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異国の地に降り立つ

その男は広大な平原を走る列車に乗っていた。

いつまでも続くこの平原は退屈な景色だったかもしれないが、

極東の島国から来たその男にとっては初めて見る景色であり、

自分が遠い異国の地に来た事を実感させてくれるものであった。

それに列車に乗る前の、長かった船旅に比べればこの退屈な景色が続く列車の旅など、

たいした時間でもないのだ。

長かった船旅にしても、彼にとっては苦にならなかった。

なぜなら彼は船に乗ることが仕事だったからだ。

もっともここ最近は陸上勤務が多かったが。

窓の景色を見つめていた視線をふと前に戻すと、

少し年季の入ったコートを着た地元の老人と思しき者が座っており、

男の事を興味深げに見つめていた。

「あんた、東洋人だね。どこまで行きなさる?」

「ソシェアル・ケミストまで」

「あんた、東洋の魔法使いかい?」

妙な事を言う老人だと男は思った。

男は背筋を伸ばしたまま前を向いて答えた。

「自分は日本国軍人であります」

「ジャポンの軍人さんが、はるばるソシェアルまで?」

「軍事留学です。ソシェアルは古来から軍事、戦略学に関しての教育機関として優れており、特に聖ソシェアル・ケミストン学園は由緒正しい軍事顧問養成所であると聞いておりますが」

