少女は、一切反応を示さない。ちなみにこの少女の名前は、灰庭はいば幻花げんかという。灰庭が水木の言葉、いや、そもそも他の誰の言葉にも反応を示さないのはいつも通りのことであるし、水木自身もそのことはよく知っていた。

 なにしろ、水木は入学以来、ずっと灰庭に声をかけ続けているのだから。

「ねえ灰庭さん、この前干物ネコの話したの覚えてる?」

「…………」

「ゲームセンターで見かけたゲテモノキャラ。その話をみなちゃんに話したら、何それメチャ骨皮萌えじゃんヤバイ保護しなきゃ保護保護とか言って興奮しだしちゃって、クレーンゲームで千円も使っちゃうくらいにハマっちゃって、もう大変だったんだよ」

「…………」

「結局一つしか取れなくて露骨にガッカリしちゃって、そういう時のみなちゃんって本当子どもっぽいんだよねえ」

「…………」

「……ねえ、よかったら灰庭さんも、今度一緒にゲーセンに行かない? 本当に近年稀に見るくらいのゲテモノキャラなんだよ、干物ネコ。絶対面白いから、ね?」

「…………」

 水木が一方的に喋り続ける中、灰庭は振り向きもせず、窓の外に視線を向け続けている。それは、何かを喋っているらしい水木に限らず、自分を取り巻く世界そのものに一切興味がない、と言わんばかりの無感情ぶり。

 そんな様子を見かねたのだろう。藤田がむっつりとした表情でやってきた。

「なあ水木、だからほっとけって言ってんじゃん。こいつずっとこんな調子じゃん」

 苛立ちをむき出しにする藤田に、水木は微笑を浮かべて首を横に振る。

「ごめんね、心配してくれて。でも、先生が来るまでは、ね?」

「あーもう……! そりゃ私は、一応事情聞いてるけどさ……」

 そう言って、女子たちの集団の方にチラッと視線を向ける。女子たちはチラチラと、遠慮がちながらも、明らかに下世話な好奇心に満ちた視線を向けていた。

「正直、事情知ってる私だって、半信半疑なんだからね?」

「半分は信じてるってだけで十分だよ。やっぱり優しいね、藤田さんは」

 水木の純粋な微笑みに、藤田は「っせーな、水木のお人好しほどじゃねーよ」と言って気まずそうに頬をかいた。

「で、こいつに構うのはいいけど、少しは教室の空気も読めよな? お互い、いい年なんだしさ?」

「本当にごめんね……今度、たこ焼き奢ってあげるからさ。金たこ」

「うおおっマジでか!? ……じゃなくて、そういうのいいから、気をつけなよ」

 ありがとね、本当に、とだけ言うと、水木は再び灰庭に向き直った。先の一連の会話の中で、灰庭の反応は皆無だった。

「……ねえそういえば、玄関の前で灰庭さんとすれ違ったよね? 実はね、私今朝、結構体調悪かったんだけど、その瞬間、急に治っちゃったんだよね。ひょっとして灰庭さん、私に魔法でも使ってくれたのかな?」

「…………」

「実は今日体調が悪いの私だけじゃなくってね、私の友達の狹間田く「狹間田遊里」ん……うん?」

 藤田が「えっ?」と声をあげた。

 それは、不自然な程に透き通った声だった。

「……そうそう! その狹間田くん! 前々から話してる通り、むか、し――!」

 一瞬だけ呆気にとられた後、とても嬉しそうに続けた水木の言葉が、唐突に止まった。

何故なら、出し抜けに、灰庭がこちらを振り向いたから。そして、その表情は――。

「――ひっ!」

 藤田は腰を抜かしたように尻もちをついた。顔を蒼白に染め、全身で震え上がっている。悲鳴と転倒した際の物音に反応した生徒たちがそちらを振り向き、その全てが硬直した。

 ザワっ……と、騒然となる教室。

 そして灰庭は唐突に立ち上がる。

 その瞬間、生徒たちは一斉に悲鳴を上げた。

 まるで目の前に、得体の知れない化物でも現れたと言わんばかりの恐慌。

「狹間田遊里」

 満面の笑み。

 それが、灰庭の表情だった。

 彼女の顔立ちは、紛れもなく美形だ。

 それも、圧倒的という表現が相応しい程に。

 清らかな光沢を放った銀髪に、人形のように端正な小顔、やや硬質ではあるが、艷やかで色白な肌。

端的な「美しさ」で言えば、犬山や水木をも凌いでいる。

 ある一点――完璧とすら言える美貌の全てを台無しにする、致命的な欠陥を除いて。

「やっと見つけた、いけない子」

 その顔立ちに相応しい透き通った声で、愛おしそうに呟く灰庭。まるで、唄うように。

 灰庭の、ただそれだけなら罪のない笑み。

 しかしその右頬――右頬から顎下にかけて、ぐちゃぐちゃに乱れた楕円状に広がる――には、深刻な傷が刻まれていた。

 内部の、決して表に出てはいけない臙脂色の肉が露出し、それがもがき苦しむミミズのように暴れまわったような傷跡。それが、あろうことか、灰庭の破顔に合わせ、蹂躙するように広がっている。

 それは、天使のような少女の顔に出現した、一個の地獄絵図だった。

 始業のチャイムが鳴り響く中、灰庭は、右頬の傷を踊らせながら、「えへ……えへっへっへ…へひへへ……」と、不規則な笑い声をあげ続けた。

「……狹間田くん」

 呆然と、青ざめた表情を浮かべる水木は、誰にも聞こえない程のポツリとした小声で、その名前を口にした。

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