1.喪失-ファーストコンタクト-
北方大陸ジャスティア領クルシナ島クルシナ村。それが僕の住むこの町の正式名称だ。クシナの実という小さくて甘い果実が名産品で、ブランドものになると250gで何万円もするらしい。確かに、クシナの実はおいしいけど…。たかだか250gに何万円も払うだなんて、お金持ちの考えることはわからないよね。…それにしても。
「…遅い」
思わず言葉に出してしまうが、誰も聞いていないし良しとしよう。
クルシナ村クナイ駅。所謂最寄駅ってやつなんだけど、そのクナイ駅前の噴水台(噴水はもう何年も出ていない)の前で、僕は時計を眺めながら今日会う約束をしている相手を待っていた。約束の時間は10時。しかし、時計の長針はすでに数字盤の3を少し回ったところ。つまりは15分以上遅刻をしているわけだ。僕がここに来たのは約束の10分前だから、かれこれ30分は待ちぼうけている。
…まあ、アイツのことだし、どうせ寝坊したんだと思うけど…。だから、わざわざ駅前で待ち合わせにしないで玄関先で合流してそのまま行こうって言ったのに…。
「だーれだ!」
時計の長針が20分を伝えようとしはじめ、いい加減電話で催促しようかと思い始めたとき、後ろから目をふさがれる。
…いや、だーれだ。じゃないよ…。
「…美咲?」
「ぴんぽーん! 正解だよっ、透! さっすが私の彼氏君! 愛の力だね!」
いや、答えたわけじゃないから。あと、誤魔化せないから。
振り向いた先で笑顔を浮かべる少女をにらみながら名前を呼ぶ。
「美咲?」
「よーし、早く行こうか透。映画は私たちを待ってはくれないよ!」
おい、そっぽ向くな。こっち向けコラ。
名前を読んだとたんにさっと目をそらす彼女の頭に手を置く。
「美咲さん?」
「…いやー。それにしてもきれいに晴れたねー。私としては、雪が降ってくれた方が今日のデートにはロマンチックかなぁーなんて――」
「美咲!」
「…はい」
仏の顔も三度まで。三度誤魔化そうとした美咲の顔を頭に置いた手で掴んで、無理やり自分の方を向かせる。
「ねえ、美咲。約束は10時だったと思うんだけど、どうして20分も遅れるのかな?」
「えーっと、ね。それは…その…乙女の事情というか…その…。もうっ、女の子にこんなこと言わせないでよっ!」
美咲は恥ずかしそうにモジモジしているけど、この顔は寝坊したときの顔だ。今まで散々これに騙されてきたけど、今日という今日は引っかからないぞ。
「はいはい、また寝坊だね」
「あ、きょ、今日は違うもん!」
今日は、って…。いつものは確信犯ってことじゃないか…。
頬を膨らませながら怒る美咲に呆れながら、僕はため息を一つつきながら口を開いた。
「…ハァ。わかったよ、疑ってごめん」
「うむ、分かればよろしい。あ、そうだ。」
「ん?」
ない胸を張ってふんぞり返る美咲が、突然胸を張るのをやめた。何事かと思うと同時、美咲は満面の笑みを浮かべる。
「まだ言ってなかったよね。メリークリスマス、透!」
そう、今日はクリスマス、恋人たちを祝福する特別な日だ。だから、こうして普段ならしない待ち合わせなんてものに煩わされていたんだけど…。
「……」
「透?」
「え? …あ、ああ。メリークリスマス、美咲。じゃ、じゃあ行こうか。早く行かないと映画、観れなくなっちゃうから」
「おお。それは困るよ! 早く行こう、行こう!」
一瞬呆けてから、美咲に挨拶を返した。…いや、言えないよ。美咲の笑顔に見とれてたとか。…だ、だってコイツはそんなこと言ったら確実に調子に乗るし、何より…は、恥ずかしいじゃないか…。
