―1/はじまり―
4月も終わりを迎え、桜も儚く散って緑の葉が生え始めた頃。もう見慣れてしまった坂道を駆け上り僕は学校に入った。
東京などの大都市にはかけ離れた、青々とした山々が見えるが決して田舎というわけではない。学校の階段をのぼるときふと窓の外を見つめると、にぎやかな海岸沿いの町が広がる。
この町から転校してきて早一か月ほどが経とうとしている、僕はそう思うと何やらすごく不思議な感じがしていた。
こうして僕は1−Bと掲げられた看板の中に入る。まだ着慣れない制服を身にまとう初々しい高校生たちの姿がちらほらと見えた。
窓側の一番後ろの席に座り、おもむろに鞄から本を取り出すと、詩織に挟まれてあったページからしばし本と戯れる。
別に友達を作りたくないというわけではなく、現に何人か話し相手はいるが、僕がこうして本を読んでいる間は誰かが肩を叩くまで全く気付かないものだ。しかも本だけではなく漫画もこよなく読むし、更には何気ない広告の細かい字まで目に留まったらすべてを見ずにいられない、所謂、読字症と呼ばれるものである。
ただ、山間と海が見える長閑な町の高校だからというのもあり、そのことで今まで殆どいじめにあっていないのも事実だった。
なのでこの後、とある事故で僕はクラスの半数を敵に回すことになるとは、その時の僕は微塵にも思っていなかった。
「やあ、本好き君。調子はどう?」
不意にぽん、と肩を叩かれ少し跳ね上がる。
振り向けばなんてこともない、このクラスの学級委員長である修だ。
別名が「秀才のシュウ」と呼ばれる通り、復習テストでは学年1位を記録、スポーツ関連も得意な上に性格も気さくで話しかけやすい、イケメンで高身長、などとまるで御伽噺に出てきそうなイケメンキャラである。
対する僕はというと、成績こそ良いほうには入っているものの、スポーツ全般はあまり得意ではなく、何より身長が160cmと男子にしてはかなり低い。
「順調だよ?」
声変わりしていないかのような高い声で答える姿は、低身長と童顔も相まってとても高校1年には見えないだろう。僕にとってこの体は何よりのコンプレックスだ。
「そうかい、まだ慣れないだろうけど、まあ気楽にいきなよ、ニコ君」
シュウは微笑むと、踵を返し自分の席に座った。
少し自己紹介をしよう。僕の名は祐二だ。
別名が「本好きのニコ」と言われたのだが、この「ニコ」という渾名は四月の自己紹介でつけられた。
ある一人の女子が「ねぇ、修二君って女の子みたいだよね」と僕の顔を見ながら言ってきた。中学ではその言葉を皮切りによくいじめのターゲットにされがちでかなりの時間を家で過ごしていたのだが、
「女の子だったら……ニコちゃん、かな?」
「あはは、ニコちゃんってかわいいー!」
「おいおい、男なんだからあまりちゃん付けすんなよ」
「でもー、人形さんみたいじゃん!」
同じくさっきの女子が言った一言から爆笑の渦が広がるが、それは決して冷たいものではなく、むしろ暖かな笑みだった。
その日から少しずつ、僕を取り巻く環境は良くなるように変わり始めた。
もうHR開始から30分以上たっている筈なのにまだ先生が来ない。皆口々にこう言い始め、委員長が心配そうに教室を出て行った。
僕は一冊の本を丁度読み終え、残り読める本がないことに気づいたので仕方なくぐてー、と机に突っ伏す。
僕の席の前にいる、ニコの渾名をつけた桜花という少女も、そんな様子を気にしてか何故か頻りに頭をなでてくる。
「あー、さらさらしていて気持ちいいー」
前言撤回、どうやら彼女もここぞとばかりに髪をもてあそんでいたようだ。
「髪が崩れるんだけどさ……」
僕は桜花をじと、と見つめながら不機嫌な表情を作る。が、桜花はそんなことなどお構いなしに櫛を取り出して髪を梳いてきた。
「ごめんね?髪、直してあげるから」
「そういう意味じゃなくて……全く、こんなのやってると彼氏と間違われるじゃないか」
その言葉を聞いてあう、と言葉にしながら赤面する桜花。だがしかし櫛を梳く手を止めることはなく、結局桜花のお遊びにしばし付き合わなければいけないのか、と思った矢先にシュウが戻ってきた。
ただその顔は心なしか厳しい。
「すまない、少々遅くなったが先生から伝言がある。暫く教室で待機だ」
ふと窓の外を見てみる。相変わらずだが見渡す限りに広がった森が目に映った。……森?どうやら桜花も異常事態に気づいたらしい。
「ねぇ……ここって海沿いの町が見えるよね?」
「確かにここは海沿いの町が見える場所だが」
シュウはまだこの疑問に気付いていない。
「でもさ、窓を開けたらそこには限りなく広がる木々が!」
桜花の合図を機にシュウを始めクラス全員が窓に向かって目を見張る。
「うん、確かに森が……!?」
大部分が未だ気づいていないが、「秀才」シュウを含む数人はようやく気付いたらしく固まっていた。
そして暫しの沈黙の後、シュウは珍しくあわてた声で何かを言い始めた。
「みんな……よく聞け、俺らは……学校ごと異世界に飛ばされたみたいだ」
今度こそ全員が固まった。
「シュウ……本当にそれいってるの?」