「それはわしが子供の頃の話じゃないか?」

背筋を伸ばしたまま真っ直ぐに話す若い軍人に、

老人は歳とともに白くなっていった髭をさすりながら笑顔で答えた。

「それにのう」

「はっ」

「もともとあそこは錬金術師の養成所だったとこじゃよ」

「錬金術?」

「魔法じゃよ、魔法」

「ま、魔法? ですか」

若き軍人の国では、文明開化と呼ばれる近代化の始まりから、

呪術やまやかしは皆迷信として排斥されていく方向であったが、

それでも民間信仰を含め、呪術的なものはまだまだ生活に根付いていた。

しかしここに座る若き軍人は、目に見えぬものは信じない性質だったので、

魔法などというものは一切信じる気はなかった。


「大昔の話じゃよ。今はただの教練所じゃ。まぁ、行ってみればわかりますよ」

老人は少し笑いながら窓の外の景色を見つめた。

その視線の先、遥か先に白い尖塔が見えてきていた。

「あれがソシェアル・ケミストン学園。かつては栄華を誇ったところじゃよ」

老人の指し示す建物を見て、男は改めて気を引き締めた。

男の名はホンゴウタケル。歳はまだ二十代ながら、日本帝国海軍の少尉であった。


タケルが降り立ったゴルドボナース駅は、田舎ながら比較的人が多く乗り降りするところであった。

車窓から見えた田園風景が続くさまからは、ひどい田舎駅だと思っていたのだが、

駅前には大きな噴水がある水場を中心とした大きなロータリーがあり、

馬車や荷車に交じって、数台の自動車が停まっていた。

タケルも、田舎ながらバスぐらいはあるかもしれないと予想はしていたが、

自家用自動車と思われる車が意外に多いことに驚いていた。

駅前からまっすぐに伸びる、石畳を敷き詰めたメインストリートには、

たくさんの人が行き来しており、

途中横に伸びる小路には、ワゴンの上に商品を並べた出店が並び、

市場のような賑わいであった。


しかし、タケルが目指すソシェアル・ケミストン学園への道は、

にぎやかな通りをすぐに外れて、ブドウ畑が広がる舗装されていない農道を行かねばならなかった。


タケルは駅から、地図を頼りに学園を目指した。

日差しは穏やかで、時折雲がさえぎってくれていたのでそれほど暑くなかったが、

一歩一歩踏みしめる赤茶色の土は乾燥し、歩くたびに土煙が上がって、

タケルの磨かれた革靴を曇らせていった。


葡萄畑に挟まれた、長い長い農道を三十分ほど黙々と歩いただろうか。

後ろからけたたましいエンジン音が近づいてきていることにタケルは気付いた。

振り返ると砂煙を上げながら一台のモーターバイクが接近してくるのが見えた。

タケルはバイクをやり過ごすために道の脇により、砂埃を吸わないようハンケチで口を押えた。

間もなくバイクがタケルの脇を走りすぎようとした。その瞬間だった。

バイクが急ブレーキをかけたのか、タイヤを滑らせて、タケルの目の前で砂煙を上げながら転倒した。

「だ、だいじょうぶか?」

タケルが少しあっけにとられていると、

転倒したライダーは頭を振りながら起き上がった。

レザーのジャケットに飛行帽のような帽子とゴーグルをしたライダーは、

タケルを見つけると口元に巻いていた薄汚れたスカーフを下ろした。

「お前はタケル ホンゴウか?」

少年のような声で訊ねてくるライダーが自分の名前を口にしたので、

タケルは少し驚いた。

「確かに自分はホンゴウ タケルだ。そういう、おまえは……」

タケルの言葉が終わらないうちにライダーは白い歯を見せて笑うと、

近づいてきて手袋をした手でバンバンとタケルの腕を叩いた。

「タケル! 迎えが遅れてすまない。駅ですれ違った様だな。遠い所をようこそ」

「い、いや、貴様は一体何者だ」

「わたしは君の同室者、ルームメイトになるグレイ。よろしくな」

そう言いながらゴーグルを外したグレイの顔を見て、タケルは一瞬言葉をなくした。

帽子の隙間から覗かせた金糸のようなブロンドの髪。

澄んだ海のような青い瞳。

そして、宗教画から抜け出してきた天使のような白い肌と整った顔立ちから、

こんなに美しい少年がこの世に存在するのか、とタケルは思った。

まさに美少年とはこういった者を言うのだと思い、

しばしグレイの顔にくぎ付けになってしまった。

「どうした? なにかあったか?」

グレイの一言に我に帰ったタケルは、軽く咳払いをした。

「あ、いや。少し口に砂が入った。よ、よろしくお願いする、グレイ殿」

「そんなかしこまるな。ま、乗ってくれよ。汚いバイクだけどさ」

そう言ってグレイは再びバイクを起こして跨ると、

後ろの荷台を手で叩いて、タケルに乗るように促した。


しかしタケルは目の前でバイクの転倒を見せられているだけに、

一抹の不安を感じていた。


「い、いや、自分は歩いていこうかと」

「はぁ? この先まだ十キロほどあるんだよ」

「十キロの行軍ぐらい大事ではない」

「いいから乗りなって、ほらほら」

「うむ……」

「わたしが来た意味がないだろう?」

確かに自分のために迎えに来てくれたグレイの申し出を断るのは心苦しかった。

やむなくタケルはグレイの後ろの小さな荷台にまたがった。

「しっかり体掴んでいなよ。道悪いからな」

そう言うとグレイはゴーグルを駆けなおして、スロットルを回した。

ホンゴウは急発進するバイクに振り落とされんと、

荷物を持っていない方の手をグレイの腰に回した。

痩せていると思ったグレイの腰回りは、思ったよりも柔らかい肉付きで

着痩せして見えるタイプなのだと感じた。


いや、それよりも気がかりなことがあり、

タケルは後ろから大きな声でグレイに話しかけた。

「ところで、グレイ」

「なんだ?」

「さっき思ったのだが」

「なんだよ?」

「俺の前でこけたよな、バイクで」

「それが?」

「お前、止め方知らないのじゃないか?」

「そんな事はない。減速の仕方がよくわからないだけだ」

「なに?」

「だから止める時はブレーキをかけて転ばしているんだ」

「バ、バカかお前! 今までどうやって運転してきたんだ」

「初めてだよ」

「なに?」

「今日初めて乗るんだよ。バイク」

「嘘だろう?」

「嘘じゃない。お前を迎えに行くのに足がなかったんだよ。発進と加速の方法は聞いたんだが、あとは適当だ」

「じゃ、じゃあ、学園についたらどうするんだ?」

「さっきみたいに止めるから心配するな」

 気がつくとかなりのスピードが出ていることにタケルは気づいた。

「おい! ふざけるな、止めろ!」

タケルは、慌ててグレイに向かって叫んだ。

「ここで?」

「あ、いや違う! 止めるな!」

「なんだよ?」

タケルは一息ついて心を落ち着けると、

穏やかにグレイに語り掛けて、転倒の危機を回避することにした。

「いいか、俺の言うとおりに操作しろ……いいな?」

「あ、なに? 聞こえないよ」

「だ、だからぁ! 俺の、言うとおりに!」

「着いたぞ」

「な、何?」

「準備しろよ」

「よせ、おい!」

急激にバイクにブレーキがかかったかと思うと、

それに抵抗するように激しくバイクが左右に暴れ、

横転して滑るように道を転がって行った。


土埃の中、

バイクを運転していたグレイはゆっくりと起き上がるとゴーグルを外した。


「タケル? どこだ?」

「……俺ならここだ」

グレイがその声の方を見ると、

道の隅に土埃にまみれたタケルがゆっくりと立ち上がる姿が見えた。

「無事だったか」

「咄嗟に受身を取ったからな」

「ウケミ?」

「柔道の基本動作だ。投げられた時の衝撃を和らげる行為だ」

「さすが東洋人は違うな」

「どうでもいいが、俺の荷物は?」

「あっ」

バイクが転倒する直前に投げ捨てたトランクが、

乾いた道の上に中身をぶちまけて転がっていた。


何とか荷物を拾い集めてトランクに詰め込んだタケルは、

服についた土を払った。

「さて、ここが今日からお前が住むことになるソシェアル・ケミストン学園だ」

グレイが指し示した先には、

大きな石の柱に鉄格子のような扉がついた門が建っており、

その厳つい姿は、タケルに監獄の入り口を連想させた。


つづく!


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