そんな僕の心情を知ってか知らずか、照れ隠しの僕の言葉に、美咲は僕の手を取り腕を組んで引っ張って走り出した。
「ちょ、美咲。走ると危ないって!」
「大丈夫、大丈夫! こけそうになっても透が助けてくれるでしょ!」
な、なんて他力本願な…。
またしても笑顔を向けてくる美咲に、今度は引き攣った笑みで返し、転んで怪我をしないように注意しながら美咲の速度に合わせて走り出した。
まったく、コイツは…。自分が遅刻して、映画の放映時間に遅れそうなのも忘れてるんだろうなぁ…。いつものことながら、なんで僕はこんなのを好きになったんだか…。いや、考えても無駄かな。いつも、同じことを考えては、答えは出ずに、ただ美咲が愛おしいという感情だけが頭の中に、心に残るんだから。
緩みそうになる頬に力を入れ、無理やり緩まないよう引き締める。にやけた顔なんて見せたら、美咲にからかわれかねないからね。
今日ぐらいは、それもいいかもしれないと思うけれど、クリスマスはまだ始まったばかりだ。美咲にからかわれるのも、僕が何かを言って赤くなる美咲をからかうのも、まだあとでいい。今日という日は、まだ12時間以上も残っているんだから。
「うにゃー、楽しかったー」
「……」
騙された…。
映画を観終わり、シアターを出た時点で僕はかなりグロッキーになっていた。なにせ、鑑賞した映画は血が飛び散り、臓物の弾け飛ぶスプラッタ映画だったんだから。
タイトルに騙された…。だって、"@ホーム"だなんてタイトルの映画がスプラッタだなんて思わないでしょ、普通…。って、いうか、クリスマスに彼氏と映画観に来てるのに、なんでスプラッタ!! そこは、無難にラブコメとかせめてアクション物でももうちょっとスプラッタなやつじゃないのとか色々あっただろうと思う…。いや、美咲に選ばせた時点で間違いだったのか。多分、コイツは僕を驚かせるつもりでこの映画を選んだんだ。だって、チケット買うときも、やたら話しかけてきて周りのポスター見せてくれなかったし、シアターはいるときも腕引っ張って行くし、始まる前にトイレに行こうとしても腕組んで離さないし…。
「…透、顔色悪いよ。大丈夫?」
「…そう思うなら、最初からこんなの選ばないでよ…」
どうやら本気で心配はしているらしい美咲に返事を返しながら、映画館ロビーのベンチに腰掛ける。流石に、精神的なダメージが大きくて怒る気にはなれない。
「ごめんなさい…。ちょっとしたイタズラのつもりだったんだけど…。透、スプラッタ苦手だった?」
「死ぬほど苦手ってわけじゃないよ…。ただ、もっと心温まるような奴を想像してたから、ちょっとダメージが大きくて…」
僕の言葉に、美咲は顔をそらす。イタズラに成功して嬉しいの半分、思いのほか威力がありすぎて反省の気持ち半分ってところかな。反省するなら、最初からやらないでほしいんだけどな…。
どうにも反省の色が濃くなってきた美咲の横顔は、どうにも落ち込んでいるようにも見える。まったく、嬉しがったり反省したり落ち込んだり、忙しい奴だよコイツは。
でも、彼氏としてはこのまま放置しておくわけにもいかないよね。
「美咲、反省した?」
「うん…。ごめんなさい、透。嫌な思いさせて。最初はイタズラが成功して嬉しかったけど、透がこんなに嫌な思いするなら、全然楽しくないよ…」
「うん、本当に反省したみたいだね。…よいしょっと」
まだ少し気分が悪いけど、掛け声とともにゆっくりと立ち上がる。ポケットから携帯型の情報端末を取り出してデスクトップで時間を確認すると、時間はすでに1時を回っていた。
「じゃあ、イタズラ娘が反省したところでご飯でも食べに行こうか。もう1時だよ、僕はともかく、美咲はお腹すいてるんじゃない?」