既に、未だ状況を信じきれない大多数の男女がジト目で見つめているがそれもそうだろう、普通いきなり異世界に飛ばされましたとか言われても信じるわけはない。
その人たちを宥め、あくまでも推測だがと付け加えたうえで説明を行う。そんな最中にも相変わらず桜花は櫛を梳いては僕の髪をわしゃわしゃと弄っている。
「よくマイペースでいられるよね……ってなんか気持ちいいのに眠くなくなった」
まあ相変わらずと言えば僕のほうも同じだ。最近は今のように何もないときはよく桜花に髪を弄らせる。
いつもはそうしているうちに少し眠くなるのだが今日はむしろ体が軽くなったような感覚があった。
「あれ、そうかな?」
桜花はにへ、と微笑みながら窓の外を見つめた。
「にしてもすごいねー、朝学校にきたらいきなり異世界だよ?すごくロマンチックだよ」
「どこが?」
思わず僕は桜花に軽くぺし、とはたいた。ひゃん、といった気の抜ける声が聞こえる。
「わからない?魔法とか妖精さんとか!」
「いや、気持ちはわからなくない、というか本好きとして言わせると確かに魔法がある世界とか妖精とかいる世界に入れたらいいなとは思うよ。けどさ、いきなりって言われても気持ちの整理がつかないなぁ」
「もう、わかったら女の子叩いたらだーめ。」
桜花はくすっと微笑んだら、人差し指を自分の唇に当ててきた。こう見ると、自分より背が小さいにも関わらず、僕が子供みたく見える。
と、その時放送がかかった。
どの教師でも校長、教頭、事務員でもない、特徴的な声だった。
「皆様おはようございます、私の名前はドクター・エヴァン。今からはなすことはすべて事実です。……皆様は何らかの異常で異世界に飛ばされました。現にどこを見ても海沿いの町ではなく、無限に広がるような木々が見える筈です」
もし、他のクラスメイトがこんなことを聞いたら一体どうするのだろうか、と僕は考えた。何故かでたらめに見えるシュウの推理が見事に当たり、一応は安堵するクラスメイトたちが、心の中ではまだそんなはずはないと思っている人もいるだろう。
「そうそう、皆様方にお知らせがあります。皆様の大部分は元の世界ではないような術、いわゆる魔法と呼ばれるものや、スキルと呼ばれるものが使えるようになります。その能力や仲間たちを駆使して、深層のどこかにいる復活した魔王を倒して欲しい……これは私の願いではなく神殿にいるジュリア様からの願いですが。さて、見落としのない限り、皆様は全員魔法やスキルを使えることでしょう。ためしに自分の生徒手帳を見てください、確認するかのように」
僕たちは全員一斉に生徒手帳を取り出した。周りは何かが変わっていたらしく「おお」と喚起する声が上がるが、僕には特に何も変わっているように見えない。
「風魔法……」とシュウもぽそりと呟けば、窓を少し開けてくるくると毛糸玉の大きさのボールを作り出した。周りは興味を持ったかのようにシュウの周りを見ている。
ところで、このスキルの説明を受けたあと、桜花の様子がおかしいことに気づく。
普段ならシュウの魔法にきゃあきゃあと騒ぐだろう彼女は、時々好奇心の目こそ見つめるもののただただ静かに周りの様子を見ていた。
やがて彼女が僕をじっと見つめると首を傾げている様子だった。
「どうかした?」
神様の悪戯なのか、つい彼女を見つめてしまった。
彼女は明らかに青ざめたような顔をしていた。そして、それをすぐに隠すと、シュウを呼んで二人きり何処かへ行ってしまった。
明らかに変だ。僕は改めて学生証を確認する。正確に見てみれば、確かに心得の代わりに空白の部分があるのだが、それが何を意味しているかわからない。
「ニコ、お前はなんか能力みたいなのあるか?」
一人の男子が声をかけてきた。彼の名はタクマ、このクラスの学級副委員長として活躍する人物だ。どうやら僕を除く1−B全員が魔法やスキルが使えるらしい。中には二つ三つ以上の能力を得ている人も見えているが、
「いや、ないな」
生徒手帳を見せて、率直な事実を述べると一度読んだ本を読みなおそうとするが、それを制すように小柄な少女である書記長のモモが話す。
「でもおかしいですね……委員長さんの命令で他のクラスや学年に聞き込みを行っているのですが、これまで人間のスキルとしてはユニークであろうスキルがある人もちらほらいますけど、能力がない人間はこの学校内ではニコだけだと思います」
「きっとエヴァンが見落としたんだろ。事実学生が300人近くいるからな」
これ以上彼女らの相手をするわけにもいかない、足手纏いは素直に本を読むのが得策だ、と僕は再び本を広げようとするが、その手は何故か空振りに終わった。
見上げたらいつも通りの桜花の顔が見えた。
「ニコ、こっち」
どうやらこの会話を繰り広げる間にシュウと桜花が戻ってきた。否応なく桜花の手に引かれそのまま教室の外を出て、何故か長い階段を通り向かった先は普段は開かない筈の屋上だった。
「っ……」
着くや否や僕は桜花の人差し指に傷ができ、微量だが出血していることがわかった。
ただし、もし謳歌の能力が普通に僕の眠気を飛ばすくらいの治癒の力なら、人差し指の傷もすぐ治せるはずだ。
そう思いながら様子を見ていた瞬間だった。
「ねえ、 ?」
※訂正コーナー
字の感覚などを大幅に修正。