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臙脂色の謝肉祭(ファスナハト)  作者: 空箱零士
1.爛れた傷の銀髪少女、屍肉の怪物。
3/10

2.嘘つき

 一年二組一二番 

 狹間田はさまだ遊里ゆうり


 無機質なゴシック体でプレートに書かれた下駄箱から、上履きを取り出す。

 草薙は既に、「うおぉん! 突如として便意を催してしまったので、悪いけど僕に構わずゆっくりと靴から上履きに履き替えててくれ!」と言い残してそそくさと先に行ってしまった。草薙は胃腸が弱いのだ。

「つまり干物ネコは骨皮萌えなんですよ! 色違いは五種類あるから、いずれも見逃さないようにね、ふーちゃんっ!」

「ははっ……みなちゃんはゲテモユニークなキャラが好きだもんねえ……」

伸び伸び元気な声と控えめで奥ゆかしい声。

 聴き馴染んだ話し声に振り返ると、二人組の女子が昇降口を潜っていた。

 茶色がかったサイドヘアーに赤いシュシュをつけた元気いっぱいの女の子と、黒髪セミロングの大和撫子然としたお淑やかながらもどこか凛としたところのある女の子。

 制服の地味さをも上書きする勢いでイキイキとしたオーラを解き放つ快活少女と、たわわに盛り上がった胸部の双丘が制服の自己主張の少なさ故に殊更強調されたスタイル抜群の奥ゆかしい淑女系少女――地味なブレザーも、彼女二人にかかればかくも可憐な印象を与えるものになる。

 そんなわけで、犬山いぬやま美波みなみと、水木みずき楓乃ふうの

 二人とも俺の友人で、その関係性を羨ましがられる程度には可愛らしい、ぶっちゃけて言えば美少女だ。

「あっ、ユーリだ! おはにゃんぴー!」

 こちらに気づいた犬山が大きく手を振る。なんか知らないが元気だけは伝わってくる挨拶。ラノベかって感じだ。水木はその後ろで、弱々しく笑みを浮かべている。俺は二人に「おーう」と軽く手を振り返した。

 ……しかし、その光景自体はいつも通りなのだが、今日は気持ち、水木の顔色が悪そうだ。確かに彼女はあまり活発ではないが、ひ弱さを感じさせるタイプでもない。

 女の子の微妙な変化には要注意よ、とはお姉ちゃんの金言だ。

 間もなく、犬山と水木が近くにやってきた。

「よっ、おは……ふあぁ……」

「あれあれどうしたどうしたユーリくん? 全日本朝に強い健全優良人間コンクールシングルス男子高校生部門に出場したものの初戦敗退の末に持ち帰った甲子園の土と六甲のおいしい水を使って育てたパオパブの木の動画がようつべで1万PVを達成したことで稼いだ小銭を祖国に仕送りしてるユーチューバーの鑑のようなユーリくんらしからぬアンニュイな倦怠感を醸しだしておりますなあぁ?」