「イタズラ娘って…。もう、なんで上から目線なのよ! …確かに、お腹はすいたけど…」
自分から提案しといてなんだけど、美咲のこの神経の太さにはちょっと呆れる。普通の女の子なら、あんな映画観てすぐにお腹すいたとか思わないよ普通。
いや、僕をはじめ男子っていうのはゲームとかである程度、フィクションのスプラッタに離れてるからね。さっきみたいな騙し討ちでもなければ、大丈夫だよ。
「よし。じゃあ、どっかで食べよう。何が食べたい?」
「え、で、でも透は? 体調は?」
手を差し出しながら言うと、美咲はその手を取りつつ心配そうに尋ねてくる。
いつもの事だけど、自分でイタズラしかけておきながら、イタズラした後はすごく相手のことを気にするんだよね美咲は。そんなに心配してくれるなら、最初からイタズラなんかしないでくれると助かるんだけど。
「男子はゲームであんなのには慣れてるの。だから、そんなに心配しないでも大丈夫だよ。さっきのは不意を突かれて、ちょっと驚いちゃっただけだから。」
「で、でも…」
「本当に大丈夫だから。それとも、美咲は僕とお昼食べに行くのは嫌?」
「そんなわけない! そんなわけないよ!!」
この質問は少し卑怯だったかもしれないと思いながら、否定の言葉を即答してくれた美咲に笑顔を向ける。
「じゃあ、行こう。ほら立って、いつまでもしおらしいのは美咲らしくないよ」
「…うん、わかった。よーし、お昼だーっ! ねぇ、透! 私、浜屋のオムライスが食べたい!!」
浜屋、というのはクナイ駅から10分ほど歩いたところにある浜辺の個人経営レストランだ。友達のアキトってやつの実家で、もちろん味もいいのだけれど、何より息子の友人ってことでおじさんが代金を少し負けてくれるので、事あるごとにお世話になっている。
「浜屋か。うん、いいよ。もしかしたら、アキもいるかもしれないしね」
「あれ? 透、アッキ―に何か用事あったの?」
「いや、用事ってわけでもないけど…。とりあえず歩きながら話そうか」
まあ、本当に大した用事があるってわけじゃない。ただ単に、今やってるゲームの攻略が手詰まりになったから、アキトに相談しようと思っていただけだ。歩きながらそれを話すと、美咲はちょっと呆れたように「せっかくのクリスマスデートなのに、ゲームの話をしに行くの?」なんて言ったけど、美咲だってあんな映画を観させたんだから人のことは言えないと思う。
それは、初め小さな流れ星のようだった。空を流れる、星屑の末路。宇宙の塵屑がガラドの引力にひかれ落ち、大気圏で燃え尽きる様子。旧人類の時代、200年以上前には存在したという母なる大地、地球でも観測された現象。それが流れ星。けれど、それは大気圏で燃え尽きることなく、ガラドの海へと大きな災いをつれて着水したのだ。
「あ、流れ星!」
浜屋へ向かう途中、突然立ち止まったかと思うと、美咲は空を指さしながらはしゃいだ様な声で言った。
「美咲…。流石にその嘘には誰も引っかからないと思う」
「嘘じゃないもん。ほら見てよ、今もまだ見えるから!」
むきになった美咲が、組んだ腕を引っ張る。こうなってしまうと、どんなくだらない嘘や冗談でも引っかかってやるまで膨れっ面でにらんでくるのは、昔からのコイツの悪い癖だ。
仕方ない…。まあ、引っかかってあげて何か損するわけでもないしね。流石に空を見たらスプラッタな光景が待っているという事もないだろうから、空を見上げるくらいなら…。
流れ星って言うのは、宇宙のチリとかがガドラの引力にひかれて落ちてきて、大気圏で一瞬のうちに燃え尽きる光景が地上からだと光の筋が空に流れるように見える様子のことだ。星の流れる様子が長期間観測できるなんてことはあるはずがない。そもそも、昼間に流れ星を見ることができるわけがないのだから。
