どんとどん
「こっちじゃなくて、あっちの店にしよう」
ユウコが指差した先にはで白地に黒で「讃岐」と江戸勘亭流フォントで染められたのぼりがたっている。
そして二人が今立っているのは、「蕎麦屋松風亭」の前である。
昼食時を少し過ぎた時間、下宿近所の古いアーケード付き商店街を行き交う人の数は多くない。
「なんで?」
まじで意味分かんねぇ、といった感じでマサルが問う。
「今日は関東風じゃなくて関西風がいい」
拗ねた口調でユウコは答える。
「なんだ急に。今まで関東風とか関西風とか言ったことないだろ」
マサルの声が少し大きくなる。
「言ったことなかったけど、関東風のうどんてあんまり好きじゃないの。むしろけっこう苦手」
負けじと本音が言い返される。
「なんだそれ。一緒にうどん食いに行くの初めてじゃないだろ。今まで我慢して付き合ってたのか」
「我慢していたって言うか、食べてたら好きになるかなって思ってたけど、やっぱり美味しくないもん。関西風の方が美味しい」
「関西人でもないくせになんで関西風のほうが好きなんだ?通ぶってるのか」
「だってお母さんが作ってくれるのが関西風だったんだもん」
「お母さん関西人だっけ?」
「ううん。群馬人」
「なんで群馬出身でうどんが関西風なんだ!」
絶叫する。
「知らないわよそんなの。とにかく私は関西風のほうが好きで、関東風のあの醤油くさいうどんは食べたくないの」
「醤油を否定したら日本人失格だぞ。関西風にだって醤油は入っているだろうが」
「お醤油は好きだけど、あんな醤油漬けのうどんはイヤ!」
関東風を強く否定するユウコに、マサルは顔の前でぶんぶんと手を振って対抗する。
「醤油漬けなのがいいんじゃないか。あのガツンと辛味の効いたタレをうどんに絡ませて一気にすする。これがうまいんだ。それに比べて関西風は甘ったるくてとても食べる気がしないな」
「関西風は甘ったるいんじゃないわよ。だしの旨みを前面に押し出しているの。ガツンと辛いのが良いなんて、味が分かっていない証拠じゃない」
「おいおい、人の味覚にケチをつけるのか。俺はいつもお前の作った飯を……」
切れたマサルが大声でユウコを恫喝しようとしたその時、蕎麦屋のドアがガラガラっと開いて、渋い顔をした大将が出てきた。
「店の前で喧嘩するのは止めてもらえるかな。迷惑なんだ。それになんだ、悪いけど話は聞かせてもらった。うどんでもめてるなら蕎麦にしておけばいいだろ。蕎麦なら関東風も関西風もない!うちの蕎麦はうまいぞー」
「すみません。蕎麦はまたの機会で」
マサルは店長の誘いに乗らず、謝るとすぐにユウコの手を引いてその場から立ち去った。我に返って周囲を見渡すと、二人をちらちらと盗み見ている人たちがいた。
商店街を足早に歩き、讃岐うどんの店の前も通り過ぎる。三分ほど歩くと二人を見る目はなくなったが、商店街の出口も近づきつつあった。
「うちの蕎麦はうまいぞー、って」
ユウコがクスクス笑うと、マサルも白い歯を見せて同意し、歩く速度を落とす。
「あの自信がどこから出てくるのかが分からん」
「自信を持ってやっているんだよ。私たちとは趣味が違うだけで」
「うどんは美味いんだけどな」
「私はうどんも駄目だけどね」
「うどんはなしとなると、パスタでも食べるか」
「目の前にあるからって短絡的じゃない」
「じゃあなにがいいんだ」
そう言われて、ユウコは右手の人差し指を立てながら考える。
「パスタも悪くないけど、うどんのおかげで今は和のイメージなのよね」
「和……、和ってなんかあったか?……さっき牛丼屋があったな」
「いいね。牛丼に行こ」
意見が揃ったとこで二人は鮮やかにUターンをして、牛丼屋に向かう。
「ところでお前、ツユダクにしたりしないだろうな」
「なんで?ツユダクダク派よ」
「うわっ、信じられねぇ」
「そういうマサルこそ、紅しょうがを山盛りにしたりしないでしょうね」
「当然紅しょうが山盛りに七味ぶっかけでしょう」
「信じられない」
二人は笑いながら、牛丼屋に入っていった。