「あ、はは、ごめんね、狹間田くん。朝からみなちゃんに、付き合って貰っちゃって」

「いいって。こいつがビョーキなのはグローバルスタンダードだから……ふあぁ……」

「あー! ふーちゃんったらユーリったら酷いよもー! 今日はふーちゃんが元気ないから、当社比数倍のアゲテンションで日常生活をお送りしているのにー!」

 やっぱり体調悪いのか。

「ははっ……やっぱり、そう見えちゃう?」

 そう思いながら水木の顔を覗き込んだ俺に、水木は苦笑いを浮かべる。

 ああ、まあな……ふあぁ、と返事をしたところで、犬山が「あんまり下駄箱の前で長話をするのもなんだよね?」と言ったので、一度廊下に出た。

 その際、俺と犬山とは(ちなみに草薙とも)違うクラスである水木は、一度自分のクラスの下駄箱に回る必要があったのだが……、

「……やっぱり体調悪そうだな、水木」

「うん、どう見てもそんな感じだよねえ」

 上履きを履く水木を眺めながら、俺と犬山は頷きあう。水木の動きは、水浸しになった犬のようにぎこちなかった。

 水木が「ごめんね、おまたせ」とか細い声で言いながら歩み寄ってきた。

「水木、あんまりキツいなら、今からでも帰ったほうがいいぞ?」

「いやー、私もそう言ったんだけど、ふーちゃんったら大丈夫だからの一点張りでさー」

「だって、大丈夫、だから……」

「もー! またまたそうやって強がっちゃって! それで風邪こじらせたら元も子もないじゃん、なんて唯一無二の友人たるところの私としては思うわけですよ!」

「友……人……?」

「唯一無二どころかそこから疑問符!?」

「ははっ……でも、熱があるわけじゃないし、特に痛むところもないから、大丈夫だよ……」

「それにしても元気なさすぎかな? って私なんかは思うんだけど……弱々しいオーラ全開のふーちゃんは地味に新鮮で萌えるけどさ」

「……勘弁して、本当に……」

「ガチなドン引きじゃないすか!?」

「でも……本当に、なんか、漠然と身体と気分が重たいっていう、だけなんだよね……」

「そうは言うけど、犬山の言う通り、そこから体調崩すってこともふあぁ……」

 実に空気の読めないあくびだった。

 肝心な時の間抜けは時に致命的な敗因に繋がるのよ、とはお姉ちゃんの金言だ。

 ……しかも、気持ち、頭が痛くなり始めている、ような気がする。

「ははっ、なんだか、狹間田くんも、人のこと言えないみたいな感じ、だよ?」

 なんて言いながら、水木は上目遣いでこちらの顔をジッと覗き込んでくる。否が応でも強調される大きな胸も相まって、いたずらっぽさを感じさせる瞳。垣間見せる犬山への毒舌といい、むしろこういう、お淑やかな中に茶目っ気を隠し持っている方が水木の素に近い。ただし、その表情に浮かぶ笑みには、少なからぬ無理が感じられた。

「いや、俺の場合……ふあぁ……すげー眠いだけだし」

 頭痛のことは敢えて言わなかった。

「もー! 無理してる人が無理してる人に無理してるって言うもんじゃなーい! そんないけないふーちゃんには、服用するバファリンの優しさを私に献上するの刑に処すよ!」

「私、ロキソニン派、なんだけど……」

「とにかく! 二人とも今日は本調子じゃないんだから、せめて二人のハイテンション部位を私に献上して今日一日おとなしくしてること! 私一人で三人分の盛り上げを見せるに飽きたらず相乗効果的なので二人を精神的に元気にしてあげるんだからっ!」

「普段から……ふあぁ……三十人分は騒ぐ奴がなに言ってんだ……」

「あははっ……気持ちは嬉しいけど、もうちょっとトーンダウンしてくれると嬉しい、な」

「ガーン……ごめんなさい、自重します」

 犬山はしょんぼりと肩を落とした。

 いちいち発言が元気すぎるのでたまに誤解されるのだが、犬山は決して空気が読めないわけじゃない。どちらかと言えば、本当の喋りすぎにならない程度に喋りすぎるために細心の注意を払った上で喋りすぎるために全身全霊を注ぐタイプだ。

「でも、実際のところ、狹間田くん、寝不足なんじゃないの?」

「あー……まあ、寝不足なのは事実、だな、ふあぁ……」

「何時間寝たの?」

「四時間半」

 はあ、そりゃあ寝不足一直線ですなー、と犬山が茶々を入れる。

「本当に……そんなになるまで、夜更かししてちゃ、ダメだよ?」

「そーだぞユーリ! ふーちゃんに心配かけちゃうようなユーリは一日八時間睡眠の刑に処しちゃうぞ!」

「随分と健康的な刑だな……」

「じゃあ気づいたら三十時間寝てたの刑で!」

「今の俺ならリアルに……ふあぁ……やりかねないのが恐ろしい……」

 思春期の男の子なんだから夜更かししたい時もあるわよ、とお姉ちゃんは言ってくれるのだが、流石に少し自重すべきかもしれない。

「でも、どっちにしても今日は、早く寝たほうがいいと思うな……」

「それはふーちゃんもだけどねー。っていうかむしろ、授業中に起きてられる?」

「……ああ、ぶっちゃけ寝てる」

「もー! 平時における私の授業態度じゃないんだから、授業はちゃんと聞いてなきゃいけなんだぞ!」

「いや、平時には起きてろよ。お前……ふあぁ……英語の授業、いつも寝てんじゃん」

「うっ! ……え、英語とか何言ってるか分からないんだもん! 日本語じゃないし!」

「まあ……英語だしな……」

「あーもー! そんな屁理屈言うユーリなんて巨大ナメクジに追い回される悪夢でうなされちゃえ!」

「ナメクジじゃねえ、肉の怪物の夢だ」

「え……?」

「はい?」

 ――…………。

「狹間田くん? あの、どうしたの?」

 ――……。

「えー、ユーリさん、どうしました突然?」

 ――……?