ぐだぐだとそんなことを考えながら、空を見上げる。
「…え?」
見上げた先にあったモノをみて、思わず声が漏れた。何もないと思って見上げた空。しかし、僕の予想を裏切り、空を走る落下物が確かに存在した。しかも、それは時間経過とともに大きくなって見える。
「ね、あったでしょ? でも、あんまり綺麗じゃないし、なんかどんどんおっきくなってるね」
のんきにそんなことを呟く美咲の隣で、僕は一種の興奮を感じていた。あれは、流れ星なんかじゃない、僕の予想が正しければ、もっとロマンに満ちていて、男の冒険心を刺激するものだ。そう、多分あれは…。
「美咲、あれは流れ星なんかじゃない。たぶん、あれは…隕石だ!」
僕が興奮した声を漏らすのと同時、キィイイン! という耳鳴りにも似た音が聞こえ始める。その音は、隕石が大きくなるにつれ、ボリュームを増していき、その爆音に思わず僕たちは耳をふさぐ。そして―――
ザブーン!!! ド派手な水しぶきとともに、隕石は海へと落下した。
ぞれを見て、僕は急いで海岸へ走り寄る。どうやら、隕石はそれほど沖合に落下したわけでもないらしい。ここからでも、海面に大きな波紋が浮かぶのが見える。けれど、何かおかしい気がする。あれほどの水しぶきを上げて落下したというのに、大小とわず、津波と呼べるような大波が発生する気配もない。精々、普段よりちょっと高い波が浜辺に押し寄せる程度だ。
「あれだけ激しい着水をしたのに、なんで…」
「透、どうしたの…?」
後ろから追いかけてきた美咲が、心配そうに声をかけてくれる。多分、僕が睨むように海を見ていたからだろう。
「ん…。いや、なんでもないよ。あれだけの水しぶきが上がってたのに、津波の一つも起きないんだなって、不思議だって思っただけだよ」
まあ、あれくらいの事で津波が起こるのか起こらないのかなんて、専門知識のない僕にはわからないし、多分考えすぎだろう。そう思い、美咲に余計な心配をかけないよう笑顔で振り返る。
普段なら、ここで心配そうな顔のまま、もう一度同じことを訊ねてくる美咲に心配いらないともう一度繰り返して、美咲が「わかった」と笑顔になったのを確認してから浜屋に向かう。今回もきっとそうなるんだろうなとか考えつつ、振り向いたのだが、今回はいつもと勝手が違っていた。
「なに…あれ…」
そんな言葉と共に、美咲の表情が固まっていた。その眼は僕ではなく、そのはるか後ろを見ているようだ。ふと視界に入った他の人たちも、皆同じような表情で固まっている。つられて、僕はもう一度海の方へと振り返った。そして、見てしまったんだ。隕石のようなものが落ちたその場所、その空中に浮かぶモノを。
「……ヘビ…?」
この場にいる全ての人の思っているであろうことを、誰かが呟いた。確かに、あれはヘビと呼ばれる生物に似た形を似ている。長い胴体に、小さな頭、それでいて自分より大きな獲物も一飲みにしてしまうであろう大きな口。けれど、僕たちの知っているヘビとは違う部分がいくつもある。まず、ヘビには手足が存在しないはずなのに、あの浮かんでいるモノには申し訳程度の短いものだが四肢があるし、太陽の光を跳ね返すあの体の光沢は、生物の皮膚や鱗というよりも金属のように見える。そして、頭に生える角もと、口元の長い髭も、僕たちの知るヘビにはないものだ。何より、蛇は空を飛んだりしない。あれは…ヘビというより…そう、旧世代の伝説にあった生物…まるで、竜…。
