スリィピングアラムナ
重苦しいような、羽が生えたような気分だった。式典の間中、ずっと。
膝の上で握り締めた拳は痛いほどに固く、前を見つめる私の意志は悲しいほどに脆い。明日からはもう他人だ。今も他人ではあるけど、辛うじて担任教師とその生徒という繋がりはあった。恋愛対象になんて、絶対になり得なかったけど。
僕は君らの保護者だよ。先生はよく言っていた。それがちょっとした自衛だと、気付かないほど私は子供じゃなかった。それに気付いて諦めて、引き下がれるほど私は大人じゃなかった。私はきっと、どっちつかずで。
『……ご起立ください。校歌斉唱』
立ち上がる。口を開く。私にとって、最後の校歌。先生にとっては、まだ続くはずの。
拳が固い。声が震える。全てをなかったことには出来なくても、気持ちだけはここに置き捨てて卒業したい。ほんの些細なきっかけも。冗談めかした告白も。脳裏に焼き付いて離れない笑顔も、筋張った指も。何もかもを。
先生は、なんで先生なんだろう。
三十なんてもうおじさんで、全然魅力がないはずで。だからここから旅立てば、すぐに忘れるはずなのに。
流れる間奏が、否定する。消し去ることは、叶わないと。中学校生活を思い返すたび、胸の奥に刺さるはずだと。
私にとっての先生は、眠れる森の糸紡ぎ。ほんの僅かな致命傷で、全てがとまったままになる。
動き出すときは、来るだろうか。先生以外の王子様に、この先、私は出会えるだろうか。
『以上を持ちまして、平成……』
式の終わりを告げるアナウンスが、容赦なく響き渡る。
『……中学校卒業証書授与式を終了致します』
嫌でも実感した。この椅子から立ち上がったら、もう、中学生ではなくなる。もう、生徒ではなくなる。先生の、生徒では。
握り締めた拳が震える。籠の中から飛び立って、私は自由に眠れるだろうか。
歩けないほどに足が震える。ここから旅立つのが怖い。追い出されるのが怖い。変化が怖い。卒業が怖い。先生に会えなくなるのが、怖い。
私だけの先生になるなんて、絶対にあり得ないのに。夢を見るのはそのことばかり。離れたくない。傍にいたい。私のことを、見て欲しい。迷惑なのは、判っているけど。
震える足で、列に混ざった。体育館から出たらもう、私は卒業生になる。この中学校の生徒ではなく。先生の生徒ではなく。
耳を澄ますと、すすり泣くような声が聞こえた。嬉しさや寂しさ、やりきれなさ。私と同じような、全く違っているような理由の、無意識にこぼれ落ちる涙たち。私の頬も、少しだけ。
首を振った。否定する。私は全てを置いていく。清々しく、ここから旅立つ。だから。
だけど。
遠く、人波の向こうに。優しく微笑む先生の姿が見えた。クラスメートに囲まれ、写真を撮ったり話をしたり。仲良く、楽しく、皆の。
「先生!」
ただの衝動だった。痛みを伴う、甘い衝動。重苦しさを取り払い、飛び立つための最後の魔法。私は。
「先生、私……」
走る。足がもつれそう。だけど、私は。
「私、先生が」
冗談めかして誤魔化したりなんかせずに。きちんと、私の魔法を解く。私のためだけに。私という魔法使いが。
口を開く。息が切れる。最後に残った希望の魔法。永い眠りを約束する。私は、それを。
思いを。言葉に、載せた。