ふと気がつくと、犬山と水木が俺の顔をマジマジと覗き込んでいた。二人の表情は限りなく素に近くて、自分が素っ頓狂なことをやってしまったことを直感的に察してしまった。

 ――……っ!

 しかも、確実に頭痛が重たくなりつつある。喋ることそののものに、苦痛を感じ始めている程度には。

 しかし、ここで必要以上に二人に心配をかけたくはなかった。まして、ただでさえ水木が体調不良なのだ。

「……なんだよ、そんなジロジロ見て?」

 取りあえず軽口風に言ってみたが、二人が表情を和らげることはなかった。それどころかますます困惑を深めたように、犬山と水木は顔を見合わせる。

「ええっと……ユーリ、今のフリーズはなんでしょうか?」

「フリーズ?」

 思わずオウム返しにしてしまった。

 フリーズ?

 改めて脳裏で反芻してみても、やっぱりピンと来ない。

 不可解さが拭えないうちにこみ上げてきた欠伸を漏らす俺に、犬山はため息をついた。

「えっと、ついさっき、自分で何言ったか覚えてます?」

「……はっ?」

「いや、つまりですね、その発言といい、その後のフリーズといい、なんかちょっとアレなものを感じたわけですよ」

「いやいやいや、確かにちょっとボンヤリしてたっぽいけど……ふあぁ……普通に話してただけだろ? 大丈夫か、犬山?」

「おかしいな、なんでここで私が心配されるんだろう……?」

 おどけた口調とは裏腹に、犬山の笑みは強張っていた。

 未だに状況を上手く理解出来ない俺としても、ただただ反応に窮するばかりだ。

「……狹間田くん」

 それを見かねたらしい水木が、張り付いたような微笑みを湛えて声をかけて来た。

「……ひょっとして、今日、悪い夢でも、見たの、かな?」

「悪い夢?」

 再び、オウム返し。

 随分と突拍子のない質問に聞こえた。

「いや……ふあぁ……だからなん……――!」

 思わず「あっ!」と声をあげた。

「あっ、やっぱり見たんだ?」という犬山の問いかけに、俺は「そうなんだよっ!」と声を張り上げる。自分でも思いもよらずテンションが上がって、必要以上に大きめの声量が出たせいで少し頭がクラっとした。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫……ふあぁ……」

「いや、大丈夫は大丈夫だとしても、そのテンションの上がり方はおかしいくない? ちょっと今マブい女の子がこっち振り向いてましたけど?」

「いや、だって……」

 何しろあの悪夢を思い出してしまったのだ。

 思い出すだけでも冒涜的で、想像しただけでも地獄の底から更なる深淵に叩き落とされたような絶望的な気分になる、恐るべき悪夢。

 草薙に話そうとした時にまるで思い出せなかったのが信じられないくらいに、一生涯に一度しか見れないレベルの、宇宙的恐怖と呼ぶに相応しい悪夢だ。

 ああ、思い出すだけでも、眠気と頭痛が酷くなり、意識が飛んでいきそうだ。

「えーっと、それ、どんな感じの奴?」

「知りたいか?」

「し、知りたい知りたい! ねっ、みなちゃん、そうだよね?」

「お……おう! もちろんですよ! ユーリ大先生のご覧遊ばされた悪夢となればさぞかし空前絶後で驚天動地な恐怖体験アンビリーバボーなんでしょうなあ!」

 草薙の時と同じように、水木と犬山が食いついてくる。水木なんて体調不良だろうに。俺の友人はみんな素直でいい奴だ。お姉ちゃんもきっと、遊里の友達は将来の重役、社長、会長揃いねと褒め称えてくださるに違いない。

 というわけで、草薙に話せなかった分も含めて、こいつらにはとびっきりの恐怖体験を聞かせてやろう。

「それはな……」

「うん」

「うん」

「…………」

「…………」

「…………」

「そ、それはなぁ……!」

「う、うん……」

「お、おう……」

「……」

「……」

「お、覚えてな――」


 ――ドウシテ、ウソヲツクノ?


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