―――ゴォオオアアアアアア!! 巨大竜もどきがその頭を持ち上げるのと同時、全ての物を威圧するような甲高い咆哮が、辺りをつんざいた。反射的に、耳をふさぎ伏せてしまう。そして、音が収まるのと同時に竜もどきを見てみると、巨大なその竜のようなものがこちらへ向かって猛スピードで飛んでくるのが見えた。
飛んでくる竜もどきをよく見てみると、大きく開いた口に、赤い光が集まっているのが見えた。
…なんだ、あれ――。
「あ…。だめ!!」
そう美咲が呟くのとほぼ同時、赤い光は輝きを一層増し、そして、一筋の光の奔流が僕たちの背後にあった建物を貫き、破壊した。
「え?」
そんな呟きを漏らしたのは僕だったか、美咲だったのか。あるいは、他の誰かだったのかもしれない。けれど、そんなことは今は関係ない。ただ、今は…。
「逃げろ…。逃げろおおおお!!!」
誰かの発したその言葉、同時に巻き起こる悲鳴。押し合う人々の喧騒。僕は未だ動こうともしない美咲の手を取った。
「なにボーっとしてるんだよ美咲! 逃げよう!!」
「…あ。透…。…ごめん、わたし、逃げられない」
「は!? 何言ってるのさ、いいから早く――」
「それに、もう遅いみたい」
早く逃げよう。その言葉を、僕は最後まで言い切ることができなかった。急に辺りが暗くなり、頭上からぽたぽたと水滴が落ちてきて、僕はゆっくりと後ろを振り返る。振り返った先には、あの大きな竜もどきが、巨大な顎を限界まで開いていた。
―――食われる!!
反射的に、腕で顔を隠そうとした瞬間、竜も動いた。そして――
「待って」
美咲の声が響き渡り、竜は僕の体を半分ほど口の中に入れた状態で動きを止めた。
「あなたの目的は私でしょ。その人に手を出さないで。町の人たちにも。そうしたら、私は大人しくついて行くから」
美咲がそういうと、竜は数秒ジッとした後、ゆっくりと僕から口を放した。
なんだかよくわからないけど、チャンスだ!!
竜から解放されてすぐ、僕は美咲の手を取って走り出した。だけど…。
「放して」
「っ!?」
その一言と共に、美咲は僕の手を振り払った。
「美咲!? 何するんだよ早く逃げないと!!」
「言ったでしょ、私は逃げられない。…それに、この子は私を探しに来たの」
「は!? 何言ってるのさ! いいから逃げないと!」
「私が行けば、この子はみんなを襲わない。だから、いかなきゃ」
「だから、意味が分かんないことばっかり言わないでよ!! 早く逃げなきゃ!!」
――ゴォオオアアアアアア!!
僕が叫ぶのと同時、竜が吠える。僕は驚いて身をすくめたけど、美咲はどこか笑顔にさえ見えるような表情を竜に向けた。
「うん。でも、もうちょっとだけ待ってね。…透、よく聞いて。私は、今からこの子と一緒に行かなきゃいけない。多分、行った先で死んじゃうと思う。だけど、だけどね。そうすることでみんなが助かるんだって、この子が言ってるの。だから…私は、もう、死んじゃうけど…透は…生きて……、幸せに、なってね」
「美咲、どうしたんだよ急に!! 何言ってるのか、全然意味わかんないよ!!」
「うん…、ごめんね。…ばいばい、透。大好きだよ」
その言葉を待っていたかのように、竜が動いた。その巨大な顎を開らき、美咲を一飲みにする。何が起こったのか、理解できなかった。…いや、理解できなかった。そして、ただ茫然とすることしかできない僕を一瞥した後、竜は甲高い咆哮とともに空高く昇って行った…。
「み…さ、き…。うう…うわあぁああああ!!!」
美咲が言っていたことは、何も理解できなかった。竜が何か言っているとか、行かなくちゃいけないだとか。でも、そんなのはどうだっていい…。ただ、これだけははっきりしている。僕の恋人は、海島美咲は――――たった今、死んだ。
「何で…何でッ!!」
この胸の内に渦巻く感情が、あの竜に対する怒りなのか、美咲を喪ったことに対する悲しみなのか、あるいはその両方なのか。それは理解できないし、理解しようと考えることもできなかったけど、僕はただただ泣いた。世界から自分の叫び声以外の音が消え、風景が消え、自分が抱いている感情が一体どのようなものなのか、何故泣いているのかも忘れてしまいそうにながら、地面を殴り、大きな声を上げながら、泣いた。
「おい、お前! そこで何をやっている!!」
散々泣いて、もう涙も枯れ果てて、喉も潰れた頃。ふいに掛けられた声に、顔を上げる。
声の主は若い女性だった。青と白の、軍服のような服を身にまとい、右手にはライフル銃を持っている。
「軍人…?」
「ここは、危険だ! この先の港に、船が来ている。それに乗って早く避難するんだ!!!」
僕に近づくとともに、捲し立てるように怒鳴る、見なれない軍服の女性軍人を見て、思わず鼻で笑う。怪訝な表情をする女性軍人に向かって、僕は潰れた喉で言った。
「見ていたでしょう。あの竜の化け物はもう消えたんだ。もう、何も危険なんてない…」
そう言って、また地面を見る。同時に、右頬がパチンッ! といい音を鳴らし、同時に鋭い痛みが走る。そして、気が付いた時には女性軍人の顔が目の前にあった。
「寝言は寝て言え!! 確かにあの馬鹿デカい化け物は消えた!! だがな、この惨状を見てみろ!! これを見て、なぜ危険がないと言える!!」
怒鳴りながら、女性軍人は僕の顔を街の方に向ける。
「…え?」
そこにあったの惨状だった。街の至る所から火の手が上がり、多くの建物は半壊、全壊している。次第に、音も戻ってくる。聞こえてくるのは銃声と爆発音。それも、断続的ではあるものの、殆ど間を置くことはなく、完全に静まることがない。
「あのデカいのが、消える際に撒いていきやがったんだ。10匹くらいの別な化け物をな!!」
「そん、な…」
美咲は、自分が死ねば平和になるようなことを言っていた。なのに、これじゃあ…。美咲は、いったい何のために…。
再び、俯きかけた僕の顔を、女性軍人が無理やりあげさせる。
「いいか! 今、この街は戦場なんだ! お前みたいなのが生き残るためには逃げるしか――ッ! 来たか!!」
――キィイイイン!! 女性軍人が怒鳴ろうとしたとき、耳障りな甲高い音がそれを妨害する。
一体何が…。そう思い、辺りを見渡すが、何も見当たらない。と、その時、急に辺りが暗くなり、腕が右方向へと強く引っ張られる。
「逃げるぞ!」
どうやら、女性軍人が腕を引っ張ってくれたらしい。僕は引っ張られるままに、女性と共に走る。
――ドォン!! 突然後ろで響いた音に、走りながら振り返る。そこには、大きな尻尾の様なものを地面に突き立てる、機械でできた化け物がいた。
「な、何あれ!?」
「わからん! だが、あのデカブツが落としていった上に我々を攻撃してきている。友好的なものでないことだけは確かだ!」
怒鳴りながら、女性は銃を放つけれど、銃弾は全て金属の鎧にはじかれ、化け物がダメージを負っている気配はない。
小さな小屋ほどの大きさの体を持つそいつは、地面に刺さった尻尾を抜き去ると僕たちの方を向く。そして、おそらくは頭であると思われる場所が赤く発光しているのが見えた。
あの光は見覚えがある…。たしか、あの竜も同じようなことをしていたはず…。
「チッ! 伏せろ!!」
怒鳴り声と同時に頭を押さえつけられて、ヘッドスライディングをするようにその場に倒れる。次の瞬間。
――ヒュンッ。ドカァーン!!
あの竜が出したのと同じ赤い光が、近くにあった建物にあたり、建物が爆発するように弾けた。
「くっ!」
爆発によって弾けとんだ瓦礫が僕たちに襲いかかろうとした時、女性が僕を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた直後、それまで僕のいた場所に瓦礫が降りかかる。蹴り飛ばされたおかげで僕は助かったけど、あの女性は瓦礫にのまれてしまった。
「大丈夫ですか!」
「…ああ、だが足を挟まれて動けん…」
幸いにも、瓦礫のほとんどは女性を押しつぶすことはなかったが、女性の言うとおり、大きな瓦礫が女性の足の上に乗っていて、身動きが取れないようだ。
「今、どけます! 動かないでくださいね!」
そう言って、瓦礫に飛びつこうとする僕を、女性が止める。
「いや、いい。お前は逃げろ。どの道、足は折れている。抜け出したところで逃げ切れまい」
「でも!」
「いいから、行け! …お前は生きろ。なに、まだ若いんだ。生きていれば、いつかまた幸せに暮らせるさ」
微笑みながら、僕に生きろと女性は言った。その微笑みが、さっき見た美咲の姿に重なる。…僕は、美咲を助けられなかった…。もう、あんな思いは…あんな後悔、したくない!!
微笑む女性の言葉を無視して、僕は女性の持っていた銃を手に取る。
「これ、借ります!」
「あ、この馬鹿者! 逃げろと言っているんだ!!」
「嫌です!!」
「ッ!?」
「もう、あんな思いはしたくない。助けられるかもしれない誰かに、手を伸ばせないまま後悔するのは、嫌なんだ!!」
叫び、銃を構えた。スコープを覗いて、狙いを付ける。よく見ると、さっきの光が集まっていた辺りに、球体状の何かがあるのが見えた。その部分は、金属の鎧で覆われていないようだ。…もしかしたら、弱点かも知れない。
そう考え、その球体をしっかりと狙う。そして、よく狙いを付けて、引き金を引いた。
「う、おぉおああぁあぁあぁぁああああ!」
放たれた弾丸は全弾命中、とまではいかないが、その多くが球体状のモノにあたる。すると、目に見えて化け物の飛行速度が落ちた。やっぱり、あれが弱点なんだ!!
「まだまだあぁああぁあああああああ!!」
思っていたよりも反動の少ない銃の銃口をもう一度球体部分に向けながら、今度は弾倉の中身がなくなるまで撃ち続ける。そして―――
――パリン! 陶器の割れるような、どこか軽い音と共に、球体がはじけた。同時に、化け物は墜落。地面を転がり、途中の建物へと突っ込んで、爆破した。
「やっ…た?」
「…信じられん。まさか、こんなことが…」
勝利の余韻ともいえるものに浸っていた僕は、聞こえてきた女性の声にはっと我に返った。
「す、すみません。いま、瓦礫どけます」
「あ、ああ。すまん、頼む」
そうして、女性の足を押しつぶしていた瓦礫をどけると、女性は自分で足の応急処置をし始めた。どうやら、折れているのは右足だけのようだ。これなら、僕が肩を貸せば何とか歩けそうだ。
「…あの化け物を倒してしまうとはな…。どうやった?」
「あ、はい。…アイツらが光線を出すのに使う球体、あれが弱点みたいなんです。あそこだけ、装甲がなかったからもしかしたらと思って…」
「…あの一瞬でそれを見抜いたのか……」
訊ねられ、素直に答えたら、女性は驚愕の表情を浮かべた。そうしているうちに、応急処置が終わり、僕は女性に肩を貸す。
「助かる。…とにかく、港へ向かうぞ。このことを、他の連中にも伝えなければ」
「はい」
女性に返事を返して、僕たちは歩き出した。
街には、いまだに銃声と爆発音が鳴り響いている。早く、みんなに弱点のことを知らせないと。走り出したくなる衝動を抑え、女性の足に負担がかからないように気を配りながら、僕たちは港へと急いだ。